お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

文字の大きさ
12 / 65

十二話

しおりを挟む
全く勝手な事を……!



夜道を家に戻りながら、右京はカンカンに腹を立てていた。



彼は、ある藩の先代の殿様の落とし胤であった。


それも双子。


当時は畜生腹と忌み嫌う習慣の為、兄だけが世継ぎとして藩に引き取られ、弟の右京の方は養子に出されたのである。


引き取ったのは実兄が藩の剣術指南を勤め、その道場で師範代をしていた松永新次郎。

剣の腕では兄をも凌ぐやもと謳われていた松永だったが、立場を越える真似をする事もなく補佐役に徹していた。


次男とは言え師範代をしていた松永は分家としてー家を構え、妻帯もしていたのだが、生憎妻千代との間に子が無かった。


畜生腹の双子とはいえ、紛れもない殿様のお子を、そこらの町人や百姓には任せられぬと養父母を買って出、更に右京を引き取った後、藩内で育てれば、内紛の種になりかねぬと暇ごいをし、江戸に出た。


一家を立てた松永ではあったが所謂いわゆる分家であり、無くなったとしてもその影響は少い事、道場においても他の高弟達が何とか稽古を回して行ける事、そして何より実力がありながら兄の影で長年過ごして来た控え目で誠実な人柄が養父として承認された理由であった。



我が子同然に身体を鍛え上げ、剣と学問を教え、愛情を込めて育ててくれた優しい養父母が相次いで亡くなり、白雪と知り合った少し後……実兄が跡を継いだ藩からー人の使者が右京を探し当てて来たのである。


江戸に出て来た夫婦は長屋で町人の子に文字を教えたり、同じ剣の流派の道場を訪ね代稽古で生活の糧を得ていたが、決して豊かな訳ではない。

流石に殿様の子を貧乏な浪人生活で困窮させるのはあり得ないと、年に一度養育費が藩から出ていたが、まさに捨扶持と言って良い金額だった。



その事を知るのは松永の兄を含め極少数。

指南役の伯父も病を得て亡くなり従兄弟に当たる者もいたが既に縁遠い。

元服の折りに養父母からおよその事情は聞いていたが、右京は今更と思い、二人の死後は藩に繋がる細い糸を断ち切っていた。

しかし使者は僅かな手がかりを頼りに辿って来たのだった。


理由は、まだ世継ぎも居なかった兄が重い病にかかり、この儘では藩がお取り潰しになるとの事で、その代役を頼まれたのである。


実際、身代わりの間、身体の弱い兄の正式な跡継ぎに、と言った話も出たのは知っている。


だが、右京にはその気は全く無く、すり寄ってくる連中も鬱陶しいだけだった。


兄の側女のお美代の方が、千代菊丸を産んでくれて、心底ホッとしたというに……。


おそらくは、お美代の方の父親、内藤外記が、要らぬ気を回しているのだろうが……。


魑魅魍魎の蠢く藩のお家騒動なぞ沢山だ。


正義と忠義の大義名分を掲げながら、腹の中では何を企んでいるか分からぬ連中……。


いっそ、吉原の花魁達の方がよほど清々しく見える。


金の有る無しで割り切るあの世界の方が……。


藩中の醜い権力闘争を見るにつけ、胸に去来したのは、振袖新造の雪菜……


勇気と可憐さを併せ持った彼女が脳裏から消えず、事ある事に面影が蘇って来た。


江戸に戻って、吉原一の太夫に成長した彼女が、自分を忘れて居なかったのに心底驚き……そして嬉しかった。


藤の花……二人だけに通じる思い出の花……


花魁道中で白雪太夫は、右京に向ける笑顔に、彼女の真実を籠めた……彼女の心が誰にあるかを……




吉原で繰り返される一夜限りの約束……。


一夜限りの夢……。



夜が明ければ儚く消える……。


そんな世界の花魁が示した真実に右京は感動した。


花魁道中の僅かなとき

見交わす目と目に、お互いの思いを込め合う……。


白雪とのこの時だけが嘘の無い世界だと……。



だが、それが今はこんなに辛くなるとは……

愛しさは募るばかりで、抱きあう事も出来ない二人。


この儘の状態が続けば、彼女を抱く男達を、一人残らず叩き斬りそうな自分が怖い……


太夫と思いを共有していると感じるだけに、花魁道中の後、彼女がどうなるか………それを思うと、嫉妬でどうにかなりそうな己を抑えるのが困難なのだ。




そんな右京は伊織達に襲われてからは、これ幸いとなるべく外出を控えた。


写本の仕事を請け負っていたのも、その理由付けになった。


そうだ。ちょうど良かったではないか……。


だが、己に無理に言い聞かせ、吉原から足を遠ざけては見たものの、愛しい女と会えないのは、また別の辛さを呼んだ。



白雪太夫の錦絵を買ったと自慢する大工に、思わず頼み込み見せて貰ったその絵姿……



「…!」



見事に彼女を写し取って……その瞳に胸を突かれた……。


「なあ、お侍。白雪太夫の愁い顔も良いだろ?」


右京は頷いて絵を返すと、キリキリと灼けつくように痛む胸を押さえた。


太夫……暫く見ない間に ……。


その瞳は……あまりに哀しく……そして何という苦悩の色を浮かべているのだろう……。


……太夫!


……白雪太夫!



……彼は顔を覆った。



……そなたに会いたい……!

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...