遺された赤い光

花籠さくら

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遺された赤い光

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「行ってきます」
「はーい、気をつけてね」

 母さんに挨拶をし、年が10離れた妹のふくふくした手を優しく握って、家を出た。

 日が沈みかけると、母さんは夕飯の準備を始める。

 まだ2歳の妹は弱視で殆ど目が見えない。けれど、非常に好奇心が旺盛で、目を離すと机の上に登ったりする。だから、夕方は僕が妹を連れて散歩するのが日課になっていた。

 今日はいつもと同じように、ピヨピヨと歩く妹と公園に向かう、はずだった。

 ――ドンッ

 数分歩いたところで、後ろからけたたましい爆音と爆風が襲ってきた。咄嗟に妹を抱きかかえてしゃがみ込む。体の至る所がチリチリと痛んだ。

 突然の出来事に訳も分からず振り返ると、そこには轟々と赤く燃える炎と夥しい量の黒煙に包まれるアパートがあった。初めて見る衝撃的な光景に思わず絶句する。

 目の前の映像に目を奪われていると、胸がトントンと叩かれた。はっとして下を向くと、妹が不安そうな表情で僕のことを見上げている。

「怪我!ないか!?どこも痛くないか!?」

 慌てて頭と顔、体を撫で、異常がないかを確認する。首を触ったとき、妹がくすぐったそうにクシャッと笑う様子を見て、大きな怪我はなさそうだと安心する一方で、さらなる恐怖が襲ってきた。

 ――母さんは?

 妹を抱き上げ、キョロキョロと見渡す。さっきまでは気づかなかったが、騒ぎを聞きつけた近所の人々で家の周りはごった返していた。

 人だかりから少し外れたところで、心配そうに火事を見守る親子を見つけ、「すみません、お願いします」と、話したことも会ったこともない女性に妹を預ける。

 戸惑う女性には目もくれず、自分の家に近づいた。近づくにつれて、触れる空気の温度が高くなっていく。感じる熱が異常なことは明らかで、一歩進むたびに心臓が震える。怖くてたまらないが、それでも止まらずにはいられなかった。

 人ごみをかき分け、煙を吸いながらも、足を前に進める。後もう少しのところで、何かに腕を強く引っ張られて尻もちをついた。振り返ると、顔を真っ赤にした見知らぬおじさんがいた。

「お前、死にたいのか!?」

 おじさんに叱られ、頭に『死』の文字が飛び交った。咳が止まらず、息苦しさに思わず倒れ込んだ。顔のすぐ目の前に現れた地面は、燃え盛る我が家を見ずに済ませてくれる。荒い息遣い、ゼイゼイと嫌な音が響く肺、荒れ狂う心臓の鼓動。思考もクリアになっていく。

「か、あさん……」

 溢れた言葉に涙が止まらない。震える腕で上体を起こし、おぼつかない脚で身体を支える。両目から溢れる涙が頬を伝い、顎からボトボトと落ちていく。

 ここまで来て、やっと、突き付けられた現実の恐ろしさに気付いた。

 アパート全てを燃やし尽くそうとする炎の中から出てこない母は、もう――。

「っかあさん!」

 喉が痛くても、爆風で受けた傷が痛くても、必死に叫んだ。

「お母さんが中にいんのか!?でも、あぶねぇよ!誰か!手伝ってくれ!」

 後ろではおじさんも叫び、何人もの手で僕は押さえつけられる。どんなに足掻いても動けない状態になっても、僕は母さんを呼び続けた。分かっていても信じたくなくて、もしかしたらという期待を捨てきれなかった。

「うわぁぁぁぁああ!!」

 全力で張り上げた声も虚しく、炎に吸い込まれていった。

「っひぐ……はぁ、かあさん」

 気力も体力もなくなった頃、おじさんたちと消防隊にその場から誘導された。家だったものに背を向け、ふらふらと歩く。

 すると、右足に何かがぶつかってきた。それは妹だった。頭をなでながら視線を合わせると、まん丸の目が泣いた後のように赤く腫れていた。後から駆け寄ってきた女性が申し訳なさそうに頭を下げる。

「ごめんなさい。お兄さんが恋しかったみたいで……」
「いえ、急にすみませんでした」

 僕も頭を下げた後、妹を抱きしめる。

「一人にしてごめんな。よく兄ちゃんのこと分かったな」
「……にぃに」

 ふわふわの手で僕の腕をキュッと掴む姿にひどく胸が痛んだ。この残酷な出来事を、どう伝えればよいのか。幼いながらも何かを感じ取っているはずだが、今日ばかりは妹の目が見えていないことに感謝した。

 ひしゃげた声で、よいしょ、と妹を抱き上げる。すると、消火活動中ではあるものの、未だ燃え盛る炎を短い指で差した。

「にぃに!きれい!」

 無邪気な言葉に、僕はまた涙が溢れた。

 妹には、今、どんな景色が見えているのだろう。僕にとっては絶望でしかない、この景色が、美しく輝いているのだろうか。

 顔が濡れていることに気付いて、不思議そうな表情を向ける妹に、僕は精一杯嘘をつく。

「あぁ、綺麗だね」
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