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五十六話
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鈴代屋藤兵衛は、騒ぎの次の日、自ら長崎屋に赴いた。
外記の一件の顛末と、板場に入り込んでいた山城屋の手の者の処分を報告する為だった。
「…ほう…!まぁ、そんな事が!」
キセルの灰をポンと煙草盆に落とすと長崎屋は首を振った。
「あの松永、いや鳥山様がお殿様になられるなんて……おや?長崎屋さん、あんまり驚いていなさらないね?まさか知っていなすったのかね?」
長崎屋はニヤッと笑った。「実は昨日、才蔵親分からね」
長崎屋は、実家に帰るという右京の後を才蔵に付けさせた事を説明してやった。
右京の帰還を、吉原の外記に注進に及ぼうとした男を気絶させた田代平介が、屋敷まで彼を付けて来た顔見知りの才蔵親分に、子細を話したのである。
「……それは、才蔵親分もさぞかし驚いたろうねぇ。しかし長崎屋さん、あなたも抜かりがありませんな。鳥山様の後をつけさせるとはねぇ」
「私はね、あのお人の正体を知りたかっただけさ」長崎屋はすまして言った。
キセルを吸い込ん長崎屋は気になっていた事を籐兵衛に尋ねた。「しかし、山城屋が黒幕とは……鳥山様は、結局どう始末を付けなさるのかね?」
「それが、藩で家老との癒着の口書きを取ったら、町奉行所に引き渡すそうです。長崎屋さんの暗殺未遂や、叩けばもっと埃が出る男だからと……被害者への救済にはその方が良いだろうとのお話でした」
「確かに」
藩の恥とばかりに内々で片付けられたら、弱い立場の者は泣き寝入りするしかない。
「……それとねぇ……長崎屋さんだから言うんだが……」ためらいがちに口にした籐兵衛。
「……何です?」
「……白雪太夫の事なんですよ。長崎屋さんが太夫にしばしば会いに来なさるのは、もう色恋より太夫に自分の所で売りに出す小物や着物の柄を批評して貰う為だろう?」ズバリと聞いた。
「……おやおや、バレてましたか」さすがですな、と苦笑する。
江戸の流行りは吉原から始まると言われている。
花魁達が好む櫛や簪、着物の柄、手回り品、化粧品……それが江戸の町に広がった。
手広く商売をしている長崎屋は、太夫に新製品を売り出す時の相談役になって貰っていたのである。
彼女のその目利きは大した物で、長崎屋の商売に大きく貢献していた。
「で?太夫に何か?家老の狼藉からは鳥山様のおかげで無事だったんでしょう?」
「まぁ……それはね……」籐兵衛は何やら煮え切らない。
「もう、じれったいねぇ!早く言っておくれ」
フーッと鈴代屋は、大きさため息をついた。「……実は、白雪太夫と鳥山様は好き合っているようなんですよ……」
「!」
「遣り手のお梅が二人のやり取りを聞いていましたんで……。まあ、あの海千山千の女が……私に話しながら涙ぐんでいましたよ」
長崎屋は半ば呆然としていた。「……いや、驚きました。お礼の宴でも二人ともそんな素振りは全然……」見せなかったと首を捻る。
「ええ……。私も最初は信じられなかったんですが……昨日の太夫の別れの様子がね……引っかかってたのと、それに禿が、そう言えば太夫の花魁道中をいつも遠くから見ていた侍がいたと言うんです……それが鳥山様だったと……。しかし惚れた相手は太夫……おそらく辛くなられたんでしょうな。鳥山様は、一時姿を消し、太夫は気鬱の病に……」
長崎屋は膝を打った。「…ああ、そうだ……鳥山様は仰ってましたねぇ……好いた女の話を……」
“それがしに取っては、あの月のような……美しい……だが決して手の届かぬ高嶺の花。一時は添えぬ苦しさに、想いを断ち切ろうともしたが、……できなんだわ。風の頼りにそのおなごが具合を悪くしたと聞いた時……例え届かぬ月であっても、失えば己に取ってこの世は闇になると遅まきながら気が付いた……”
長崎屋は話の先を促す。「……それでお梅は何と?」
「二人は抱き合い……太夫は、自分の事など忘れ、早く奥方様を迎えるように、と言ったそうです」
「……鳥山様は?」
「良い身請け話があれば受けて幸せを掴めと……。その後、口づけを交わし、『さらば』とお互いに……」つらそうに籐兵衛は長崎屋に告げた。
「……相手の想いを解放してやろうとしなすったか」
藤兵衛は頷いた。「……亡八者の私ですがね……身体を重ねる事も無く……お互いの為だけを想う二人の恋に胸が痛くなりました……」ポツンと呟いた。
亡八者……吉原に生きる者の呼び方の一つで、仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の人間の八の徳を忘れなければ出来ない商売である事、又、客にそれを忘れさせる事から来ている。
そんな彼でさえも、二人の結ばれぬ想いは、哀しく胸に響いたのであった。
「……切ないねぇ……」悲しげに長崎屋は首を振る。
「……全くで」
……シャン!
禿や花魁を従えた、白雪太夫の花魁道中に沿道から「太夫、待ってました!日本一!」
「よ!やっぱり江戸の花だぜ、お前の主さんがここにいるぜ、白雪太夫!」の声がかかる。
彼女の微笑みには、陰影が出来、それがまた男の胸を騒がせるのだった……。
鈴代屋に帰った太夫を出迎える藤兵衛。気遣わしげに「……お帰り。身体はどうだね?」
「あい、もう大丈夫でありんすよ、親父様」
外記の一件の顛末と、板場に入り込んでいた山城屋の手の者の処分を報告する為だった。
「…ほう…!まぁ、そんな事が!」
キセルの灰をポンと煙草盆に落とすと長崎屋は首を振った。
「あの松永、いや鳥山様がお殿様になられるなんて……おや?長崎屋さん、あんまり驚いていなさらないね?まさか知っていなすったのかね?」
長崎屋はニヤッと笑った。「実は昨日、才蔵親分からね」
長崎屋は、実家に帰るという右京の後を才蔵に付けさせた事を説明してやった。
右京の帰還を、吉原の外記に注進に及ぼうとした男を気絶させた田代平介が、屋敷まで彼を付けて来た顔見知りの才蔵親分に、子細を話したのである。
「……それは、才蔵親分もさぞかし驚いたろうねぇ。しかし長崎屋さん、あなたも抜かりがありませんな。鳥山様の後をつけさせるとはねぇ」
「私はね、あのお人の正体を知りたかっただけさ」長崎屋はすまして言った。
キセルを吸い込ん長崎屋は気になっていた事を籐兵衛に尋ねた。「しかし、山城屋が黒幕とは……鳥山様は、結局どう始末を付けなさるのかね?」
「それが、藩で家老との癒着の口書きを取ったら、町奉行所に引き渡すそうです。長崎屋さんの暗殺未遂や、叩けばもっと埃が出る男だからと……被害者への救済にはその方が良いだろうとのお話でした」
「確かに」
藩の恥とばかりに内々で片付けられたら、弱い立場の者は泣き寝入りするしかない。
「……それとねぇ……長崎屋さんだから言うんだが……」ためらいがちに口にした籐兵衛。
「……何です?」
「……白雪太夫の事なんですよ。長崎屋さんが太夫にしばしば会いに来なさるのは、もう色恋より太夫に自分の所で売りに出す小物や着物の柄を批評して貰う為だろう?」ズバリと聞いた。
「……おやおや、バレてましたか」さすがですな、と苦笑する。
江戸の流行りは吉原から始まると言われている。
花魁達が好む櫛や簪、着物の柄、手回り品、化粧品……それが江戸の町に広がった。
手広く商売をしている長崎屋は、太夫に新製品を売り出す時の相談役になって貰っていたのである。
彼女のその目利きは大した物で、長崎屋の商売に大きく貢献していた。
「で?太夫に何か?家老の狼藉からは鳥山様のおかげで無事だったんでしょう?」
「まぁ……それはね……」籐兵衛は何やら煮え切らない。
「もう、じれったいねぇ!早く言っておくれ」
フーッと鈴代屋は、大きさため息をついた。「……実は、白雪太夫と鳥山様は好き合っているようなんですよ……」
「!」
「遣り手のお梅が二人のやり取りを聞いていましたんで……。まあ、あの海千山千の女が……私に話しながら涙ぐんでいましたよ」
長崎屋は半ば呆然としていた。「……いや、驚きました。お礼の宴でも二人ともそんな素振りは全然……」見せなかったと首を捻る。
「ええ……。私も最初は信じられなかったんですが……昨日の太夫の別れの様子がね……引っかかってたのと、それに禿が、そう言えば太夫の花魁道中をいつも遠くから見ていた侍がいたと言うんです……それが鳥山様だったと……。しかし惚れた相手は太夫……おそらく辛くなられたんでしょうな。鳥山様は、一時姿を消し、太夫は気鬱の病に……」
長崎屋は膝を打った。「…ああ、そうだ……鳥山様は仰ってましたねぇ……好いた女の話を……」
“それがしに取っては、あの月のような……美しい……だが決して手の届かぬ高嶺の花。一時は添えぬ苦しさに、想いを断ち切ろうともしたが、……できなんだわ。風の頼りにそのおなごが具合を悪くしたと聞いた時……例え届かぬ月であっても、失えば己に取ってこの世は闇になると遅まきながら気が付いた……”
長崎屋は話の先を促す。「……それでお梅は何と?」
「二人は抱き合い……太夫は、自分の事など忘れ、早く奥方様を迎えるように、と言ったそうです」
「……鳥山様は?」
「良い身請け話があれば受けて幸せを掴めと……。その後、口づけを交わし、『さらば』とお互いに……」つらそうに籐兵衛は長崎屋に告げた。
「……相手の想いを解放してやろうとしなすったか」
藤兵衛は頷いた。「……亡八者の私ですがね……身体を重ねる事も無く……お互いの為だけを想う二人の恋に胸が痛くなりました……」ポツンと呟いた。
亡八者……吉原に生きる者の呼び方の一つで、仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の人間の八の徳を忘れなければ出来ない商売である事、又、客にそれを忘れさせる事から来ている。
そんな彼でさえも、二人の結ばれぬ想いは、哀しく胸に響いたのであった。
「……切ないねぇ……」悲しげに長崎屋は首を振る。
「……全くで」
……シャン!
禿や花魁を従えた、白雪太夫の花魁道中に沿道から「太夫、待ってました!日本一!」
「よ!やっぱり江戸の花だぜ、お前の主さんがここにいるぜ、白雪太夫!」の声がかかる。
彼女の微笑みには、陰影が出来、それがまた男の胸を騒がせるのだった……。
鈴代屋に帰った太夫を出迎える藤兵衛。気遣わしげに「……お帰り。身体はどうだね?」
「あい、もう大丈夫でありんすよ、親父様」
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