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46. 最強の脳内麻薬
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堕ちた神童VS盲目の天才VS藝大首席の秀才VS神の名を冠したAI。ニューヨークのチェルシーアート街にあるギャラリーが主催する絵画コンペティションが開催される。そのギャラリーにて催される煌びやかなレセプションで、コンペティションの最高賞が発表される。
慢性痛やあらゆる痛みのせいで上手く歩けずにいる宇佐美庵は、そのレセプション会場へ向かう道すがら、白人と黒人の二人組に絡まれる。
「ニーハオ」と白人の男は不均一に歪んだ笑顔を浮かべながら中国語の挨拶をしてから、合掌して頭を下げた。
19歳の庵はそれを無視して歩を進めようとするが、白人がそれを邪魔しながら喋る。
「What’s up bro? Where are you from? Hey, can you hear me? Do you speak English? Why are you ignoring me? It hurts man. (よお。どこから来たの?聞こえてる?英語喋れる?なんで無視すんの?傷つくよ)」
「Get away. (どけよ)」と庵がぽつりと言う。
「Hey. What's wrong with you? I’m trying to be nice. Bitch. (おい、お前なんなんだよ。こっちは親切にしてやってるんだよ。ビッチ野郎) 」
白人は庵の顔面に唾を吐きかける。泡立った生温かい痰が頬を伝う。黒人はそれを見て、にやついている。
「Go back to China! Go home now! ASAP! (中国に帰れ!家に帰れ!今すぐに!)」と白人が怒鳴る。
庵はその唾を袖で拭い、白人を押しのけて前へ進もうとする。すると、黒人が喧嘩を仲裁するように間に入り、庵を抑えつけようとする。恰も庵が喧嘩を吹っかけたような振る舞いだった。
「Hey, hey, hey. Be cool. Be cool dude. Don’t be rude. (おい、落ち着けよ。落ち着け。無礼だぞ)」と黒人は庵に向かって諭すように言う。彼らにとっては、これはそういう遊びなのだろう。
庵の顔立ちは、東洋人からすれば西洋的であるが、西洋人からすれば東洋的であるらしい。アジア系民族に対する無差別的な差別行為だった。
「You have a cool eyepatch. Give it to me. (おい、イカした眼帯つけてんな。くれよ)」と白人が半笑いで庵に言う。
「Try not to be rude bro. (無礼になるなよ)」と黒人が半笑いで庵に言う。
庵は眼帯を外し、左眼の穴ぼこを晒す。モノモライとでも思っていたのか、白人はその穴ぼこに怯んだみたいで、顔の皮膚が綺麗に剥がれるように笑顔が消え、「What a fuck.」とだけ小さく呟き、奪った眼帯を踏みつけてからその場を去った。白人の後首には、煙草を押し付けられたような黒く丸い痕がいくつかあった。黒人は去り際に、「Ugly monkey. Shame on you.(醜い猿だな。恥を知れ)」と言い残した。黒人の額には、白く盛り上がった古傷があった。
宇佐美庵は辿り着いたレセプション会場でぽつりと椅子に座り、何があるでもない斜め上を凝視していた。左眼の穴ぼこは晒され、麻の糸で縫いつけられたような笑顔を彼は浮かべていた。すると神経質そうな眉をした女が彼に声を掛ける。
「ちょっといいかしら?」
庵はそれを無視して、斜め上を凝視する。彼女はその視線の先を見てみるが、そこに何があるわけではなかった。
「ちょっといいかしら?」と苛立ちのニュアンスを織り交ぜた口調で再度言って、彼の視界に自らをねじ込むように顔を覗く。
「なに?」と女を一瞥せずに庵は答える。
「一体何を見ているんだか」
「壁と天井の境を見てる」
「作為的な天才風味がすごいですね」
「僕は天才だよ」
「あなたは過激であれば芸術であるとお考えですか?私はあなたの過激な絵に精神的な苦痛を受けました。これはもうハラスメントです。あなたの絵画を展示しないよう依頼するための嘆願運動の一環として、署名を集めています。変態的な絵画は息子への悪影響になります。担任に呼び出されたかと思えば、学校で飼育している鶏を息子が虐待したそうです。原因を探るため問い詰めると、息子はあなたの悍ましい絵画を好んでいるようなのです。今後は過激な絵画表現を控えていただけますか?善良で無垢であるが故に悪影響を受けやすい子供達への被害を考えたことはありますか?あなたの暴力嗜好の絵画のせいで、息子が事件を起こしたとき、息子の身代わりであなたが罰を受けることができますか?それはできないでしょう?あなたの絵画に悪影響を受けた場合、その責任をどうやって取るつもりですか?」
「知らん」
「は?時代錯誤が甚だしいですね。表現者としてその表現に責任を負うべきですよね?子の罪の責任が親にあるように、表現者にも作品の責任があるはずです。私なんか難しいこと言ってます?私なんか間違ったこと言ってます?」
「いや、別に。どうでもいい」
「無責任もいいところですね。子の罪の責任が親にあるなら、私の子が犯した罪の責任は私が負うべきって思いました?思いましたよね?ねえ、思いましたよね?」
「はあ」と庵が曖昧な肯定をすると、女は罠にかかったというようににやりと笑った。
「だから、今こうして、その芽を摘んでいるんですよ。事後では遅すぎる。事件が起きてからでは、責任なんて取りきれるものではない。事件を未然に防ぐ必要がある。だからこそ、その事件の原因となりうるすべてを虱潰しに駆除しているんです。私はあなたをどうしても潰しておきたい。絶対に潰す」
「暇なの?他にやることないの?雁字搦めなリベラルによる芸術狩り。すべてを制御下に置けるなんて驕らないほうがいい。抑えつければ抑えつけるほどに、歪んでいくよ。芸術家は教育者ではない。僕のこの絵画が誰かの心を揺さぶるかもしれない。それにはあなたが想像する以上の価値がある」
「過激でないと表現できないなんて、貧しい芸術ですね。それ以外で勝負してみようとは思わないんですか?芸術家としての底が知れてますね」
「過激さだけを表現したいわけじゃない。僕の芸術に過激さが必要なだけだ。スパイスなしのカレーなんて食えたものじゃない。例えスパイスなしで美味しいカレーができたとしても、もうそれはシチューだ」
「意味不明です。誰もカレーとかシチューの話なんてしていません。例えばあちらのほうに飾られているあなたの作品ですが、こんな穢れた絵で心が揺さぶられるのは、変態だけです。あまりに病的で破廉恥すぎる。あなたの絵も、あなたの祖父の絵も、大嫌いです。非常に不愉快です。見なければいいという意見もあるかもしれませんが、どうしても目に入ることがある。美しい本物の絵を見ていると、ふと目に入るんです。本物の中に紛れているんです、贋物が。とても不愉快です。創作しないでください。創作してもいいから、発表しないでください。どうせ自慰みたいな作品なんだから」
「自慰じゃなくて、自傷だよ」
「会話になりませんね。このくらいにしておいてあげます。大多数の人間が気付き、あなたのようなエセ芸術家が淘汰される時代が来る。さようなら」
「はい、さようなら」
神経質そうな眉をした女の腕には、青痣があった。
スカイラー・トンプソンはレセプション会場に集った記者の前で、「I am NOT an artist. I am NOT an imposter. I am an engineer. In Silicon Valley, geniuses make algorithms, and then ordinary engineers make apps using their algorithms. (私はアーティストではない。私は詐欺師でもない。私はエンジニアだ。シリコンバレーでは、天才がアルゴリズムを作り、凡人がそれを使ってアプリを開発する)」と発言した。
瀬戸勇気はレセプション会場の隅で汗だくで震えていた。敵が悪すぎる。敗北できない戦いで、勝利できそうにない怪物を倒さなければならない。しかも、怪物は二匹いる。雨海柊と宇佐美庵。奴らの絵画が並んで展示されているのを見て、津波に飲まれるように圧倒された。奴らには勝てる気がしない。とんだ噛ませ犬だ。犬死してたまるかと踏ん張ろうとするが、もう絵を修正するわけにもいかず、震える以外に何をすることもできない。
「俺は絵画を愛していた。絵画は俺を愛してはいなかった。どうやらこれは長い長い片想いだったみたいだ」と自嘲に酔うように彼は言った。
雨海柊が彼の母親の介抱を受けながら、音もなく宇佐美庵の隣の椅子に腰を下ろす。
「久しぶりだね、庵」と柊はカシミヤのように柔らかで温かみのある口調でそう言った。盲目である彼は、色眼鏡で眼球を隠している。顔の角度から、伏し目で斜め下を凝視しているように見える。
「久しぶり、柊」と庵が仰ぐように斜め上を凝視しながら答える。
ギャラリーのオーナーがマイクを手に何かを喋っている。彼女が最高賞を発表する手筈となっている。その前口上に掻き消されてしまう虫の羽音のような弱々しい音量で、柊が庵に語り始める。
「きっと君の絵は、僕の絵なんかより美しいんだろう。見てみたいな。僕は言葉の世界に生きている。君は映像の世界に生きている。僕の世界は光のない暗闇だ。どれほど言葉を尽くしても、たった一枚の絵さえ表現することはできないだろう。
必ず盲目ということが付いて回る。盲目の画家。盲目の天才。君のことを健常者の画家なんて言わないだろう。この人たちは全員、僕のことを下に見ている。障害者であると同情している。盲が頑張って絵画を描けるなんてすごいねってね。僕が障害者であるということで感動を演出しようとする人々。その演出に涙する人々。茶番劇の主役に祭り上げられて、滑稽に踊らされている。僕は怒っているんだ。顔も知らないこの人たちに対して、怒っている。僕たちは健常者たちを感動させるために消費される道具ではない。盲目の僕ですら見透かせる作為的な演出だ。
芸術の他に何ができるっていうんだ。将来まともな職に就ける気がしない。職を得たとしても、会社のお荷物になるだろう。障害で可能性はことごとく潰される。僕には芸術しかない。芸術は多様性の受け皿だ。盲目が絵を描いてもいいし、聾唖が音楽を奏でてもいい。このハンディを活かせるのは芸術だけだ。貧しさも絶望も知らずに、芸術なんてできないよ。
僕はこの人生がドッキリなのが怖い。いつか種明かしをされるんだ。僕の絵画は本当は子どもの落書き以下のもので、世界が口裏を合わせていて、それを絶賛しているんだ。不幸な盲目の青年を励ますために。本当はみんな心の底から優しくて、善意に溢れていて、僕が落ち込んでしまわないように、精神が病んでしまわないように、嘘を吐き続けている。そんなことを想像すると震える。僕は、世界が優しくなければいいと願うんだよ。
障害者がすべて善人だと思ってないか。健常者もそうであるように、善人もいるけど、悪人もいる。僕は表づらがいいだけだ。何故だかわかる?それは他人に依存しなければ生きていけないからだ。障害者は悪人になることすら制限される。
このコンペティションでも、僕は負ける気がしない。どうしてだと思う?それは僕が盲目だからだよ。不平等であると思うかい?僕はそうは思わない。健常者である君と、障害者である僕、どちらが人を感動させることができると思う?障害者である僕だよ。盲目であることでどれだけ犠牲を払っていると思う?それを考えると、僕には正当な評価であるように思える。それと同時に、盲目であるが故に、僕の絵画そのものを純粋に評価されることはないんだ。僕は君が羨ましい。自分の作品を見ることができる君が羨ましい。絵画で勝負ができる君が羨ましい。僕は自らが描いた絵を見て、評価や改善したりすることもできない。君は持ってして恵まれた。僕は持たずして恵まれた。君にだけとっておきの秘密を教えてあげる。誰にも言ったことのない秘密だよ。ある批評家が僕の絵画を観て、世界の真理を見たようだと言ったんだよ。彼は何もわかっていない。だって、僕は何もわかっていないから。ただ筆を持って、てきとーに手を動かしてるだけなんだ」
ギャラリーのオーナーが最高賞を高らかに発表する。最高賞に選ばれたのは、宇佐美庵の絵画だった。雨海柊の絵画はそれに次ぐ優秀賞に選ばれ、スカイラー・トンプソンと瀬戸勇気の絵画は何も受賞しなかった。
「光を視た。僕が視ている世界を、君にも視てほしい」と柊は庵に微笑みながら言った。
庵の絵画には、ボート上で油絵の具に塗れて窒息死した彼が描かれていた。彼は最高賞受賞者のスピーチで、「死ぬ気で描いた。ただこの絵は未完成だ。最強の脳内麻薬をつくる」と言った。
慢性痛やあらゆる痛みのせいで上手く歩けずにいる宇佐美庵は、そのレセプション会場へ向かう道すがら、白人と黒人の二人組に絡まれる。
「ニーハオ」と白人の男は不均一に歪んだ笑顔を浮かべながら中国語の挨拶をしてから、合掌して頭を下げた。
19歳の庵はそれを無視して歩を進めようとするが、白人がそれを邪魔しながら喋る。
「What’s up bro? Where are you from? Hey, can you hear me? Do you speak English? Why are you ignoring me? It hurts man. (よお。どこから来たの?聞こえてる?英語喋れる?なんで無視すんの?傷つくよ)」
「Get away. (どけよ)」と庵がぽつりと言う。
「Hey. What's wrong with you? I’m trying to be nice. Bitch. (おい、お前なんなんだよ。こっちは親切にしてやってるんだよ。ビッチ野郎) 」
白人は庵の顔面に唾を吐きかける。泡立った生温かい痰が頬を伝う。黒人はそれを見て、にやついている。
「Go back to China! Go home now! ASAP! (中国に帰れ!家に帰れ!今すぐに!)」と白人が怒鳴る。
庵はその唾を袖で拭い、白人を押しのけて前へ進もうとする。すると、黒人が喧嘩を仲裁するように間に入り、庵を抑えつけようとする。恰も庵が喧嘩を吹っかけたような振る舞いだった。
「Hey, hey, hey. Be cool. Be cool dude. Don’t be rude. (おい、落ち着けよ。落ち着け。無礼だぞ)」と黒人は庵に向かって諭すように言う。彼らにとっては、これはそういう遊びなのだろう。
庵の顔立ちは、東洋人からすれば西洋的であるが、西洋人からすれば東洋的であるらしい。アジア系民族に対する無差別的な差別行為だった。
「You have a cool eyepatch. Give it to me. (おい、イカした眼帯つけてんな。くれよ)」と白人が半笑いで庵に言う。
「Try not to be rude bro. (無礼になるなよ)」と黒人が半笑いで庵に言う。
庵は眼帯を外し、左眼の穴ぼこを晒す。モノモライとでも思っていたのか、白人はその穴ぼこに怯んだみたいで、顔の皮膚が綺麗に剥がれるように笑顔が消え、「What a fuck.」とだけ小さく呟き、奪った眼帯を踏みつけてからその場を去った。白人の後首には、煙草を押し付けられたような黒く丸い痕がいくつかあった。黒人は去り際に、「Ugly monkey. Shame on you.(醜い猿だな。恥を知れ)」と言い残した。黒人の額には、白く盛り上がった古傷があった。
宇佐美庵は辿り着いたレセプション会場でぽつりと椅子に座り、何があるでもない斜め上を凝視していた。左眼の穴ぼこは晒され、麻の糸で縫いつけられたような笑顔を彼は浮かべていた。すると神経質そうな眉をした女が彼に声を掛ける。
「ちょっといいかしら?」
庵はそれを無視して、斜め上を凝視する。彼女はその視線の先を見てみるが、そこに何があるわけではなかった。
「ちょっといいかしら?」と苛立ちのニュアンスを織り交ぜた口調で再度言って、彼の視界に自らをねじ込むように顔を覗く。
「なに?」と女を一瞥せずに庵は答える。
「一体何を見ているんだか」
「壁と天井の境を見てる」
「作為的な天才風味がすごいですね」
「僕は天才だよ」
「あなたは過激であれば芸術であるとお考えですか?私はあなたの過激な絵に精神的な苦痛を受けました。これはもうハラスメントです。あなたの絵画を展示しないよう依頼するための嘆願運動の一環として、署名を集めています。変態的な絵画は息子への悪影響になります。担任に呼び出されたかと思えば、学校で飼育している鶏を息子が虐待したそうです。原因を探るため問い詰めると、息子はあなたの悍ましい絵画を好んでいるようなのです。今後は過激な絵画表現を控えていただけますか?善良で無垢であるが故に悪影響を受けやすい子供達への被害を考えたことはありますか?あなたの暴力嗜好の絵画のせいで、息子が事件を起こしたとき、息子の身代わりであなたが罰を受けることができますか?それはできないでしょう?あなたの絵画に悪影響を受けた場合、その責任をどうやって取るつもりですか?」
「知らん」
「は?時代錯誤が甚だしいですね。表現者としてその表現に責任を負うべきですよね?子の罪の責任が親にあるように、表現者にも作品の責任があるはずです。私なんか難しいこと言ってます?私なんか間違ったこと言ってます?」
「いや、別に。どうでもいい」
「無責任もいいところですね。子の罪の責任が親にあるなら、私の子が犯した罪の責任は私が負うべきって思いました?思いましたよね?ねえ、思いましたよね?」
「はあ」と庵が曖昧な肯定をすると、女は罠にかかったというようににやりと笑った。
「だから、今こうして、その芽を摘んでいるんですよ。事後では遅すぎる。事件が起きてからでは、責任なんて取りきれるものではない。事件を未然に防ぐ必要がある。だからこそ、その事件の原因となりうるすべてを虱潰しに駆除しているんです。私はあなたをどうしても潰しておきたい。絶対に潰す」
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「過激でないと表現できないなんて、貧しい芸術ですね。それ以外で勝負してみようとは思わないんですか?芸術家としての底が知れてますね」
「過激さだけを表現したいわけじゃない。僕の芸術に過激さが必要なだけだ。スパイスなしのカレーなんて食えたものじゃない。例えスパイスなしで美味しいカレーができたとしても、もうそれはシチューだ」
「意味不明です。誰もカレーとかシチューの話なんてしていません。例えばあちらのほうに飾られているあなたの作品ですが、こんな穢れた絵で心が揺さぶられるのは、変態だけです。あまりに病的で破廉恥すぎる。あなたの絵も、あなたの祖父の絵も、大嫌いです。非常に不愉快です。見なければいいという意見もあるかもしれませんが、どうしても目に入ることがある。美しい本物の絵を見ていると、ふと目に入るんです。本物の中に紛れているんです、贋物が。とても不愉快です。創作しないでください。創作してもいいから、発表しないでください。どうせ自慰みたいな作品なんだから」
「自慰じゃなくて、自傷だよ」
「会話になりませんね。このくらいにしておいてあげます。大多数の人間が気付き、あなたのようなエセ芸術家が淘汰される時代が来る。さようなら」
「はい、さようなら」
神経質そうな眉をした女の腕には、青痣があった。
スカイラー・トンプソンはレセプション会場に集った記者の前で、「I am NOT an artist. I am NOT an imposter. I am an engineer. In Silicon Valley, geniuses make algorithms, and then ordinary engineers make apps using their algorithms. (私はアーティストではない。私は詐欺師でもない。私はエンジニアだ。シリコンバレーでは、天才がアルゴリズムを作り、凡人がそれを使ってアプリを開発する)」と発言した。
瀬戸勇気はレセプション会場の隅で汗だくで震えていた。敵が悪すぎる。敗北できない戦いで、勝利できそうにない怪物を倒さなければならない。しかも、怪物は二匹いる。雨海柊と宇佐美庵。奴らの絵画が並んで展示されているのを見て、津波に飲まれるように圧倒された。奴らには勝てる気がしない。とんだ噛ませ犬だ。犬死してたまるかと踏ん張ろうとするが、もう絵を修正するわけにもいかず、震える以外に何をすることもできない。
「俺は絵画を愛していた。絵画は俺を愛してはいなかった。どうやらこれは長い長い片想いだったみたいだ」と自嘲に酔うように彼は言った。
雨海柊が彼の母親の介抱を受けながら、音もなく宇佐美庵の隣の椅子に腰を下ろす。
「久しぶりだね、庵」と柊はカシミヤのように柔らかで温かみのある口調でそう言った。盲目である彼は、色眼鏡で眼球を隠している。顔の角度から、伏し目で斜め下を凝視しているように見える。
「久しぶり、柊」と庵が仰ぐように斜め上を凝視しながら答える。
ギャラリーのオーナーがマイクを手に何かを喋っている。彼女が最高賞を発表する手筈となっている。その前口上に掻き消されてしまう虫の羽音のような弱々しい音量で、柊が庵に語り始める。
「きっと君の絵は、僕の絵なんかより美しいんだろう。見てみたいな。僕は言葉の世界に生きている。君は映像の世界に生きている。僕の世界は光のない暗闇だ。どれほど言葉を尽くしても、たった一枚の絵さえ表現することはできないだろう。
必ず盲目ということが付いて回る。盲目の画家。盲目の天才。君のことを健常者の画家なんて言わないだろう。この人たちは全員、僕のことを下に見ている。障害者であると同情している。盲が頑張って絵画を描けるなんてすごいねってね。僕が障害者であるということで感動を演出しようとする人々。その演出に涙する人々。茶番劇の主役に祭り上げられて、滑稽に踊らされている。僕は怒っているんだ。顔も知らないこの人たちに対して、怒っている。僕たちは健常者たちを感動させるために消費される道具ではない。盲目の僕ですら見透かせる作為的な演出だ。
芸術の他に何ができるっていうんだ。将来まともな職に就ける気がしない。職を得たとしても、会社のお荷物になるだろう。障害で可能性はことごとく潰される。僕には芸術しかない。芸術は多様性の受け皿だ。盲目が絵を描いてもいいし、聾唖が音楽を奏でてもいい。このハンディを活かせるのは芸術だけだ。貧しさも絶望も知らずに、芸術なんてできないよ。
僕はこの人生がドッキリなのが怖い。いつか種明かしをされるんだ。僕の絵画は本当は子どもの落書き以下のもので、世界が口裏を合わせていて、それを絶賛しているんだ。不幸な盲目の青年を励ますために。本当はみんな心の底から優しくて、善意に溢れていて、僕が落ち込んでしまわないように、精神が病んでしまわないように、嘘を吐き続けている。そんなことを想像すると震える。僕は、世界が優しくなければいいと願うんだよ。
障害者がすべて善人だと思ってないか。健常者もそうであるように、善人もいるけど、悪人もいる。僕は表づらがいいだけだ。何故だかわかる?それは他人に依存しなければ生きていけないからだ。障害者は悪人になることすら制限される。
このコンペティションでも、僕は負ける気がしない。どうしてだと思う?それは僕が盲目だからだよ。不平等であると思うかい?僕はそうは思わない。健常者である君と、障害者である僕、どちらが人を感動させることができると思う?障害者である僕だよ。盲目であることでどれだけ犠牲を払っていると思う?それを考えると、僕には正当な評価であるように思える。それと同時に、盲目であるが故に、僕の絵画そのものを純粋に評価されることはないんだ。僕は君が羨ましい。自分の作品を見ることができる君が羨ましい。絵画で勝負ができる君が羨ましい。僕は自らが描いた絵を見て、評価や改善したりすることもできない。君は持ってして恵まれた。僕は持たずして恵まれた。君にだけとっておきの秘密を教えてあげる。誰にも言ったことのない秘密だよ。ある批評家が僕の絵画を観て、世界の真理を見たようだと言ったんだよ。彼は何もわかっていない。だって、僕は何もわかっていないから。ただ筆を持って、てきとーに手を動かしてるだけなんだ」
ギャラリーのオーナーが最高賞を高らかに発表する。最高賞に選ばれたのは、宇佐美庵の絵画だった。雨海柊の絵画はそれに次ぐ優秀賞に選ばれ、スカイラー・トンプソンと瀬戸勇気の絵画は何も受賞しなかった。
「光を視た。僕が視ている世界を、君にも視てほしい」と柊は庵に微笑みながら言った。
庵の絵画には、ボート上で油絵の具に塗れて窒息死した彼が描かれていた。彼は最高賞受賞者のスピーチで、「死ぬ気で描いた。ただこの絵は未完成だ。最強の脳内麻薬をつくる」と言った。
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