佐藤と朝霧とおうちごはん

藍 雨音(アイ アオト)

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139 出発の朝

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いよいよ出発、となると何か忘れている気がして、でも思い当たるものもなく、ただ落ち着きなくカバンを開けたり閉めたり。
部屋の電気を消したら、真っ暗だ。

「忘れてたら、途中で買え」
「途中で気付いたらいいけどさ?! でも、向こうまで行ったら店がねえかも……」
「車がある。出ればいい」

あ、そっか……。

「けど、スマホとか忘れたら……!」
「それだけ確認しろ」

余裕で笑う朝霧は、どうせスマホを忘れたところで困らない。こいつ、最強だな?! 何をなくそうが忘れようが、何も困らねえ!

何度も確認し、スマホは確実に今持ってる。
よし、と車に乗り込んで。
運転席のドアが開いて、ぬっと長い脚が差し込まれた。
でかい存在感が乗り込んだ途端、車体が揺れる。身体を捻って後部座席に上着を放り込んで、俺を見た。

ふいに、ぐっと乗り上げるように目の前に来た大きな身体。
なっ……?!
急激な接近に思わず息を止めて見開いた目と、覗き込む切れ長の目。
前髪の触れそうな距離に固まる俺をよそに、朝霧は悠々と右手でシートベルトを引き、カチリ、と俺に着けた。

「ちゃんと、着けておけ」

にや、と笑う確信犯の顔に、一気に全身が熱くなる。
わざと……! お前……さすがに今のはダメだろ?!

「し……知ってるわ!! いつも着けてるわ!! お前、そういうとこが遊び人だっつって――」
「初めてやったぞ?」

しれっと言う朝霧に、腹が立って仕方ない。
出発前から、これかよ!
不貞腐れる俺を笑って、朝霧がエンジンをかけた。
ゆっくり動き出した車に、また別のどきどき感が湧いてくる。
旅行だ。なんか、すげえ旅行って気がする。
こんな暗い中、たくさんの荷物を持って。

「……なあ、朝飯食う? おにぎりしかねえけど」
「早いな。いる」

落ち着かなくてカバンをごそごそして言うと、朝霧が吹き出した。
確かに、まだ朝食の時間じゃねえけど。でも、起きたんだし。

「何がいい? おかか系と、昆布系と、肉系と……」
「肉」

だろうな、と笑ってしぐれ煮入りおにぎりを渡してやる。
お前用に結構大きめに作ったけど、そのひとくちを見るに、もっと数が必要だったかも。
俺はおかかを取って、ちびりと齧った。正直、腹減ってねえ。

「……旅行でおにぎり、すげえ久々だ」
「定番じゃねえの? つうかお前、そもそも旅行行ってねえもんな」
「ああ。すげえ懐かしい。遠足みたいだな」
「そんなに?!」

驚いたものの、そうか……コンビニのならともかく、こういうおにぎりって食う機会ないかも。
しかも旅行に持って行くとか、子どもの頃くらいか。

「パンとかの方が良かったか? 確かに最近こんな風に持ってかねえよなー」
「これがいい。美味い」
「なんかさ、旅行って感じで良くねえ?」
「すげえ、いい」

ちら、と見た朝霧の横顔が、絶対に嘘じゃなくて。
言葉よりもずっと雄弁なその表情に、思わずほくそ笑む。
続いてツナマヨをぺろっと食った朝霧が、ちら、とおにぎりを詰めた容器に視線をやる。

「それ、全部食っていいのか?」
「え……さすがに多いだろ? 朝に全部食わねえよ。途中で腹減った時用に残しとけば?」
「そうか」

だってどうせ、日が昇ったくらいにまた腹減ったって言うだろ。
残念そうな朝霧に、ほとんど減ってない俺のおにぎりを見た。これ、食うかな。

「お前、俺の食いかけで――」
「食う」

狙ってたのかよ、と笑って差し出すと、ご機嫌に受け取った。
おにぎりを食うだけで、朝霧が笑顔の大盤振る舞いだ。浮かれてるっつうか、何て言うか。
お前、本当に素直だよな。
……俺も、楽しいけど。
けど、俺は大人だから、お前みたいにそのまま顔に出したりしないぞ。
朝霧くんは、時々小学生だからな。

少しシートを倒して、膝を抱え込むようにスマホを見る。
朝霧のSNSに、相変わらずすごい数のリアクションがついているのを見て苦笑した。
中身が宮城さんとも知らずに……勝手に俺が申し訳ない気分だ。
『表の朝霧』用の画像は、正月らしく袴姿。一応、平田さんたちも含め、メインメンバーのSNS挨拶画像はこの姿らしい。普段チャラすぎる平田さんのSNSは、きりりとした姿に結構反響があったらしく、本人だけがなぜか悔しがっていた。朝霧のSNSは言うに及ばず、だ。

投稿しているのは宮城さんだけど、朝霧のキャラを守っているので、投稿内容は『あけましておめでとうございます』のみ。うん、いかにも朝霧らしい。
怜悧と言えるような、凛としたクールな顔。きりりと上がった眉と、静かな切れ長の瞳。
……男前だよなあ。カメラさんの腕はいいけど、それ以上に素材がさあ。
にっこにこで、頬膨らませておにぎり食ってたヤツと同一人物と思えねえ。

じっとスマホを見ていた俺は、信号で止まったことに気付かなかった。

「……何、見てるんだ」
「あ……あっ?!」

ぐっと腕を引き寄せられ、さっと血の気が引いた。
こんなタイミングで、そんなことする?!
ちょっとむくれた顔をしていた朝霧が、画面を見て、俺を見て、画面を見た。

「……」
「ち、違うぞ?! 今、たまたまお前のSNS反響を見ようと思って……!! なんつうタイミングで見るんだよ! 違うからな?!」
「何が」

からかう口調ながら、ほんのりはにかむ朝霧が俺の心臓を傷めつけに来る。

「SNS見たタイミングだっただけ! それ以上の意味はねえよ!」
「それ以上の意味ってなんだ」
「うるせー!!」

再び動き出した車内で、不機嫌な俺と、上機嫌の朝霧。

「……和装、確認してただけだから」
「ああ」
「言っとくけど、平田さんのSNSも見たんだからな」
「それは言わなくていい」

途端にむすっとした朝霧に、俺の機嫌が良くなる。
ホントは、今見たのは朝霧だけだったけど。
考えてみれば、俺は何をじっと見ていたんだろうな。

まだ出発したばかり。
高速にも乗ってねえってのに、何かもう既に色々あった気がする。
色々、楽しい気がする。
邪魔になる上着を膝に掛けると、つ、と伸ばされた手が、軽く俺の頬に触れた。

「寒いか?」
「……寒くねえよ。今は」

そうか、と笑う顔が柔らかくて。
これ、宮城さんが顎を外すやつだ、と思う。
掠めるように触れて離れていった朝霧の手は、すげえあったかかった。
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