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帝都編
57 黒い雨
トリスタン所属の小隊もまた、行方不明者の捜索に参加していた。
行方不明者、エレオノーレは森の西側で目撃されたのが最後となっている。
東側でなかったのは不幸中の幸いと言える。常に雷雲漂う東方面には凶暴なビーストの縄張りが幾つかある。
基本的にビーストの動きが活発になるのは夜間だと言われている。とはいえ常に悪天候に見舞われる森は昼間でも暗い。冬に向かう今の時期は特に、油断ならない。
森の危険レベルは平時でもイエローから脱しない。ディザスター・スピリットがなくとも、場所によっては常にレッドゾーンとなる。
ビーストは、強者ほど縄張りからほぼ動かない。住み分ける事でビースト同士は互いに無益な衝突を回避している。
危険な場所や時間帯を読めるという事だ。その意味では、西に繰り出し中の各捜索隊は気楽だった。
トリスタンの背後に、軍曹が歩み寄る。新兵であっても伯爵令息であるトリスタンに対し、年配の彼は丁寧に語り掛けた。
「――日が暮れる前に捜し出さないとマズいです」
軍曹の上官でも先輩でもないトリスタンは、厳かに頷いて見せた。
「クマが出るんだよな?」
「はい。連中は我らより遥かに夜目が利きますし個体数が多い分、遭遇率が高いのでビーストよりも厄介です。脅威評価がビーストに劣るのは、銃弾で仕留められるからに他なりません」
「急襲は恐いけど所詮はただの獣って事か。軍曹は射撃が得意か?」
「早撃ちなら辺境では敵無しです」
「頼もしいな」
不意に、軍曹とは逆方向から伸びた背後の手がトリスタンの腕をがっと掴んだ。
脳筋護衛ことドニが、トリスタンに耳打ちした。
「――俺の野性の勘が言ってます、これ以上進むのはヤバいと」
報せを受け、トリスタンは唇の端を引き上げた。
「やっと僕の見せ場が――」
ドニが黒い空を睨み上げる。
続いたトリスタンも瞳を爛々と輝かせて低い雲を仰いだ。
魔法学科の生徒達によるフィールドワークは、続いていた。
捜索指令を受けたのは兵士らだけで、民間人には関係ない。人目は多い方がいいから、敢えて森から出る指示もない。森自体が危険になった訳ではない。迷子が出ただけの事だ。
研究に余裕のある生徒に至っては、親切心から捜索を手伝っている。
エレオノーレの最後の目撃場所から近い事もあって、シルヴィーもまた遺留物などの手掛かりを求めて施設近辺を歩き回っていた。
周囲に兵士達や学生達の姿が見えている。これ以上遠くにはいかない。
――さすがにヴィンツェンツ殿下のパフォーマンスは中止になるわね。
彼の到着までに迷子が見付からなければ、彼の部隊も捜索に加わるだろう。
想念したシルヴィーの視界の端で、森を駆ける人影があった。
フリーダだ。「今、お嬢様の声が!」と喚いている。彼女の後を兵士らが「離れないで!」と追う様を見て、シルヴィーも彼らの方に足を向けた。
「シルヴィー様」と背後でモニカが慌てる。
シルヴィーは彼女に首で振り返って、片手で制止を促した。
「貴女はそこにいて。私はフリーダさんの様子が気になるだけだから」
付近は兵士まみれ。この状況で強大な敵と遭遇する事など有り得ない。
有り得なかった。
強大な敵が上から来た。
カラスの声に似た咆哮が轟いた直後、分厚い雲を突き破って漆黒の塊が急降下してきた。一直線の軌道。隕石ではない。
落下する巨体を認め、森は騒然となった。
研究所のフェンス越しにデーニッツがほとんど怒鳴った。
「カラスだ! 逃げろ! すぐ攻撃が来る!」
彼の声で、シルヴィーは昨日のビースト講座を思い出した。あのカラス型のビーストは散弾のように羽根を放出すると言う。
巨大なカラスは、ロケット弾さながら地上に迫った。突然、両翼をばんっと開いて空中停止する。まるで凧だ。急ブレーキが攻撃姿勢を兼ねている。
森のあちこちから天を向いた銃口が火を噴いた。漆黒のボディに火の粉が弾けるばかりで空中姿勢はびくともしない。
ビーストは鉛の弾丸では仕留められない。強烈なキャノンか火炎放射器が要る。見える範囲にその装備はない。
誰も、カラスが出るとは予想出来なかった。出る筈がない。東の丘陵地帯に生息するビーストだ。デーニッツ曰く、本来はかなり大人しい。
「余程身に迫った危険がない限り、他の生物を襲う事はありません。岩みたく動かない奴なんですよ――」
――どうしてここにいる。
誰もが思った。
人の疑問に答える事無く、カラスの両翼がぶわっと後ろに引かれる。武器の使用法は扇子と同じだ。扇げばいい。
カラスは力任せに左右の扇子を大きく扇いだ。押し出された大気が強風と化し、同時に無数の羽根が放出され、黒い雨になって地上に降り注ぐ。
シルヴィーは、見通しのいい空を仰いだまま動けなかった。空と自分の間に障害物はない。木々が伸ばす細い枝があるだけでネットにもならない。
金縛りの最中、やけに時間が遅く感じられた。やけに周囲の状況が見えた。
後ろから背中を押す手は後輩だろう。覆い被さって盾になろうとしてくれている。
多分間に合わないし、二人揃って黒い雨に貫かれ、穴だらけになる。自分達はカラスの射程圏内に入ってしまっている。
死を目前にした面々から怒号と悲鳴が沸いていた。フリーダの泣き叫ぶ声はよく通るので、距離があっても聞き分けられる。彼女の方にも黒い雨は届く。
金切り声の合間にトリスタンの呼び声を聞いた。視界の端に辛うじて見る事も出来た。大柄の兵士が巨樹の根元に彼を引っ張り込んでいる。太い根がうろのようになっているから、ギリギリ彼らは助かりそうだ。
シルヴィーはここで死ぬ。間もなく黒い雨がザーッと降って来る。
――死んだらもう会えない。
ヴィンツェンツの笑みが脳裏に浮かび、白んで消えた。
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