佐藤と朝霧とおうちごはん

藍 雨音(アイ アオト)

文字の大きさ
7 / 164

7 あのときのこと

しおりを挟む
「入社の日……見かけた」
「それは、まあ……見かけるかもな。でも、普通覚えてないだろ?」

朝霧はその外見で目立つだろうけど、俺は外見も中身も一般人だ。
入社の日の記憶を辿ってみても、何も心当たりは……な、何も……。

「え……もしかして、あの、俺が酔っ払ってるの見た? 違うんだ! つい、入社できたのが嬉しくて飲み過ぎただけで! 普段はあんなことにならないから!」

ダラダラ汗が流れるのを感じる。嘘だろ、もしかして朝霧があんなに酔うのを心配していたのって、あの時の……。
確か、はじめましての相手をたくさん捕まえて飲みに繰り出したはいいものの、俺が一番先に酔い潰れて……。
でもあのメンバーの中に、こんな男前はいなかった、絶対いなかった!

今でも飲みの時にネタにされるアレ。
そこら中の人に片っ端から話しかけに行くわ、酒瓶や椅子にまで話しかけ出して大変だったとか……。
記憶はない。だから、盛られてねつ造されている可能性を信じていたのに。

朝霧は、少し目を細めて面白そうに俺を見た。

「あれは、酔っていたからなのか?」
「そう! いや、そうでもない! 普段は、いくら酔ってても椅子とかカバンにまで話しかけたりしない! せいぜい猫とか、生き物だけ!」

ふっと声を漏らして、朝霧がテーブルに顔を伏せた。
あれ……? 
思ったのと違う反応に首を傾げると、口元を押さえた朝霧が顔を上げた。

「そ、そうか。俺が見たのは、その前」
「前? 酔っ払う前?」
「飲みに行く前。大勢連れて、嬉しそうに飲みに行く所」
「飲んですらいねえ?! お、お前もしかして俺を騙した……?」
「スキップしていたな」

くそ、涼しい顔してカマかけやがった!! 
何がスキップだ、そっちはそっちで恥ずかしいわ!! 
でも俺だって当時はピチピチの社会人一年目、きっと許されるビジュアルだったに違いない。

「けどな! それってそんな珍しい光景? みんな浮かれてたと思うけど」

やっと、やっと就職活動が終わったんだ。そんな解放感に浸っていたのは、俺だけじゃなかったはず。スキップまでしてたのは俺だけかもしれねえけど!!

「初対面の相手を、あんなに引き連れていたヤツはいない」
「そう……? 行こ行こーって声かけたら、結構来たぞ」
「せいぜい他は2、3人だ。すげえ目立ってた」

そうだっけ? 俺、本当に浮かれてたから、全然覚えてない。朝霧がいたことも知らない。知ってたら写真撮りに行ったし。
そもそも目立ってたとは言え、その程度。生ぬるい目を集めるくらいの光景だろう。
合同入社式だったから結構な人がいたはずなのに、それだけで本当に俺が記憶に残ったのか? 

「あのさ、本当にそれだけ? そんなんで俺の顔覚える?」
「まあ……」

ス、と視線が逸らされた。
絶対、絶対他になんかある!!

「何だよ?! 俺、他には何もしてなかっただろ?! 何かあるなら言ってくれ!!」
「佐藤は、してないが……」

何なの、何で言い淀むの。
なんか、怖いんですけど……。

「佐藤は、最近電車で大丈夫なのか?」
「電車? 何が?」

すげえ言い辛そう。電車はほぼ毎日乗ってるけど、一体何が大丈夫じゃないのか。

「痴漢とか……」
「は?! そんなことしねえよ?! とんでもない言いがかりなんですけど!!」

思わず立ち上がってテーブルに両手をついた。
い、言うに事欠いて、それ、犯罪ですけど?! それなら酔っ払いエピソードの方がずっといい。

「絶対そんなことしてねえからな! お前、何を見たって言うんだよ?!」

鼻息も荒く、言い争う気満々で朝霧を睨み付けると、朝霧は少し困った顔をする。全然動じてないのが腹立たしい。

「違う。お前は、してない」
「……なんだよ。じゃあ、何の話だよ」

拍子抜けて座り直すと、朝霧はまた口を閉じてしまう。
早く話してくれねえかな?! 気になるんですけど!

「入社式の日、同じ電車に乗ってた」
「え、そうなの? 俺、全然気付かなかった」
「お前は、ずっと会社説明を読んでた」

……確かに。
確かに、そうだった。
もし、入社式で突然『我が社について、どう思うかね?』みたいな質問が来たら……とか色々考えて、めっちゃ読み込んでたわ。それはもう、入試に臨む学生みたいな気分で。
つまり、朝霧は本当に俺と同じ電車に乗ってたんだな。しかも、結構近い距離にいたってことだ。

「会社資料が見えたから、気になって」
「ああ、同じ会社の同期ってことだもんな」

そりゃ、普通気になる。そしてどうやら、その時に会社資料の宛名が見えたらしい。俺ってウカツー、女子社員だったらそこからストーカーに目を付けられる……なんてこともあり得る事態だ。

「それだけ?」

なんで言い淀んだ? という内容に訝しむと、視線が少し彷徨った。
重い口を開いて、言いにくそうに低い声が零れる。

「……痴漢がいた。多分」
「は? だから?」
「お前の尻を……」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待て?!」

ガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、生真面目な顔を見つめた。じょ、冗談ってわけじゃねえな?

「俺が? 痴漢されてたって話?! そんなわけねえだろ!!」
「俺も、男が被害にあうと思ってなかった。どうみても尻に手をやってたが」
「ウッソだろ?! おええぇ?!」

朝霧が言うには、そこまで満員電車でもないのに、やたら俺の背後に密着する男が気になっていたのだとか。
スリか、と思って警戒していたらしいが……どう見ても、その手は俺のケツに沿っていて。
考えただけで、全身が総毛立った。

朝霧が見る限り、どう見ても痴漢行為だったけれど、何せ俺は男。
困惑した朝霧は、とりあえず男の足をぐっと踏んでみたらしい。つうか、そんなそばにいたのかよ?!
男は、朝霧の顔を見てそそくさ逃げていったから、痴漢だったと確信したのだとか。
いやー。こんなデカい強面男に足踏まれたら、後ろめたい所なくても、そういう反応すると思うけどな。

「そう、もしかしたらそう見えただけで、ただの密着オジサンだったかもしれねえし」

それでも、十分に嫌だけど。
テーブルに突っ伏す俺に、朝霧が『……そうだな』なんて心にもなさそうな言葉を返す。

「聞きたくなかった……」
「だから、言わないつもりだった」

それならそうと言って欲しかった!
聞かされた人生の汚点に、俺は盛大なため息を吐いてクッキーを詰め込んだのだった。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

「これからも応援してます」と言おう思ったら誘拐された

あまさき
BL
国民的アイドル×リアコファン社会人 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 学生時代からずっと大好きな国民的アイドルのシャロンくん。デビューから一度たりともファンと直接交流してこなかった彼が、初めて握手会を開くことになったらしい。一名様限定の激レアチケットを手に入れてしまった僕は、感動の対面に胸を躍らせていると… 「あぁ、ずっと会いたかった俺の天使」 気付けば、僕の世界は180°変わってしまっていた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 初めましてです。お手柔らかにお願いします。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。自称博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「絶対に僕の方が美形なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ!」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談?本気?二人の結末は? 美形病みホス×平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。 ※現在、続編連載再開に向けて、超大幅加筆修正中です。読んでくださっていた皆様にはご迷惑をおかけします。追加シーンがたくさんあるので、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

処理中です...