9 / 44
09 境界線
しおりを挟むカガリの一行がリゾートを後にしてからも、アネットは度々アデライドの別荘を訪れていた。
「様子を見てあげてくださいな。もし異常があればぜひ知らせて」とカガリからたっぷりのギャラと共に依頼を受けた。
アネットも気になっているので訪問は苦にならない。だからって「お金は結構ですよ」などとカッコよくカガリに言えもしなかったけれど。生活がかかっている。マネーは大事。
「彼女、去年の取材ノートと向き合い始めたんですよ」
週末、アネットはテオフィルのクルーザーで過ごしていた。
デッキで夕陽を浴びながら、外国産の安ワインを傾ける。
安いからって味が悪い訳ではない。普通に美味しい。王国はワインのランク付けに熱心だからどんどん値が釣り上がる。とはいえ国産銘柄が世界一なのは疑いようもない。他を飲めば思い知る。
安ワインに文句はないようで、テオフィルは「そうか」と頷いてボトルをアネットに差し出した。
グラスでお代わりを受け取って、アネットはまた呷る。飲み易い。
「はあ。おいし」
「飲み過ぎて海に落ちるんじゃないぞ」
「大丈夫ですよ。泳げま、せんけどね」
「カナヅチか。王都に水泳のクラスは無いのか?」
「ありましたよ。着衣の水泳がね」
「役に立つ経験だな」
「ええ。でも防災訓練みたいなものです」
「競泳はなしか。ならば水泳スキルは身に付かんな」
「海無いんで、王都」
「河川と運河があるだろう。遊泳禁止だが」
「宮殿のグラン・カナルは結構深いですよね。学校の社会科見学でボートに乗りましたけど、孔雀さんが人懐こくて可愛かったです」
「そうなのか。孔雀は美味いのか?」
「食用じゃありません。アイドルユニットです」
「分からん」
テオフィルもグラスを呷った。
日没後、ぐでんぐでん気味のアネットを抱えて彼は船内の寝室に向かった。
酔っ払いをベッドに寝かせ、隣に転がる。
ぽけえっと、アネットはテオフィルを見やった。
「テオ様?」
「……仕事の掛け持ちで今日はいつもより疲れているだろう」
「三つもの重要ミッションをこなしました。お陰様で良いマネーになりました」
「……アネット」
「いっぱい稼がなきゃ……」
「アネット?」
「くー……」
「待て。せめてキスくらいさせろ」
「んん、なに……」
「勝手にするからな」
「勝手にどうぞ――貴方のキスは、気持ちいぃ……」
「――――」
アネットは眠りに落ちた。
いい気持ちの中で、夢が始まった。
合わせた唇を離し、テオフィルは鼻先からアネットの寝顔を見下ろした。
眠ると彼女は幼くなる。今年十九と言っていたから実際にも若い。
「……完全にイカれている」
心身共に、アネットにのめり込んでいる。
このリゾートでアネットは日々、簡単と見せかけて割と高度な仕事に励んでいる。
何故それほどまで金が必要なのか。
いや金が必要な事に理由など要らない。欲しいから欲しいでいい。
「俺なら……」
テオフィルならば幾らでもくれてやれる。彼女に楽をさせてあげられる。
彼女は、差し出された大金を平然と受け取るに違いない。小切手帳を出した際も拒絶反応はなく、「ではお言葉に甘えて、お金を恵んでください」だった。
潔癖そうに見えてそうでもない彼女には驚かされる。
抵抗があるのはむしろテオフィルの方だ。彼女に「恵む」行為などしたくない。
だから精一杯プレゼントをするしかない。
アネットは未だ、テオフィルに心を開いてくれない。
テオフィルに救いを求めていない。困っていないからにしても素っ気ない。
――俺ではダメなのか。
現状維持ではアネットの特別な男にはなれない。
恋人にも何にもなれない。
――言ったらどうなる。
気楽な関係を終わらせ「本気で付き合おう」と言ったら、どうなる。
拒絶されるだろうか。「二度と会わない」だろうか。
アネットは、明らかにテオフィルとの間に境界線を引いている。
テオフィルの身分に対して弁えている節がある。高度な教育を受けた平民か下位貴族の息女なのだろう。
潔癖そうに見えてそうでもない癖に、結局潔癖なのだ。
現状では彼女に何も言えないし訊けない。アネットが話してくれねばテオフィルは身動きが取れない。
ファミリーネームすら未だに名乗ってくれない彼女。遊び相手に極力情報を与えたくないという意思の表れと取れる。
――滑り出しがマズかったな。
体から始まってしまった。それが間違いの大元だ。
――今更だ。時間は巻き戻せん。
悔いても無駄だし、かと言ってもうアネットを手放す事も出来ない。
バカンスシーズンが終われば、アネットは王都に帰る。
テオフィルも同じく。海軍所属だからと言って基地勤めでも洋上勤務でもない。中枢たる王都がテオフィルの拠点だ。
実家の侯爵領には帰省する予定だから、それまでに何とか現状を打破したい。
――むしろアネットを連れて帰りたい。
仕事ばかりで女っ気のなかったテオフィルが、全く正反対の明るく溌溂とした娘を伴って帰ったなら家の者はさぞかし驚き、喜ぶだろう。
海のない故郷ながら鉄鋼業が盛んだ。得意分野は機械製造で、開発したハイパワーエンジンは王国海軍の全艦艇に搭載され、国防の要を担っている。
造船に必要なモンスターマシンの数々も侯爵領が請け負う大事業の一つだ。隣領たる南沿岸部とは運河と河川で繋がっている為、水運力には事欠かない。
テオフィル自身にも故郷にも、財政に不安はない。
「だから安心して一緒になってくれ――」と、アネットに告げたところで響かない気がする。
346
あなたにおすすめの小説
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】
iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
【完】隣国に売られるように渡った王女
まるねこ
恋愛
幼いころから王妃の命令で勉強ばかりしていたリヴィア。乳母に支えられながら成長し、ある日、父である国王陛下から呼び出しがあった。
「リヴィア、お前は長年王女として過ごしているが未だ婚約者がいなかったな。良い嫁ぎ先を選んでおいた」と。
リヴィアの不遇はいつまで続くのか。
Copyright©︎2024-まるねこ
妻が通う邸の中に
月山 歩
恋愛
最近妻の様子がおかしい。昼間一人で出掛けているようだ。二人に子供はできなかったけれども、妻と愛し合っていると思っている。僕は妻を誰にも奪われたくない。だから僕は、妻の向かう先を調べることににした。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
愛する人は、貴方だけ
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。
天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。
公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。
平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。
やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。
【完結】あなたに抱きしめられたくてー。
彩華(あやはな)
恋愛
細い指が私の首を絞めた。泣く母の顔に、私は自分が生まれてきたことを後悔したー。
そして、母の言われるままに言われ孤児院にお世話になることになる。
やがて学園にいくことになるが、王子殿下にからまれるようになり・・・。
大きな秘密を抱えた私は、彼から逃げるのだった。
同時に母の事実も知ることになってゆく・・・。
*ヤバめの男あり。ヒーローの出現は遅め。
もやもや(いつもながら・・・)、ポロポロありになると思います。初めから重めです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる