永遠の双子

茶々あやめ

文字の大きさ
7 / 10

事故物件

しおりを挟む
昼下がりの駅前は、秋の乾いた空気で満ちていた。ビルの谷間から射し込む陽光が、まるで舞台照明のように舗道を照らしている。
鷲麗華は、小さな不動産屋の前で立ち止まった。隣には純明がいて、彼は新しいゲームを思い出したかのような顔で、興味津々に看板を覗き込んでいる。

「ねぇ、お姉ちゃん。今日、雅子さんの引っ越し先、見に行くんだよね?」

「そうよ、純明ちゃん。雅子が授業で来られないから、代わりに内見しておいてほしいって頼まれたの。私、こういうの嫌いじゃないのよね。お部屋を見て、その空気を感じるの」

麗華は、胸の前でスマホを軽く握った。雅子から送られてきた物件情報が画面に表示されている。
駅から徒歩五分、築十五年、ワンルームの賃貸マンション。家賃は学生にも優しい設定だ。だが、ひとつだけ妙な点があった。
備考欄の最後に、**「告知事項あり」**という短い文字。

「ねえ、お姉ちゃん。この“告知事項”って、なぁに?」

「……さあ、何かしらね。多分、大したことじゃないわ」

そう答えながらも、麗華はほんの一瞬、眉をひそめた。
「告知事項あり」──事故物件によく使われる表現だ。誰かが亡くなった、あるいはトラブルがあった。そういう“現実”の影が潜んでいることを、彼女は知っていた。

不動産屋に入り、担当の男性に案内されて物件へ向かう。
昼の陽射しの中を歩いているのに、なぜか空気は少し湿って重い。
純明は、そんなことは気にも留めず、ぴょんぴょんと段差を飛び越えながら楽しそうに先を歩いていた。

「お姉ちゃん、早く早く!」

「はいはい、純明ちゃん。そんなに急がなくても、お部屋は逃げないわ」

マンションは外観こそ古びていたが、清掃は行き届いており、ぱっと見には何の変哲もない建物だった。
エントランスを抜け、エレベーターに乗る。鏡張りの壁に、麗華と純明が並んで映る。
……不動産屋の男性は、鏡の中の麗華だけに視線を向けていた。

「この部屋は、学生さんにも人気なんですよ。お一人なら十分な広さですし」

「ええ、そうですね。私と純明ちゃんにはぴったりです」

「えっ……?」

男性が一瞬、言葉を飲み込んだ。
麗華はその様子に気づかず、微笑んだまま扉が開くのを待っていた。

部屋に入ると、空気は少しひんやりしていた。
南向きで日当たりは悪くないが、どこか妙に静まり返っている。
外の車の音や鳥の声が、急に遠くなったような感じがした。

「わあ……広いね、お姉ちゃん!」

純明が部屋の真ん中をくるくると回り始めた。麗華は靴を脱ぎ、ゆっくりと床を踏みしめる。
床は古いフローリングで、奥の隅にはうっすらとしたシミがあった。丸い形をしていて、何かをこぼしたようにも見える。

「ここ、いいね。落ち着くよ」
純明の声が、やけに優しく部屋の中に響いた。

麗華は、不動産屋の説明を聞き流しながら、窓際に立った。
外の景色は、ごく普通の住宅街。なのに、胸の奥に小さなざわめきが残る。
まるで──この部屋が、自分たちを迎え入れてくれているような感覚。

「ここ、純明ちゃん、好き?」

「うん! なんかね……ここ、すごく静かで、僕たちにぴったりな気がするよ」

「そう……私も、そう思うわ」

麗華の声は、少しだけ甘やかだった。
担当の男性は、間取り図を広げながら説明を続ける。

「ちなみに……こちらの部屋は、ちょっと特殊でして。三年前に──」

男性が言いかけた瞬間、麗華はくるりと振り返った。

「大丈夫です。そういうの、気にしませんから」

笑顔だったが、その目は真っ直ぐに彼の言葉を遮っていた。
男性は困惑したように一瞬黙り、咳払いをして別の説明に切り替えた。



内見が終わり、マンションを出たのは午後三時を少し回った頃だった。
麗華はスマホを取り出し、雅子に電話をかけた。

「雅子? うん、今見てきた。……ええ、とっても静かで、日当たりもいいの。純明ちゃんも、気に入ったって」

『……純明くん?一緒なの?』

「ええ、純明ちゃんよ。ね、純明ちゃん?」

麗華は、隣に立つ弟に微笑みかけた。純明は満足そうにうなずいた。
その仕草は、あまりにも自然で、まるでそこに本当にいるかのようだった。



帰り道、夕陽がビルの間から差し込む中、麗華はふと呟いた。

「ねえ、純明ちゃん。……あの部屋、いいかもしれないわね」

「うん。あそこなら、お姉ちゃんと僕、ずっと一緒にいられる気がする」

麗華は、目を細めた。
事故物件──そう呼ばれる部屋には、何かしらの「記憶」が残っているという。
けれど麗華にとっては、そんなことは問題ではない。
むしろ、彼女はそこに**別の意味での“静寂”と“居場所”**を感じ取っていた。

風が吹き抜ける駅前の通りで、麗華と純明は並んで歩いた。
まるで、未来の新しい生活を夢見る姉弟のように──。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...