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エピローグ章
82 誰のもの
南方大陸に来て以来、ジュリエットはパンと菓子を焼く日々を送っていた。
昔ながらの製法で作られたそれらを買い求め、付近の信徒らが毎日のように教会を訪れる。
海を臨む丘に立つ石造りの建物は、強い日差しの割には過ごし易い。海風が涼を齎してくれる。
正午前。教会の一角に建つ売店が、ジュリエットの職場になる。
石で出来たカウンターの窓口越しに信徒のオーダーを聞き、小銭と引き換えに商品を渡す。買い物の列が絶えるまで同じ動作を繰り返す。
お使いであろう小さい子供の手が硬いパンと菓子の包みを受け取り、言った。
「シスター、有難う!」
「……神のご加護を」
退屈で、穏やかな時間が過ぎて行った。
午後。教会内で神学を学ぶ。赴任中の司祭が教師を務める。学問が途中になってしまったジュリエットの事情を知った彼が「それは勿体ない」と惜しみ、講座を開いてくれた。
「どうせ暇なんでね、はっは」
暇は平和の象徴だ。良い事だ、とジュリエットは思った。
講座を終えた後、ジュリエットに来客があった。
凛々しい軍服姿は王女だ。一行の先頭に立つ彼女は、ジュリエットに切り出した。
「貴女の望んだ通り、お出まし頂いた」
ジュリエットは頷いた。
亡国皇族の末裔が来た。ジュリエットと同じく南国暮らしをしているその老婦人はヘリテイジで「掌握するヘリテイジから原始の魔法を奪う」スペルを持っていた。
魔法の対抗というのは一つではなく色々ある。特に王族や皇族はものが違う。
ジュリエットは上品な老婦人に頭を下げた。
「お願い致します」
老婦人は頷き、ジュリエットの手を取った。
ほんの数秒でジュリエットはチャージ期間を終えた。
見届けた王女は、ジュリエットに言った。
「これで貴女への制約は失せたも同然だ。なにも海外領土で一生修道女を続ける事はないぞ。都会の優雅な暮らしに戻っても誰も貴女を責めはしない」
ジュリエットは首を左右に振った。
「償いはまだ始まったばかりです。私は父を失望させ、幼馴染達を散々振り回してきました。その責め苦から逃れるつもりは毛頭ありません」
さすがの王女も、これを説得出来る言葉は持ち合わせていなかった。
「まあ、気が済むまでやるといい。我らが見守ろう」
ジュリエットは笑みで王女を振り返った。
「殿下のご婚礼の際には、ぜひ祈らせて頂きます」
「……それはどうも。いつになるか分からんがな」
王女の密かな恋人をジュリエットは知っている。海兵隊所属の士官で、今は南方大陸の東側にいる。こちらは西側。密林を挟んで真逆に位置する。
真っ黒に日焼けした岩のような士官は、ジュリエットの輸送任務を指揮していた。
王女を気遣う大男を見て、ジュリエットは苦笑してしまった。
――噂に聞くスマートな第三皇子とは似ても似つかないタイプ、って事ね。
こうなると、王女は敢えてメイジ開花に至らなかったと思えてくる。
王女には幸せになってもらいたい。自分では掴めないものを掴んで欲しい。
――シルヴィーにも、トリスタンにも。
生まれて初めて、ジュリエットは自分以外の幸福を願った。やっと願えるようになったのだ。
こんな風になれた事を神に感謝し、誇りたい。
月末の金曜日。
帝都学園の学期末試験期間が明けた。
一週間に及ぶ緊張から解放されたシルヴィーは、浮かれ気分で城に帰った。
サロンにウサギを呼び出してまったりする。いつものように狭い額を撫で付けられてウサギはお耳ペタン。世界一可愛い。
至福の最中、廊下から騒がしい気配がした。
振り返ったシルヴィーは、丁度戸口に現れたヴィンツェンツと目を合わせた。
彼はいつかと似た恐い顔をしている。
「殿下?」
「シルヴィー、共に来てくれ」
「え、どちらに」
ヴィンツェンツは低く告げた。
「玉座の間へ」
シルヴィーは瞬いた。
学生服のまま玉座を前にするのは、入国以来となる。
そもそも玉座の間に踏み入るのも今日で二度目なのだけれど。
階段にして五段上にある玉座には皇帝夫妻が、その左右には皇族の凡そ五分の一が顔を揃えている。
裁判の様相を呈した現状を見渡して、シルヴィーは傍らに立つヴィンツェンツを見やった。
相変わらずの怖い顔で両腕を組み、仁王立ちしている。
彼が睨み据える先、レッドカーペットの斜め前には長い銀髪を揺らす美しい後ろ姿があった。
エレオノーレがこの場を要求した。彼女は、シルヴィーの魔法について異議申立てがあると言う。皇室の機密に抵触する内容である為、今回の皇族が集まる事態に発展した。
大事を起こした張本人のエレオノーレは、声を上げた。
「ウサちゃんのサモンは不当です!」
これはどういう事かというと、シルヴィーが特定のビーストを毎日のように占有している状態は不公平かつ不自然ではないのか、という主張だ。
エレオノーレは続けた。
「ウサちゃんは自然のものです。誰のものでもありません!」
皇帝夫妻も皇族達も閉口している。
こう思っている。「この子、急に自然主義に目覚めたのかな……」
尤も、自然主義は違うだろう。彼女は都会で文明に囲まれ、文明を謳歌して暮らしている。
意味不明のエレオノーレは言い張った。
「そもそも先にウサちゃんと出会ったのは私です! 私のウサちゃんです!」
皇帝夫妻も皇族達も閉口を続けた。
こう思った。サモンは「早い者勝ち」制ではないし――たった今自分の口でウサちゃんは自然のもので誰のものでもないと言ったではないか。
謎の主張のエレオノーレはキッと眦を吊り上げ、シルヴィーを首で振り返った。
「あの人が独占している限り、私はウサちゃんを呼びたくても呼べません!」
皇帝が嘆息した。
「……そなたはサモンを出来ぬのだから同じであろう」
「練習中です!」
「……練習するのは勝手だがな」
皇后が扇子を開いた。
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「ウサちゃんがいいんです!」
幼い言い分を受け、皇后の双眸が細められた。
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