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だから、エロい展開は無しでって言ったでしょう?!
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江口民生、十七歳。身長百七十五センチメートル、体重六十六キログラム。
彼は、今日も筋力トレーニングに励む。
今も上腕二頭筋にかかる重力を味わいながら、腕立て伏せを敢行中である。
三十を数えた頃、ふと、彼の友人との会話を思い出した。
彼の友人は、体育の授業の着替えの際、逞しくなってきた江口民生の身体を見て言ったのだった。「お前、いい身体してるな」
彼は少々いい気分になって、「最近筋トレを始めたんだ」と言った。
すると、友人は、ニヤニヤとして、「モテるためか」と言ったので、江口民生は慌てる。慌てて、「そんな」と言った。
実際のところは、まさに「そんな」所である。彼は高校一年生の頃、タイミングの悪いことに怪我をしており、部活に入らなかった。治癒後も何となくバイトを続け、部活に所属しないまま二年生となった。「帰宅部」状態の彼は、当然人脈も少なく、彼女が出来なかった。そこで有り余る時間と少しばかりの欲望から彼は筋トレを始めた。やってみると、これが存外に面白く、少しずつであるが己の腕や胸に肉がつく様を実感するのも気持ちが良かった。二ヶ月経った六月の今、彼の身体は既に「出来上がり」つつある。
「嘘つけよ。あれだろ、プールの時とか女子に『わあ、民生くん、筋肉すっごい!触らせて』とか言われちゃってさ、そこからアレやコレや」
「あれやこれやとは」
「エロい感じの」
江口民生は内心で汗をかきつつ、平静を装う。確かに彼は七月のプール開きに備えていたからだ。「でも」彼は、ドギマギしつつ、言った。「エロい展開は無しで」
五十を数え、床にうつ伏せに落ちる。そのまま寝返りを打ち、仰向けになり、自分の胸筋に触れる。シャツの上からでもしっかり感じるほどには胸筋もついている。これは、楽しみだ。江口民生はニヤリとした。これが、モテるきっかけになれば良いが。あわよくば──江口民生は、腕立て伏せからスクワットに移行する。
江口民生は、本屋からの帰途にあった。ひとつ、来年に控えた受験に向けスタートダッシュでも決めようかと参考書を見に行ったのだったが、しかし、偶然にも古本市で目にしたある小説らしき本を気を取られ、正確にはその題名とそこから想像される展開に情欲を刺激された。タダ同然の値段でその本を購入すると、ウキウキを少し汚くしたような気持ちで帰路に着いた。
赤信号に阻まれ、立ち止まる。向かいの歩道に見知った顔があり、注視する。そして、彼はドキリとした。向かいの「見知った顔」は彼の同級生であり、クラスのマドンナ的存在である女子生徒、朝倉愛であったからだ。
彼女は、俯いてスマートフォンをいじっている。信号が青になり、江口民生は歩く始めるが、彼女の目はスマートフォンから離れていない。
どうか、気づいてくれますようにと、彼は祈りながら横断歩道をわたる。彼に、女子、それも殆ど話したことの無い朝倉愛に話しかける勇気は無かった。筋トレで身体は鍛えられていたが、どうにも心はそれ程でもないらしい。彼は通り過ぎてしまった彼女をチラと横目に見て、ため息をついた。
「あれ」
彼の祈りが通じたわけでなく、強いて言うならため息が通じたのだが、そこで朝倉愛が言った。「クラスメイトの、江口君」
江口民生は肩をビクリとさせ、おずおずと、まるで信じられないといった様子で振り返る。するとそこに、まさに信じられない光景が、つまりクラスのマドンナ的存在である朝倉愛がその大きな瞳を己一人に向けているものだから、彼は「ああ」と、感嘆の声を漏らした。
「えっと、君は、確か、朝倉さん」
名前から漢字まで、実は誕生日まで把握していたが、平静を装い、また彼女に対する無関心を装い、江口民生は言った。「奇遇だね」
これは、「運命だね」と言いたいところを、堪えた。
「運命かも知れないよ」
朝倉愛は、何気ない冗談のつもりで言ったのだが、これに江口民生は酷く動揺する。まさか。これがフラグというやつか。
「どこ行ってたの」
江口民生は、まさか古本市場で少しばかりいかがわしい本に一目惚れしたのだとは言えず、かと言って貴女に一目惚れしたのだとも言えず、「ちょっと、受験勉強用に参考書を探しに、本屋へ」と言った。けっして嘘ではないからスラスラと言えた。
「すごいね」朝倉愛は、そう言い笑った。「民生くん、賢そうだもんね。私、数学苦手なんだ。今度教えてよ」
江口民生は感動に打ち震え、口ごもってしまう。「そんな」であったり、「もちろん」だったり、「今度と言わず今からでも、何なら俺の家ででも」などと言う前に、朝倉愛は手を振り去っていった。ちなみに、江口民生は大の数学嫌いである。エロい展開を含む妄想のもとに、因数分解や確率、数列への嫌悪は霧散し、後に残った幸福の残り香を胸に帰宅する。
自室に戻っても、朝倉愛の影は、去り際彼女が残したシャンプーの香りまでくっきりと江口民生の頭をついてまわった。
「どこ行ってたの」と上目遣いで聞く朝倉愛の、瞬くたび揺れる長いまつ毛に抱いたえも言われぬ罪悪感。目を逸らした先に実る豊満な果実の如き胸のふくらみ、その素肌のまぶしさ。揺蕩う様まで想起させるその柔らかな質感。別れ際、ショートパンツから覗く健康的な太ももが躍動するその様まで、彼は一秒とあまさず記憶した。そして、身体を熱くさせた。
彼女に似合う身体に、男にならなければ。蓄積していく熱を排出するように、筋トレに精を出した。七月までに。江口民生は考える。プール開きまでに身体を鍛えあげれば、例の展開も有り得る。かつて自分が「エロい展開は無しで」と言ったことはすっかり忘れている。
ふと、江口民生は、買った小説の存在を思い出し、収まらぬ熱情をエネルギーにページをめくり始める。
【だから、エロい展開は無しでって言ったでしょう!?】
そこでは江口民生と同姓同名の男が彼の想い人と同姓同名の女に恋をして筋トレをしていた。小説中の江口民生は現実の彼が買ったものと同じ本を買い、そこで朝倉愛と出会い、家に帰り筋トレをしていた。そして、おもむろに本を開いた。
ようこそ腹筋小説へ!
ここはこれを読んだ日付の数字の数だけ腹筋をするという、
硬派なトレーニング小説です。
六月十二日の場合、6+12で十八回頑張りましょう。
余裕の人は掛け算にしてみたり、腕立て伏せもしてみましょう!
さあ、存分に腹筋するが良い。
出来ましたか?これを乗り切ったあかつきには、きっと今まで以上にモテる事でしょう!
ここまでついてこれたあなたにはご褒美展開があります。最後のページまでちゃんと見てくださいね。
だから、エロい展開は無しでって言ったでしょう?!
彼は、今日も筋力トレーニングに励む。
今も上腕二頭筋にかかる重力を味わいながら、腕立て伏せを敢行中である。
三十を数えた頃、ふと、彼の友人との会話を思い出した。
彼の友人は、体育の授業の着替えの際、逞しくなってきた江口民生の身体を見て言ったのだった。「お前、いい身体してるな」
彼は少々いい気分になって、「最近筋トレを始めたんだ」と言った。
すると、友人は、ニヤニヤとして、「モテるためか」と言ったので、江口民生は慌てる。慌てて、「そんな」と言った。
実際のところは、まさに「そんな」所である。彼は高校一年生の頃、タイミングの悪いことに怪我をしており、部活に入らなかった。治癒後も何となくバイトを続け、部活に所属しないまま二年生となった。「帰宅部」状態の彼は、当然人脈も少なく、彼女が出来なかった。そこで有り余る時間と少しばかりの欲望から彼は筋トレを始めた。やってみると、これが存外に面白く、少しずつであるが己の腕や胸に肉がつく様を実感するのも気持ちが良かった。二ヶ月経った六月の今、彼の身体は既に「出来上がり」つつある。
「嘘つけよ。あれだろ、プールの時とか女子に『わあ、民生くん、筋肉すっごい!触らせて』とか言われちゃってさ、そこからアレやコレや」
「あれやこれやとは」
「エロい感じの」
江口民生は内心で汗をかきつつ、平静を装う。確かに彼は七月のプール開きに備えていたからだ。「でも」彼は、ドギマギしつつ、言った。「エロい展開は無しで」
五十を数え、床にうつ伏せに落ちる。そのまま寝返りを打ち、仰向けになり、自分の胸筋に触れる。シャツの上からでもしっかり感じるほどには胸筋もついている。これは、楽しみだ。江口民生はニヤリとした。これが、モテるきっかけになれば良いが。あわよくば──江口民生は、腕立て伏せからスクワットに移行する。
江口民生は、本屋からの帰途にあった。ひとつ、来年に控えた受験に向けスタートダッシュでも決めようかと参考書を見に行ったのだったが、しかし、偶然にも古本市で目にしたある小説らしき本を気を取られ、正確にはその題名とそこから想像される展開に情欲を刺激された。タダ同然の値段でその本を購入すると、ウキウキを少し汚くしたような気持ちで帰路に着いた。
赤信号に阻まれ、立ち止まる。向かいの歩道に見知った顔があり、注視する。そして、彼はドキリとした。向かいの「見知った顔」は彼の同級生であり、クラスのマドンナ的存在である女子生徒、朝倉愛であったからだ。
彼女は、俯いてスマートフォンをいじっている。信号が青になり、江口民生は歩く始めるが、彼女の目はスマートフォンから離れていない。
どうか、気づいてくれますようにと、彼は祈りながら横断歩道をわたる。彼に、女子、それも殆ど話したことの無い朝倉愛に話しかける勇気は無かった。筋トレで身体は鍛えられていたが、どうにも心はそれ程でもないらしい。彼は通り過ぎてしまった彼女をチラと横目に見て、ため息をついた。
「あれ」
彼の祈りが通じたわけでなく、強いて言うならため息が通じたのだが、そこで朝倉愛が言った。「クラスメイトの、江口君」
江口民生は肩をビクリとさせ、おずおずと、まるで信じられないといった様子で振り返る。するとそこに、まさに信じられない光景が、つまりクラスのマドンナ的存在である朝倉愛がその大きな瞳を己一人に向けているものだから、彼は「ああ」と、感嘆の声を漏らした。
「えっと、君は、確か、朝倉さん」
名前から漢字まで、実は誕生日まで把握していたが、平静を装い、また彼女に対する無関心を装い、江口民生は言った。「奇遇だね」
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「運命かも知れないよ」
朝倉愛は、何気ない冗談のつもりで言ったのだが、これに江口民生は酷く動揺する。まさか。これがフラグというやつか。
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江口民生は感動に打ち震え、口ごもってしまう。「そんな」であったり、「もちろん」だったり、「今度と言わず今からでも、何なら俺の家ででも」などと言う前に、朝倉愛は手を振り去っていった。ちなみに、江口民生は大の数学嫌いである。エロい展開を含む妄想のもとに、因数分解や確率、数列への嫌悪は霧散し、後に残った幸福の残り香を胸に帰宅する。
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彼女に似合う身体に、男にならなければ。蓄積していく熱を排出するように、筋トレに精を出した。七月までに。江口民生は考える。プール開きまでに身体を鍛えあげれば、例の展開も有り得る。かつて自分が「エロい展開は無しで」と言ったことはすっかり忘れている。
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そこでは江口民生と同姓同名の男が彼の想い人と同姓同名の女に恋をして筋トレをしていた。小説中の江口民生は現実の彼が買ったものと同じ本を買い、そこで朝倉愛と出会い、家に帰り筋トレをしていた。そして、おもむろに本を開いた。
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だから、エロい展開は無しでって言ったでしょう?!
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