お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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三十四話

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「何だと!怪我はされなかったのだろうな?」三郎は思わず吠えた。


「静かにしろ馬鹿者、声が大きいわ。心配は要らぬ、かすり傷だそうだ。あまりの見事な腕に奉行所では持ちきりで、その同心は噂を落として行ったのよ。今日某が出掛けたのは、詳しい事情を知る為だ」


伊織はあらましを話し、「右京様は小網神社近くの金太郎長屋におられるそうな」


破顔した三郎は求めていた情報をくれた伊織に礼を言う。「間宮、感謝するぞ」



辺りに人影が無いのを確かめ、二人は部屋を出た。


喜びが弾けたような三郎の後ろ姿を見ながら伊織は複雑な表情で呟いた。「……本田、単純なお主が羨ましい。俺の……忠義は……」


·

伊織が自室に戻ると、外記から呼び出しがあった。


何かあったかと行ってみれば、かなり機嫌が悪い。


ジロリと伊織を睨みつけ「本田が、そちを探していたようだが何用だ?」詰問するような口調で尋ねる。



……もう耳に入っているのか……


猜疑心の強い外記は、上屋敷のあちらこちらに、何かあれば、彼の元へ注進に及ぶ手の者を配置している。


佐々木右近が、迂闊に藩邸に近寄れず、本田三郎が警戒する理由がこれだ。


伊織は己の決意を固めた。


「内藤様、実は国元から火急の知らせが……千代菊丸様が亡くなられましたの事」


「!」


伊織は呆然とする内藤に冷淡とも言える声で説明した。「本田は、佐々木右近が稲垣様の書状を携え江戸入りしたゆえ、某に殿との面談を取り計らってくれ、そう申したのでござる」


外記は蒼白になっている。


跡継ぎの孫が死ねば、祖父の立場を利用していた今までの権力とはおさらばだからだ。


「そ、それでそちは承知したのか?」


伊織は頷く。「はい。しかし、まずは訳をお聞き下さい」外記の側ににじり寄った。


ボソボソと二人は密談に及ぶ。


「……なる程……しかし、そちの忠義はどうなのだ?本田はそこを見込んだのだろうに。とんだ忠義だの」口元に皮肉な笑みを浮かべた外記。


伊織はちょっと頭を下げた。「……千代菊丸様が、身罷かられ、殿の余命幾ばくも無し、ともなれば、某の忠義は高く買ってくれる人の為でござる。何しろ右京様は忠義は要らぬと投げるお方……要らぬと言われ捧げる程安くはごさらん。しかし内藤様なら……」


外記はニンマリとする「おお、その忠義、儂が高く買おうぞ」


間宮伊織は、それまで佐々木右近が見込んだように、忠義一辺倒の男だった。更に忍耐強く、剃刀のごとく切れる頭脳の持ち主だったからである。


外記とて彼の忠義の対象、主君と世継ぎの千代菊丸故に、自分の味方になっていたのは分かっていた。

その彼が、引き続き側にいてくれるなら、鬼に金棒だったのである。




それから、伊織は己に与えられた藩士の長屋に戻り、手紙をしたため、小者を呼ぶと「これを小池道場の佐々木右近へ。必ず渡せ。良いな?」と言いつけた。


小者が居なくなり、1人になった伊織は暗い目をしながら呟いた。「……これで良いのだ……ふふふ……俺の忠義は……」




手紙を受け取った右近はざっと読み下し首を捻る。「……伊織の奴……一体何を考えている?」



翌日、上屋敷で、伊織は三郎に告げた「内藤様のお出かけが急遽今日に変更になった。佐々木右近に知らせてくれ。手配はしておく」


三郎は伊織の言う通りに、黒塗りの駕籠に揺られ内藤外記が外出したのを確かめた。


右近の元に使いが飛び、その旨を知らせた。




程なく佐々木右近が上屋敷に着き、裏口に伊織が出迎え奥に通される。

「佐々木、遠路はるばるご苦労だったな。だが生憎、殿は発作が起き、薬湯を飲んで休んでおられるのだ。今暫く待ってくれ」


目だたぬよう案内された一室。


入った途端に、彼が見た物は後ろ手に縛られた三郎の姿。


ハッと振り返ると脇差しを抜いた伊織がそれを突きつけた。「……ではその書状とやらを渡して貰おうか」と手を差し出した。


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