13 / 65
十三話
しおりを挟む
「右京様……!お探し申し上げましたぞ!」
伊織達に襲われてから、しばらく外出を控えていた右京だったが、何時までも家に籠もっている訳にも行かず、三日ほど前から、ぼちぼち出歩いていた。
特に今日は養父の祥月命日だった為、菩提寺へ墓参に来て、家臣の本田三郎に見つかってしまったのである。
舌打ちしたい想いの右京。「三郎。ようも俺を見つけたものよ……」
「はい。江戸中をお探し致しました。そして本日が養父の松永様の祥月命日だと思い出し……必ずや貴方様は、この慈恩寺に見えるに違いないと思い、こうしてお待ち申しておりました」
花と桶を手にしている右京は苦笑い。「……これは、抜かったの」
ここ慈恩寺の先代住職は養父の遠い親戚に当たっており、赤子連れで江戸に出て来た右も左も分からぬー家を随分助けてくれた。
故郷を捨てた形の両親が菩提寺にすると定め、二人はこの寺に葬られている。
とりあえず、養父母が眠っている墓に線香と携えて来た花を手向けた。
結局会った事もない実父の先代の藩主より、武芸や学問、趣味の釣りやら小舟の扱いまでも手塩にかけて教えてくれた新次郎が、優しい千代が彼には本当の親だった。
亡くなった後、遺品を整理した時かなりの金額が残されていた事に右京は驚いたものである。
できるだけ養育費には手を付けず、何時か彼の役に立つようにと貯めてくれていたのだった。
添えてあった手紙には、色々思う事があるだろうが、あって困る物でもなし、金は天下の回りもの。ただ使い道を誤る事がないよう自分達はお前を育てたつもりだと書かれていた。
サバサバしながらもしっかりと釘を差してよこす内容に右京は苦笑いをし、次いで涙したものだったが……。
尤もその金は殆ど両親の墓と永代供養代に当ててしまった。
『刀を持つ以上、何時どうなるか分からぬ、朝出てタに死して戻るのが武士と心得よ』
そう教えられて来た右京は、生前親孝行ができなかった事もあり、それこそ悔いのないよう、せめて両親の墓と、万が一の事があっても供養だけは滞りなく成されるよう手配をしておいたのである。
やはり自分を捨てた藩から出た金など欲しいとも思わなかった事と、苦労して育ててくれた養父母の為に使うのが一番良いと考えたからだった。
何を祈っていたのか……墓参が済んだ右京は少し離れていた場所で控えていた三郎に構わず、さっさと歩き出した。
三郎は慌てて彼を追った。「お、お待ち下さい!」
「待たぬ。そして話は聞かぬ。俺はもう藩とは、一切何の関わりも持たぬと決めた。三郎、仲間にもそう伝えよ」振り返りもせず答えた。
「な、ならば、お美代の方様……いえ、内藤様の思いの儘で良いと……そう申されますか…!」
右京は足を止め、家臣を睨む。
「三郎、俺が両親はそこに、その墓に眠っておるわ。大体、そちらから先に俺を要らぬと捨ておいて何を今更。俺は元々藩には存在せぬ。存在せぬ者がどうして、藩を継げるのだ?千代菊丸が生まれた今、世継ぎは既におるではないか……いい加減、捨てた過去など放っておくが良いのだ」
言い捨ててスタスタと先に行き、桶を返した右京の前を塞ぐように三郎は平伏した。「ならば、申しあげます……!ち、千代菊丸様は……殿のお胤ではございませぬ……!」
「!」
まじまじと三郎を見下ろした右京。「兄上の子では……ない?」
三郎は地面に低く低く頭を擦り付けんばかりにして言い募った。
「誠に憚り多き事なれど……殿は幼き頃に、重いお多福風邪に罹られ、果たして御子を作るお力……あるやなしや……と」
主君に子種が無いなどとは、迂闊に口に出来る話ではない。
「……確かにそういった話は聞いた事が……なれど一概には言えぬだろう?」
「そ、それにお美代の方様は月足らずで千代菊丸様を御出産……」
「……早産はままあることよ」
毒食らわば皿まで。
一旦主君とその子の秘密事項を口にした三郎は、必死に訴えた。「そ、早産にしては、千代菊丸様はお生まれになった時、産婆によれば大きゅうございましたとの事!」
どうかお家の為に国に戻って欲しいと懇願し、平伏する本田三郎を見下ろし、右京は冷たいくらいの口調で言った。「……三郎、だから何だと言うのだ?千代菊丸が兄上の子かどうか……違うと言うハッキリした証は無いのだろう?なら、兄上の子で良いではないか。実際兄上も認めておるのだ。それに……」
病弱な兄の身代わりを務めていた時の事を思い出した右京は、彼には珍しい皮肉な笑みを唇に刻む。
「藩の政など、俺は……いや、所詮藩主などお飾りではないか。そなたらは、恙無くお家が続いて行く為の種馬がおれば良いのだろう?それが俺である必要がどこにある?」
あまりと言えばあまりな言い分に、思わず三郎は頭を上げた。「う、右京様!」
そのまま腰を浮かした三郎に右京は怒鳴った。「ついて来るな!たたっ斬るぞ!俺は藩には戻らぬ!元々俺は居なかったのだ。諦めろ!」
「右京様!」
「迷惑千万!」ピシャリと言うなり、駆け出した。
勝手な事を…どちらも謳うのは、お家の為……。
片やお家の為に右京を殺そうとし、片やお家の為に、千代菊丸を廃し、右京を擁立せんと謀る。
うんざりする……。
この世に真があるとすれば、それは白雪太夫……。
皮肉なものよ……。
花魁の中に真があるとは……。
胸の中に溜まった毒気を吐き出すように、彼は大きな溜め息をついた。
錦絵の太夫が気にかかる。
かの絵に描かれた姿が、本当に今の彼女なら……。
胸を突かれるような、あの哀しみと苦悩に満ちた瞳が忘れられない。
己が吉原に足を向けなくなったせいで、あのような眼差しになったのだろうか?
毛一筋も傷つけたくは無いのに、最も彼女を苦しめているのは、己なのだろうか?
この世で一番愛おしい女……。
白雪太夫に思いを馳せる右京だった……。
伊織達に襲われてから、しばらく外出を控えていた右京だったが、何時までも家に籠もっている訳にも行かず、三日ほど前から、ぼちぼち出歩いていた。
特に今日は養父の祥月命日だった為、菩提寺へ墓参に来て、家臣の本田三郎に見つかってしまったのである。
舌打ちしたい想いの右京。「三郎。ようも俺を見つけたものよ……」
「はい。江戸中をお探し致しました。そして本日が養父の松永様の祥月命日だと思い出し……必ずや貴方様は、この慈恩寺に見えるに違いないと思い、こうしてお待ち申しておりました」
花と桶を手にしている右京は苦笑い。「……これは、抜かったの」
ここ慈恩寺の先代住職は養父の遠い親戚に当たっており、赤子連れで江戸に出て来た右も左も分からぬー家を随分助けてくれた。
故郷を捨てた形の両親が菩提寺にすると定め、二人はこの寺に葬られている。
とりあえず、養父母が眠っている墓に線香と携えて来た花を手向けた。
結局会った事もない実父の先代の藩主より、武芸や学問、趣味の釣りやら小舟の扱いまでも手塩にかけて教えてくれた新次郎が、優しい千代が彼には本当の親だった。
亡くなった後、遺品を整理した時かなりの金額が残されていた事に右京は驚いたものである。
できるだけ養育費には手を付けず、何時か彼の役に立つようにと貯めてくれていたのだった。
添えてあった手紙には、色々思う事があるだろうが、あって困る物でもなし、金は天下の回りもの。ただ使い道を誤る事がないよう自分達はお前を育てたつもりだと書かれていた。
サバサバしながらもしっかりと釘を差してよこす内容に右京は苦笑いをし、次いで涙したものだったが……。
尤もその金は殆ど両親の墓と永代供養代に当ててしまった。
『刀を持つ以上、何時どうなるか分からぬ、朝出てタに死して戻るのが武士と心得よ』
そう教えられて来た右京は、生前親孝行ができなかった事もあり、それこそ悔いのないよう、せめて両親の墓と、万が一の事があっても供養だけは滞りなく成されるよう手配をしておいたのである。
やはり自分を捨てた藩から出た金など欲しいとも思わなかった事と、苦労して育ててくれた養父母の為に使うのが一番良いと考えたからだった。
何を祈っていたのか……墓参が済んだ右京は少し離れていた場所で控えていた三郎に構わず、さっさと歩き出した。
三郎は慌てて彼を追った。「お、お待ち下さい!」
「待たぬ。そして話は聞かぬ。俺はもう藩とは、一切何の関わりも持たぬと決めた。三郎、仲間にもそう伝えよ」振り返りもせず答えた。
「な、ならば、お美代の方様……いえ、内藤様の思いの儘で良いと……そう申されますか…!」
右京は足を止め、家臣を睨む。
「三郎、俺が両親はそこに、その墓に眠っておるわ。大体、そちらから先に俺を要らぬと捨ておいて何を今更。俺は元々藩には存在せぬ。存在せぬ者がどうして、藩を継げるのだ?千代菊丸が生まれた今、世継ぎは既におるではないか……いい加減、捨てた過去など放っておくが良いのだ」
言い捨ててスタスタと先に行き、桶を返した右京の前を塞ぐように三郎は平伏した。「ならば、申しあげます……!ち、千代菊丸様は……殿のお胤ではございませぬ……!」
「!」
まじまじと三郎を見下ろした右京。「兄上の子では……ない?」
三郎は地面に低く低く頭を擦り付けんばかりにして言い募った。
「誠に憚り多き事なれど……殿は幼き頃に、重いお多福風邪に罹られ、果たして御子を作るお力……あるやなしや……と」
主君に子種が無いなどとは、迂闊に口に出来る話ではない。
「……確かにそういった話は聞いた事が……なれど一概には言えぬだろう?」
「そ、それにお美代の方様は月足らずで千代菊丸様を御出産……」
「……早産はままあることよ」
毒食らわば皿まで。
一旦主君とその子の秘密事項を口にした三郎は、必死に訴えた。「そ、早産にしては、千代菊丸様はお生まれになった時、産婆によれば大きゅうございましたとの事!」
どうかお家の為に国に戻って欲しいと懇願し、平伏する本田三郎を見下ろし、右京は冷たいくらいの口調で言った。「……三郎、だから何だと言うのだ?千代菊丸が兄上の子かどうか……違うと言うハッキリした証は無いのだろう?なら、兄上の子で良いではないか。実際兄上も認めておるのだ。それに……」
病弱な兄の身代わりを務めていた時の事を思い出した右京は、彼には珍しい皮肉な笑みを唇に刻む。
「藩の政など、俺は……いや、所詮藩主などお飾りではないか。そなたらは、恙無くお家が続いて行く為の種馬がおれば良いのだろう?それが俺である必要がどこにある?」
あまりと言えばあまりな言い分に、思わず三郎は頭を上げた。「う、右京様!」
そのまま腰を浮かした三郎に右京は怒鳴った。「ついて来るな!たたっ斬るぞ!俺は藩には戻らぬ!元々俺は居なかったのだ。諦めろ!」
「右京様!」
「迷惑千万!」ピシャリと言うなり、駆け出した。
勝手な事を…どちらも謳うのは、お家の為……。
片やお家の為に右京を殺そうとし、片やお家の為に、千代菊丸を廃し、右京を擁立せんと謀る。
うんざりする……。
この世に真があるとすれば、それは白雪太夫……。
皮肉なものよ……。
花魁の中に真があるとは……。
胸の中に溜まった毒気を吐き出すように、彼は大きな溜め息をついた。
錦絵の太夫が気にかかる。
かの絵に描かれた姿が、本当に今の彼女なら……。
胸を突かれるような、あの哀しみと苦悩に満ちた瞳が忘れられない。
己が吉原に足を向けなくなったせいで、あのような眼差しになったのだろうか?
毛一筋も傷つけたくは無いのに、最も彼女を苦しめているのは、己なのだろうか?
この世で一番愛おしい女……。
白雪太夫に思いを馳せる右京だった……。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
6
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる