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53 飛行
しおりを挟むキグナスの翼を手に入れたアレクサンドルは、どこにでも行けただろう。
前王太子の顔が脳裏を掠め、アシルは現状に意識を引き戻す。
こちらはフェニックスの翼を手に入れて雲の上を高速飛行していた。
進む度に大気の分厚い壁が巨体を強打する。偏西風だ。ミーティアにも誰にも変えられない星の法則が直進を阻んでいる。
視界の斜め前を小さな獣が飛んでいる。ケットシーこと帝国第一皇女ヘレンだ。
羽が無くても飛べる。羽があるから飛べるのではない。
現在、ヘレンはナビとして情報通信の根幹を担っている。
ケットシーの特殊能力は、特定の相手から所謂テレパシーを受け取れるというもので、発信専用のキグナスとは逆の受信専用となっている。この受信能力により地上からの情報が貰える。機械要らずでいい。飛行中の今も、彼女の脳内には誰かの声が届いている。
誰かとはヘレンが一度以上接触し、且つ心を許した者に限定される。
「文字通り互いに心を開くのですわ」
主に身内の皇族らだ。
彼女が身内からの情報をキャッチすると、必要に応じてアシルがキグナスの信号能力で返信する。
返信可能な対象とはアシルが一度以上接触し、且つアシルに「畏れ」を抱いている者に限定される。感情の定義は単に「恐い」の他、認めている、ライバル視している等も含まれる。
ただし、ケットシーと違って血縁者とは通信出来ない。アンは「キグナスがオウンゴールを禁止しているからでは」と推測していた。死の呪いを想定した防止策という訳だ。実際、アレクサンドルは父王やアシルをパルス制御出来なかった。
アシルは誰にも死の呪いをかけられないし、その気もない。
ダンプ保留が功を奏し、今回幾らか助かったが、肝心のアンとは連絡が付かなかった。デジレにはどの道使わなかった。
遅かれ早かれ、この能力の出番は無くなる。世の通信システムは進化している。
西半球に入って暫く経った。
コウが受け取ったアンの手紙は筆跡が乱雑だった。
「――ザリはベルゼブブ」は衝撃と言えた。
かなり切羽詰まった状況下にあるらしい。同じ誘拐被害者でもデジレは安泰で、そうそう危害を加えられる心配はないそうだから、ピンチなのは未覚醒ミーティアと引き合わされるであろうアンの方だ。
――ベルゼブブだろうが何だろうが始末する。
南方産のストーカー野郎がデジレを攫い、アンを窮地に追いやっている。
殺すしかない。アレクサンドルのお友達なら尚の事生かしておけない。どうせ同じくサイコヤローだ。更生は有り得ない。
「殺気がダダ洩れだね」と声が発し、目線をやや横に逸らす。
空を駆ける麒麟の姿を視界の端に捉え、アシルはやはり困惑した。
「お前まで来る事はなかったぞ、コウ」
「でも雛が要るでしょ?」
便利な伝書ヤタガラスは、麒麟の鬣を三本の足で掴んだままウトウトしている。
緊張感がないのは、仮に足が離れても空中に投げ出されないからだ。ウィナーたるアンに「傍にいろ」と命じられている限り、コウから遠ざかる事は出来ない。
「尤も、手紙はもう来ないかもだけど」
それでもヤタガラスの状態からアンの安否が分かる。万一星に戻った場合、アンは未覚醒ミーティアかザリの一派に殺害された事になる。
「そんな事はさせん」とアシルは呟き、正面に目線を戻した。
斜め前方を飛ぶケットシーに意識が向く。
申し訳ないが、フェニックスはベルゼブブみたく空輸には向かないので、背に載せるとかが出来ない。なにせ炎の鳥だ。火力を抑えても普通に熱い。猫と麒麟を弱火でじっくり調理する事になる。
抱き抱えられない事もないが――、と想念したアシルは、雲の途切れ目に黒に染まりつつある黄昏時の海原を見た。
大ドラゴン帝国海軍の艦艇が白い航跡を伸ばしている。アトラス諸島から出た後続隊に追いついた。
第二皇子率いる先発隊は、二時間ほど前に新大陸へ発った。
アシルは自分よりも遥かに小さいケットシーを見た。
「弟皇子はもう着いたか?」
前を向いたまま皇女は頷いた。
「今しがた。賊の船を捉えるのも時間の問題ですわね」
アシルは頷き、予定通りの進路を維持した。
想う事は常に一つ。
――デジレ。
ザリ一行を乗せた大型輸送船が海原に出て、数十分が経過した。
時折高い波が寄せ、巨体を揺らす。風も強い。
内心に舌打ちしたアンは、壁際のソファーに座るデジレを窺った。
「大丈夫ですか、デジレ」
「ええ。さすが海難事故多発エリア界隈は酷いですね。こんな状況でなければアトラクションとして結構楽しめたのですけど」
冗談が言えるくらいにはデジレの体力は回復している。彼女が船酔いに強いのも幸いした。もし弱かったら薬を飲むしかなかった。南の連中が管理する、衛生面で全く信用のおけない薬をだ。
鉄に囲まれた室内にはウピタも居合わせている。頼りない監視役の理由は、ザリがウピタを気にかけるデジレを見て、懐柔の一助になると判断した為だ。
――バカが。貴様ごとき三流に靡くデジレではない。
そのデジレは、部屋が揺れる度に小柄なウピタを気遣い「こっちに座っては?」と二人掛けのソファーに呼んだ。
子供であってもウピタがウィナーで、状況的に看守なのはデジレとて分かっている。それでも幼い姿に同情してしまうのは仕方がない。
デジレは、仕方がない。幼い人に弱い。諸島でも元気過ぎる子供連中に振り回されていた。
恐らく、嘗てのアシルの事も「幼い」と思っていたのだろう。幼さに弱い彼女だからこそ彼を愛しいと思えた。
凡そ三年前、デジレと出会った当初のコウは四歳を目前にしていた。
彼は彼で、諸島に来たばかりの頃だった。アンも慣れない風土と格闘していた。
老師が先住していたのは僥倖としか言いようがなかった。彼の移住とて、柔軟な女帝が異教徒を受け入れてくれて叶った。
とはいえ寺はカモフラで信仰は別にある。ワ皇国は神の国だ。嘗て西洋の古代文明に十二神がいたように八百万の神が住まう。
天孫の男系であるコウは、宿命を背負って諸島に流れ着いた。
初めは島の誰とも打ち解けなかった。アンも老師以外との接触は極力避けて暮らしていた。
砂浜でデジレを救ったのは人恋しかったからだと思う。このままでは寂し過ぎると思っていた。
デジレを加えた三人暮らしは輝いていた。彼女を救い、彼女に救われた。
思い出を貰った。
デジレは必ずアシルのもとに返す。
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