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6. 全身白の使用人
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真夏の電車で冷房が故障していた。家畜の群れのように通勤する汗だるまたちがひしめきあっている。カビだらけの蒸し風呂に着衣のまま閉じ込められたようだ。熱帯雨林で腐りかけたピクルスみたいな酢の臭いがする。冷房が故障していることと、電車が遅延していることを感情なく謝罪するアナウンスが、再三再四繰り返し延々と重ね重ね頻りに度々ループする。熱気が汗とともに爆ぜてしまいそうだった。不快指数は計測不能なほど振り切れていた。その満員電車に、5歳の庵と6歳の私と、使用人の女性が場違いに乗りあわせていた。東京都美術館でのギャラリー展で展示されているミレイの「オフィーリア」をすぐに見たいという庵の希望により、通勤ラッシュと鉢合わせていた。
私の家には使用人が供給過多なほどいた。彼らはみんな性差なく没個性的に襟なしの白シャツを着ており、白のチノパンツを履いていた。何もせずに一カ所に留まっている使用人を見かけることもあったし、雑草ひとつない庭園の掃除をし続ける使用人を見かけることもあった。
私はそれら全身白の使用人がみんな気持ち悪いと思っていた。全員が違う顔をしているのに、同じ矯正器具で定着させたように似た笑顔を浮かべていた。型番が違うだけの量産型使用人で構成された機械的な没個性集団だった。
鬱屈としたこの電車で、彼が癇癪を起こしたことを覚えている。暑さも相まって、顔を真っ赤にして喉が潰れてしまうほど泣き叫んだ。全身白の使用人は人形のようにただ見つめていた。
彼はとても繊細な人間だった。その皮一枚ぺろんと剥いだような剥き出しの感受性のせいで、一滴の毒が強すぎる刺激となる。その才能のせいで集まるあらゆる批判に打ちのめされ、痣だらけで19歳まで生きた。
冷房の故障を詫びるアナウンスが流れる。次の駅に到着する前に、電車が停止する。甲高い叫び声が電車内に反響する。
「親だったらちゃんと躾けろ!」と遠くから男性の怒声が響く。
「わたしの子じゃありません!」と使用人の女性の怒声が響く。
混雑する展覧会で庵は、「オフィーリア」を何時間も眺め続けた。私はそれを、捏造された俯瞰映像として記憶している。絵画の前を人の群れが早送りの映像のように流れていく中で、彼だけが一時停止されているみたいだった。絵画の真正面に、展示物の彫刻を真似るみたいに動かずに、夢中でまばたきすら忘れてしまったみたいに、絵画の世界へめり込むように見入っていた。
彼は眼に映った対象を写真のように記憶する映像記憶が可能であることが後に判明する。そんな能力があるのなら、写真のような記憶を鑑賞して、何時間も生の絵画を見続ける必要はないんじゃないかと彼に訊いたことがあった。
「記憶の時点でもうそれは模写だよ。本物じゃない」と彼は愚問へ回答するように答えた。
私は私が記憶しているミレイの「オフィーリア」を目を閉じ思い描いてみた。眼で見るのではなく、脳で視てみる。言葉では形容しがたい。それは本物とは違う、形が似ている何か他のもののように思えた。
私は一体何を視ているのだろうか。私が視るそれと、彼が視るそれは、何か違うのだろうか。
私の家には使用人が供給過多なほどいた。彼らはみんな性差なく没個性的に襟なしの白シャツを着ており、白のチノパンツを履いていた。何もせずに一カ所に留まっている使用人を見かけることもあったし、雑草ひとつない庭園の掃除をし続ける使用人を見かけることもあった。
私はそれら全身白の使用人がみんな気持ち悪いと思っていた。全員が違う顔をしているのに、同じ矯正器具で定着させたように似た笑顔を浮かべていた。型番が違うだけの量産型使用人で構成された機械的な没個性集団だった。
鬱屈としたこの電車で、彼が癇癪を起こしたことを覚えている。暑さも相まって、顔を真っ赤にして喉が潰れてしまうほど泣き叫んだ。全身白の使用人は人形のようにただ見つめていた。
彼はとても繊細な人間だった。その皮一枚ぺろんと剥いだような剥き出しの感受性のせいで、一滴の毒が強すぎる刺激となる。その才能のせいで集まるあらゆる批判に打ちのめされ、痣だらけで19歳まで生きた。
冷房の故障を詫びるアナウンスが流れる。次の駅に到着する前に、電車が停止する。甲高い叫び声が電車内に反響する。
「親だったらちゃんと躾けろ!」と遠くから男性の怒声が響く。
「わたしの子じゃありません!」と使用人の女性の怒声が響く。
混雑する展覧会で庵は、「オフィーリア」を何時間も眺め続けた。私はそれを、捏造された俯瞰映像として記憶している。絵画の前を人の群れが早送りの映像のように流れていく中で、彼だけが一時停止されているみたいだった。絵画の真正面に、展示物の彫刻を真似るみたいに動かずに、夢中でまばたきすら忘れてしまったみたいに、絵画の世界へめり込むように見入っていた。
彼は眼に映った対象を写真のように記憶する映像記憶が可能であることが後に判明する。そんな能力があるのなら、写真のような記憶を鑑賞して、何時間も生の絵画を見続ける必要はないんじゃないかと彼に訊いたことがあった。
「記憶の時点でもうそれは模写だよ。本物じゃない」と彼は愚問へ回答するように答えた。
私は私が記憶しているミレイの「オフィーリア」を目を閉じ思い描いてみた。眼で見るのではなく、脳で視てみる。言葉では形容しがたい。それは本物とは違う、形が似ている何か他のもののように思えた。
私は一体何を視ているのだろうか。私が視るそれと、彼が視るそれは、何か違うのだろうか。
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