お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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三十二話

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ギィ……。


ギィ……。


船頭が櫓を漕ぐ音と共に、微かに屋形舟が揺れた。



右近の話は続く。

「……最近まで、城下では流行病が流行っておっての。千代菊丸様は高熱が続いて……先日遂に身罷みまかわれてしもうた。母親のお美代の方様は半狂乱。頼母様は急ぎ江戸の殿に知らせよと、俺を使いに。殿に跡継ぎの話をせねばならぬからの。……もう先代の殿の直系は右京様しか居らぬのだ。だが上屋敷は今、外記が牛耳っておるでの」


三郎は、わざわざ手間暇かけて呼び出された訳に納得した。「……そうか。お主が病の殿に会おうとしても外記や伊織が素直に会わせるか分からぬしの。……あの外記の事だ。今の権力を手離すとは到底思えん。病が重くなるとか何とか言い訳して殿には知らせず、影で己の都合の良い、分家の誰かを跡継ぎにと画策する可能性大だな」


右近は友人の推測に賛意を示した。「おお、その事よ。右京様は、それこそ大人しく外記の操り人形になるような人物では無いでの。右京様が跡をお継ぎになられたら、外祖父としてやりたい放題して来た己の身の破滅……。何としても右京様には跡を継いで頂かなければならぬわ。……だがの、三郎、俺が殿に会うのに味方に引き入れなければならない男がいる……間宮伊織だ」


思わず三郎はいきり立って怒鳴った。「何だと!奴は外記の腰巾着だぞ!」


隣にいた平助が、わざとらしく耳を塞ぐ。


右近は宥め顔でその理由を話した。「今は、な。まあ、聞け。あ奴の忠義は、藩、殿、千代菊丸様へのものだ。決して外記ではない」


不満げな三郎に右近は重ねて言う。

「そういう意味では、ガチガチの忠義者よ。今、外記の下にいるのは幼い千代菊丸様の御為。右京様を推す我らから、幼い若君を守るつもりだった筈……だが、もう事情が変わったのだ。伊織を味方に引き入れる。外記がこのまま権力を振り回していたら、我が藩はおしまいだからの。それに最初に、江戸におわした右京様を探し出して来たのは伊織だ」


一口に探すと言っても、江戸は広く人は多い。


双子が生まれ、弟の方を松永が引き取り江戸に出た事は家中の公然の秘密だったが、では江戸の何処にいるのか、の話はぷっつりと途絶えていた。


養父母が亡くなった後、右京は藩からの金を自ら断っていたし、丁度と言って良いのか....…年に一度出納には出ないそれを把握していた者は卒中を患い、どこで金の受け渡しをしていたか等の記憶があやふやになっている上、国元で剣術指南をしていた松永の兄も既に亡く、子息も詳しい事は知らず、これと言った話は聞けなかった。

そこで友人、知人、親戚を隈無く訪ね、風の便りでも、どこぞで見かけた、と言うような、ふとした噂でも良いと丹念に僅かな情報を集め、遂に探し当てたのであった。

何としてもお家を潰させまいとする伊織の執念とも言えた。



三郎が慈恩寺で右京を見つけられたのは、右京が身代りを勤めている間に、彼の新情報………ここが養父母の菩提寺である事や、出来るだけ墓参していた事を知っていたからに過ぎない。


考え込む三郎「……確かに伊織が我らに力を貸してくれれば良いがの」


分かってくれたか、とホッとした右近。「お主は屋敷に戻って伊織に今の話をしてくれ。俺は……」


それまで黙って聞いていた平助が口を挟んだ。「右近は道場に居れば良い。だが、肝心の右京様は何処にいるのだ?」


三郎はポリポリと面目なさげに鼻の脇を掻いた。「それが……養い親の松永様の墓参に参られた時に一旦は捕まえたのだが、『一度は要らぬと捨てた人間など放っておくが良い、藩には戻らぬ』と逃げられた。……今何処におられるかは分からぬ」


平助は半ば感心し「ほー…、藩主の座が要らぬと逃げる、か。 面白いお方だの」と笑った。


右近がどこか嬉しそうに頷く。「右京様はな、頭も切れ、腕も立つし、何よりも心根がお優しいのだ」


三郎もウンウンと同意した。


平助はそんな友人達を見やり、からかう。「やれやれ、お主ら2人にここまで懸想されるとは……」


ぶ然とする三郎「……せめて“忠義”と言え」

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