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三十話
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国元から江戸に来た侍は旅装の儘、とある場所に向かった。
そこは、小池道場と剣術道場の看板を下げていた。
勝手知ったると入り込み、名乗りを上げた侍に、道場から飛び出して来た男が、驚きの声を上げる。
「佐々木右近!久しいの!何時江戸に?」
被っていた笠を取り、二ヤッと笑った佐々木は、埃まみれの己を指差し「見ての通り、つい今し方だ。平助、早速だが実は頼みがあって来た」挨拶もそこそこに言った。
そんな彼に慣れているらしい平助は苦笑い。「……相変わらずせっかちだのう……。まあ、早くあがれ。茶ぐらい淹れよう」
「悪いの」
彼は、井戸端で手足を洗い、埃を叩いて道場の裏手口から上がった。
小池道場は、かつて佐々木右近が江戸勤番の折りに通っていた。
何と言っても剣は、武士の表芸だからである。
他にも藩の人間で、この道場に通っている者が何人かいた。
平助と呼ばれた男は田代平助といい、小池道場の師範代である。
座った右近は、奥を覗き込むようにした。「……小池先生はお元気なのか?お姿がないようだが……」
老師の事を心配しているようだ。
「大丈夫、お元気だ。今は昔の剣友の元へ行っておられる。ちょうど鹿島神社で剣の奉納試合があっての。その審判役として呼ばれたのだ……で?俺に頼みとは?」
無骨な手で、茶を淹れた湯呑み茶碗を彼に差し出した。
右近は礼を言って受け取り、目を細めて茶を啜る。
喉がカラカラだったと言った彼は「本田三郎は、最近道場に来ているのか?」平助に尋ねた。
「三郎?いや。最近は忙しいのか顔を見せぬが…三郎がどうかしたのか?」
「繋ぎを取りたいのだ。お主、三郎から我が藩の事情は多少なりとも聞いておるかな?」
本田三郎、佐々木右近、田代平助は馬が合い、仲が良く、腕も同じくらい、その為小池道場の三羽烏と言われたものだった。
平助は右近の問いに頷いた。「ああ。殿様とは双子の弟君の右京様が、兄上に世継ぎの若君が生まれたのを幸い、藩を出ていってしまったとか何とか……なかなかの人物とかで三郎が悔しがっていたが……」
右近は身を乗り出す。「その通り。若君が生まれてからは、アッサリと身を引かれてしまわれ、藩を飛び出し、そのまま行方が分からぬ。だが何としてもお探しせねばならぬのよ」
平助は眉をひそめた。「しかし、右京様は藩内が割れるのを懸念して出ていかれたのだろう?」
お家騒動を警戒し、自ら身を引くなど勇気ある決断と言えた。
「右京様のお気持ちは分かっている……だが、そうは言ってられぬ事態が起きたのだ」難しい顔の右近。
「どんな事態だ?」
右近はそれには答えなかった。「……本来なら、江戸に着いた上は、すぐに殿のおわす上屋敷に行かねばならぬのだが、俺がずっと右京様を跡継ぎに押していたのは知られている。今は迂闊に近づけぬのだ。内藤外記の手下共が我らの動きを見張っておるでの。……奴らの耳にはまだ入れたくない」
それで納得した平助「で、俺か」
「ああ、お主なら、藩の政に関わりがあるワケでなし、更に三郎の剣友だ。道場へ呼んでも不思議ではないからの。……悪いが頼めるか?」
「分かった。三郎を呼び出せば良いのだな?お主は今晩は道場に泊まるが良い」
右近は軽く頭を下げた。「遠慮なく世話になる……だが、見張られ、付けられている可能性があるからの、三郎と落ち合うのは何処にするか……」
少し考えた平助は、良い事を思いついた。「ならば、一旦道場に来て貰い、本当に稽古をしてから、どこか船宿で屋形舟を出すか。お主は稽古前にここを出て、舟宿で待っててくれ。そこで一緒に舟に乗ろう。そうすれば、見張りの人間も付いて来れぬし、話もゆるりと出来よう。どうだ?」
「良い考えだ」右近は同意した。
早速手紙を書いて、使いを藩の上屋敷にやり、三郎を呼び出して貰う。
「平助が?……そうだな。暫く道場にも行っておらんからな。分かった。ちょうど明日は非番だ。明日行くと伝えてくれ」
使いが帰った後、三郎が中に入り、仕事に戻ると伊織が声をかけて来た。
「本田殿、先ほど、どなたかと話していたと聞いたのだが」
冷え冷えとした声で詰問する。
誰と会おうが、そんな事をいちいち詮索される筋合いはない。ムッとした三郎は、つけつけと言い返した。
「間宮殿、あれは剣友の田代平助の使いでな。平助は、お主も知っておる小池道場の師範代だ。暫く道場に顔を見せておらんので、たまには汗でも流しに来いとの誘いを受けただけよ。丁度明日は休みゆえ早速行こうと思っておる。……何か文句でもあるのか?」
「さようか。あまり遅くならぬように」
それだけ言って立ち去った。
藩は門限がうるさい。
彼の後ろ姿を睨みつけた三郎は「外記の奴、我らの動きを探ろうと…全く五月蝿くて叶わぬわ」口の中で呟いた。
翌日、三郎は上屋敷を出、道場に真っ直ぐ向かった。
彼は道場へ行く間も監視の目がある事を感じていたが、素知らぬフリをする
「平助!呼ばれて来たぞ!」大声を上げ、道場へ入った。
平助は笑顔で友人を迎えた。「おお、良く来たな」
他の門弟達に混ざり、早速三郎と平助は竹刀で打ち合う。
平助は彼に小声で囁いた。「(右近が江戸に来ておる)うりゃああ!」
「!(お主の呼び出しには何かあると思ったが)どりゃああ!」
激しく打ち合いながら、合間に会話を交わし、右近と船宿で落ち合う事を伝えた。
稽古は約一刻(2時間)程行い、二人は井戸端で水をかぶる。
いつの間にか、監視の目は消えていた。
本当に真面目に稽古をしていたので、安心して帰ったのだろう。
三人は落ち合った船宿から屋形舟を出した。
船頭が大川へ漕ぎ出して少し経ち、ようやく右近は落ち着いたようだった。「……よし、ここなら安心して話せる。平助、手間をかけさせたな」酒を彼に注いでやった。
遠慮なく杯を飲み干し、平助はニヤリと友に笑いかける。「その代わり、話は聞かせて貰うぞ」
「仕方あるまいな。……但し他言無用だぞ」念をいれた本田三郎。
「分かっておるわ」
右近が話し始めた。「俺は国元の城代家老、稲垣頼母様から殿への使いで来たのだ」
城代家老自ら、主君への使いとは只事ではない。
三郎は目を見張った。「国元で何かあったのか?」
右近は沈痛な顔になり「……若君、千代菊丸様が亡くなられたのよ」凶報を二人に告げる。
「!」
そこは、小池道場と剣術道場の看板を下げていた。
勝手知ったると入り込み、名乗りを上げた侍に、道場から飛び出して来た男が、驚きの声を上げる。
「佐々木右近!久しいの!何時江戸に?」
被っていた笠を取り、二ヤッと笑った佐々木は、埃まみれの己を指差し「見ての通り、つい今し方だ。平助、早速だが実は頼みがあって来た」挨拶もそこそこに言った。
そんな彼に慣れているらしい平助は苦笑い。「……相変わらずせっかちだのう……。まあ、早くあがれ。茶ぐらい淹れよう」
「悪いの」
彼は、井戸端で手足を洗い、埃を叩いて道場の裏手口から上がった。
小池道場は、かつて佐々木右近が江戸勤番の折りに通っていた。
何と言っても剣は、武士の表芸だからである。
他にも藩の人間で、この道場に通っている者が何人かいた。
平助と呼ばれた男は田代平助といい、小池道場の師範代である。
座った右近は、奥を覗き込むようにした。「……小池先生はお元気なのか?お姿がないようだが……」
老師の事を心配しているようだ。
「大丈夫、お元気だ。今は昔の剣友の元へ行っておられる。ちょうど鹿島神社で剣の奉納試合があっての。その審判役として呼ばれたのだ……で?俺に頼みとは?」
無骨な手で、茶を淹れた湯呑み茶碗を彼に差し出した。
右近は礼を言って受け取り、目を細めて茶を啜る。
喉がカラカラだったと言った彼は「本田三郎は、最近道場に来ているのか?」平助に尋ねた。
「三郎?いや。最近は忙しいのか顔を見せぬが…三郎がどうかしたのか?」
「繋ぎを取りたいのだ。お主、三郎から我が藩の事情は多少なりとも聞いておるかな?」
本田三郎、佐々木右近、田代平助は馬が合い、仲が良く、腕も同じくらい、その為小池道場の三羽烏と言われたものだった。
平助は右近の問いに頷いた。「ああ。殿様とは双子の弟君の右京様が、兄上に世継ぎの若君が生まれたのを幸い、藩を出ていってしまったとか何とか……なかなかの人物とかで三郎が悔しがっていたが……」
右近は身を乗り出す。「その通り。若君が生まれてからは、アッサリと身を引かれてしまわれ、藩を飛び出し、そのまま行方が分からぬ。だが何としてもお探しせねばならぬのよ」
平助は眉をひそめた。「しかし、右京様は藩内が割れるのを懸念して出ていかれたのだろう?」
お家騒動を警戒し、自ら身を引くなど勇気ある決断と言えた。
「右京様のお気持ちは分かっている……だが、そうは言ってられぬ事態が起きたのだ」難しい顔の右近。
「どんな事態だ?」
右近はそれには答えなかった。「……本来なら、江戸に着いた上は、すぐに殿のおわす上屋敷に行かねばならぬのだが、俺がずっと右京様を跡継ぎに押していたのは知られている。今は迂闊に近づけぬのだ。内藤外記の手下共が我らの動きを見張っておるでの。……奴らの耳にはまだ入れたくない」
それで納得した平助「で、俺か」
「ああ、お主なら、藩の政に関わりがあるワケでなし、更に三郎の剣友だ。道場へ呼んでも不思議ではないからの。……悪いが頼めるか?」
「分かった。三郎を呼び出せば良いのだな?お主は今晩は道場に泊まるが良い」
右近は軽く頭を下げた。「遠慮なく世話になる……だが、見張られ、付けられている可能性があるからの、三郎と落ち合うのは何処にするか……」
少し考えた平助は、良い事を思いついた。「ならば、一旦道場に来て貰い、本当に稽古をしてから、どこか船宿で屋形舟を出すか。お主は稽古前にここを出て、舟宿で待っててくれ。そこで一緒に舟に乗ろう。そうすれば、見張りの人間も付いて来れぬし、話もゆるりと出来よう。どうだ?」
「良い考えだ」右近は同意した。
早速手紙を書いて、使いを藩の上屋敷にやり、三郎を呼び出して貰う。
「平助が?……そうだな。暫く道場にも行っておらんからな。分かった。ちょうど明日は非番だ。明日行くと伝えてくれ」
使いが帰った後、三郎が中に入り、仕事に戻ると伊織が声をかけて来た。
「本田殿、先ほど、どなたかと話していたと聞いたのだが」
冷え冷えとした声で詰問する。
誰と会おうが、そんな事をいちいち詮索される筋合いはない。ムッとした三郎は、つけつけと言い返した。
「間宮殿、あれは剣友の田代平助の使いでな。平助は、お主も知っておる小池道場の師範代だ。暫く道場に顔を見せておらんので、たまには汗でも流しに来いとの誘いを受けただけよ。丁度明日は休みゆえ早速行こうと思っておる。……何か文句でもあるのか?」
「さようか。あまり遅くならぬように」
それだけ言って立ち去った。
藩は門限がうるさい。
彼の後ろ姿を睨みつけた三郎は「外記の奴、我らの動きを探ろうと…全く五月蝿くて叶わぬわ」口の中で呟いた。
翌日、三郎は上屋敷を出、道場に真っ直ぐ向かった。
彼は道場へ行く間も監視の目がある事を感じていたが、素知らぬフリをする
「平助!呼ばれて来たぞ!」大声を上げ、道場へ入った。
平助は笑顔で友人を迎えた。「おお、良く来たな」
他の門弟達に混ざり、早速三郎と平助は竹刀で打ち合う。
平助は彼に小声で囁いた。「(右近が江戸に来ておる)うりゃああ!」
「!(お主の呼び出しには何かあると思ったが)どりゃああ!」
激しく打ち合いながら、合間に会話を交わし、右近と船宿で落ち合う事を伝えた。
稽古は約一刻(2時間)程行い、二人は井戸端で水をかぶる。
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本当に真面目に稽古をしていたので、安心して帰ったのだろう。
三人は落ち合った船宿から屋形舟を出した。
船頭が大川へ漕ぎ出して少し経ち、ようやく右近は落ち着いたようだった。「……よし、ここなら安心して話せる。平助、手間をかけさせたな」酒を彼に注いでやった。
遠慮なく杯を飲み干し、平助はニヤリと友に笑いかける。「その代わり、話は聞かせて貰うぞ」
「仕方あるまいな。……但し他言無用だぞ」念をいれた本田三郎。
「分かっておるわ」
右近が話し始めた。「俺は国元の城代家老、稲垣頼母様から殿への使いで来たのだ」
城代家老自ら、主君への使いとは只事ではない。
三郎は目を見張った。「国元で何かあったのか?」
右近は沈痛な顔になり「……若君、千代菊丸様が亡くなられたのよ」凶報を二人に告げる。
「!」
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