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10 対抗
しおりを挟むその晩。
洋上の寝室にアネットを運んだテオフィルが、上に覆い被さってあれこれした後、深い深い溜め息を吐いた。
「しまった……」
「?」
「避妊具を切らした」
アネットは瞬き、彼に教えた。
「時期的に大丈夫だと思います。ピルも服用してますし」
テオフィルも軽く瞬いた。
「……万全、だな」
「学校ではこう習いました。避妊は男女共に責任があると」
「……そうか」
彼はのそりと分厚い体を浮かせ、ベッドの上に座り込んだ。
アネットはまた瞬いた。
「もういいのですか?」
「……責任を果たしているのが一方だけの状態では許されんだろう。まして男の俺の方が避妊を怠るなど、あってはならん事だ」
「真面目ですね」
「他に取り柄が無いからな」
背を向けたままベッドを抜け出たテオフィルは、壁際のフックからバスローブを掴み取って部屋を後にした。
ややあってバスルームの方からシャワーの音が聞こえ始める。
アネットも起き上がってバスローブを体に巻く。
少しひんやりとした生地が、ほてりを残す肌に心地いい。
避妊は男女共に責任がある。王都では常識だ。
――でも私の父親とやらには、その常識がなかった。
男爵家の嫡男で、陸軍所属だった。
基地から程近いレストランでウェイトレスをしていた母は、見目だけは良いその男に甘い言葉を囁かれ、弄ばれ、捨てられた。
母は十七歳でアネットを産んだ。実家の両親があれほど優しくなかったら母子は生きていけなかった。
一度祖父は、男爵家を訪ね「娘に一言詫びて欲しい」と乞うたらしい。
対応した男爵は、白い眼で祖父を見たと言う。
「むしろ倅に付き纏っていたのはお宅のお嬢さんなんですよ。思い出をくださいとか何とか言われて仕方なく相手をしたって倅は言っとります。そもそも本当に倅の種ですかね。ウェイトレスなんて、ねえ……? これ以上騒いで恥を掻くのはお宅なんですよ。でもまあ、あなたは勲章まで貰った国の英雄ですからね。あなたの功労に免じて今回は穏便に済ませてあげますよ。――お引き取りを」
祖父は肩を落として家に帰った。「すまんなあ。詫びさせられんかった」と詫びた祖父に、母は泣いて詫びた。
「お父さん、ごめんなさい。世間知らずで無知の私が悪いの。自業自得よ。だからこそこの子には良い教育を受けさせたい。私と同じ轍は絶対に踏ませないわ」
母はアネットの教育費を稼ぐ為に働き、過労が祟って肺炎なんかで亡くなった。
十二歳の頃、アネットは祖父の功績と財力に助けられ名門の王都学園に入学した。
その二年後に見たくもない光景を目の当たりにした。
実父の子供、異母妹が入学した。男爵家の馬車から降り立った一家を見て、アネットは思考が冷めていくのを感じた。
男爵を継承した実父は、美しい妻と娘を伴い微笑んでいた。妻も娘も晴れやかな表情で、穢れのない世界の住人という風に見えた。
実際にも貴族と平民の世界は違う。
「――でも貴女達を養ってる男はクズですよ」
言ってやったらどんなに胸がすくだろう。
想像だけに留めて、アネットは一家に背を向けた。完全に忘れ去る事が復讐になると思った。
けれどある日、異母妹の方から接触があった。
「あの……」
柱廊で呼び止められて、アネットは冷めた目で異母妹を振り返った。
「はい?」
「……その、私をご存知でしょうか」
「え? どちら様ですか?」
アネットがそう告げた瞬間、異母妹は心からの安堵の表情を浮かべた。
その顔は「良かった。この人は私を知らない。何か変な事を校内で言い広められる心配はない」と大書していた。
一方のアネットは「へえ、父親の所業を知ってるんだ」と意外に思った。
大人の話を盗み聞きしたのか、心無い使用人から耳打ちされたのか。
いずれにせよ、アネットには関係ない。
それで「急ぎますので」と素っ気なく言って異母妹と別れた。
知らないふりをしたにも拘わらず、その後も異母妹からの注視を度々感じた。
どうやらアネットをライバル視している。「この人にだけは負けてはならない」と勝手に意気込んでいる。
一度だけ、アネットは乗馬のクラスで最優秀成績を収めた事があった。
すると異母妹は乗馬の家庭教師を付け、近いスコアを取った。
アネットは、内心呆れていた。
――対抗する相手が違うわよ。
もっと他の令嬢に目を向けた方が良い。校内には秀才もいる。
校外には天才も鬼才もいる。
――世間知らず。
狭い世間で生きている。幸せだ。
アネットが卒業年になっても異母妹は相変わらずだったから、インターン先でヒットを飛ばした時はあからさまな態度を取った。
二度目の接触はこうだった。
「玩具なんかで、勝ったと思わないでくださいね」
アネットは再度「え? どちら様ですか?」と異母妹に告げた。
顔を真っ赤にして走り去る姿は、正直笑えた。アネットごときに対抗意識を燃やす異母妹が可笑しくて仕方がなかった。
「他に考える事ないの」と思った。
――そう。あの子は他に考える事がない。
だからもしアネットの停職を知れば「勝った!」と高笑いするだろう。
「アネット」
クルーザーの係留後、テオフィルが桟橋から手を差し出した。
大きな手に助けられて、アネットはひょいっと下船した。
カナリアイエローのストラップサンダルと小振りなバッグが陽光を照り返す。
シトリンのドレスウォッチにアンクレット。ホワイトの麦わら帽子にもカナリアイエローのリボン。
テオフィルのプレゼントは中々ネタが尽きない。
大事にされている、と思う。
「……だからって別に、勝ってない」
ほとんど口の中で呟いたアネットに、テオフィルが首で振り返った。
「ん、なんだ」
アネットは微笑んだ。
「何も。お腹空きましたね」
「ピッツァでも食うか」
「いいえ。ここはポップアップの定食屋さん一択です」
「昨日オープンした極東人の店か」
「入ったが最後、テンプーラに取り付かれるそうです」
「呪術の店か……?」
呪術の店に向かった。
テンプーラは最高だった。
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