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ユンボイナ

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 美咲は二十七歳の都内で働く会社員だった。そして、女性が好きな女性である。前の彼女と別れてから一年ほど経ち、また恋愛をしたいと思ってレズビアン用の出会いアプリに、本名の「みさき」で登録してみた。
 そのアプリは、まずホーム画面でTwitterのようにつぶやくことができ、そこで返信をするなどしてお互い気が合えば個別のトークに移行するといった使われ方をしていた。

 美咲は当初、「仕事マジだるい」とか「パンスト廃止!」などと適当にホーム画面でつぶやいていたのだが、たまに「わかるー」などと返信が来る程度でなかなかトークにまで発展しなかった。
 一か月程度アプリを使って、「やっぱりここで彼女を作るのは難しいかな」と思いかけたとき、何となくあるつぶやきが目に止まった。

 「誰か、しりとりしましょうー。二トントラックの『ク』からスタート!」
他愛ないつぶやきだったし、九州の20歳という、まず交際には発展しないだろうプロフィールだったが、その夜なかなか寝付けそうになかった美咲は返信することにした。
「紅の豚の『た』」
数分後、その九州のハタチ、ハンドルネーム「ごましお」から返信があった。
「玉掛けの『け』」
美咲は考えた末にこう返信した。
「ゲド戦記の『き』」
そうしたところ、「ごましお」からまた数分後に返信があった。
「危険物の『つ』。てか、みさきさん、こんなんにお付き合いいただきありがとうございます!」
美咲は返信した。
「つじあやの、の、『の』。ごましおさんは何の仕事をしているの?」
ごましおからの返信はこうだった。
「納期の『き』。私は二トントラックの運転をしています。みさきさんは?」
美咲は返信した。
「キキの『キ』。普通の会社員だよ。トラック運転手、かっこいいな!」
「共同配送の『う』。とんでもない、東京で会社員のほうがかっこいいです。ジブリファンなんですか?」
「ウルスラの『ラ』。いや、子どものときにたくさん観せられたというだけ。ごましおさんのは物流用語?」
「ラックの『ク』。本当だ、全部そんな感じになってた! しりとりばかりもあれなんで、トークしませんか?」
「クロトワの『ワ』。そうしよう!」
 しばらくすると、ごましおから美咲にトークが送信されてきた。
「改めてはじめまして、宮崎在住のごましおと申します。プロフ、見てくれましたか?」
美咲はまだごましおのプロフィール画面を見ていなかった。慌てて確認すると、そこにはショートボブでキリッとした目の女の子の画像が載せられていた。やばい、結構タイプかも、と美咲は思った。
「トラック運転手だと言うから、ごついボイさんを想像してたけど違うんだね。安心した!」
美咲がそう返信すると、ごましおからの返信はこうだった。
「顔はこんなだけど、身長は170弱ありますよ。ってか、みさきさん、こんなガキの相手してていいんですか?」
「背が高い人、素敵! 私こそ、かなり年上で申し訳ない。」
「いや、私、年上好きなんですよ。よかったらLINE交換しませんか?」
アプリ上では一応LINEの交換は禁止されている。しかし、誰もそんな決まりは守っていなかったから、美咲もLINEのIDを送信した。
 十分くらいして、ごましおかららしい「ごま」という名前のアカウントからLINEメッセージが届いた。
「ありがとうございます。明日は早いので、おやすみなさい! また遊んでやってください。」
「おやすみなさい!」
美咲はペンギンが「おやすみ」と言っているスタンプを送信した。

 それから、美咲は毎日LINEでごましおとやり取りをした。ごましおからは早朝に出発報告、昼前に今日のランチの報告、夕方に仕事終わりの報告がそれぞれあり、夜9時ころに何往復かやり取りをする程度だったが、それでも楽しかった。
「あの、みさきさん、私のこと誰にも言わないでくださいね。私、まだカミングアウトしてないんです。」
「大丈夫、宮崎なんかに知り合いいないから!」
「よかったー! 田舎なんで世間が狭いからあっという間に噂が広がりかねないんです。」
「だから大丈夫だってば。安心してよー。」
 だいたい、夜はこのようなやり取りの後に、ごましおから「おやすみなさい」と送信される。朝になると、「おはようございます! 今日も元気に出発進行!!」とくる。だいたいその時間には美咲はまだ寝ているが、起きたときに「おはようー。今日はどこへ?」などと返信する。長年一人暮らしをしている美咲は、誰かとおはよう、おやすみを言い合う習慣がなくなっていたので、新鮮な気持ちになっていた。

 それが十日ほど続いたある土曜の夜、ごましおから美咲にLINEがあった。
「明日は仕事が休みなので、少しだけ通話しませんか?」
美咲が「いいよ!」と返信してしばらく待っていると、ごましおから音声着信があった。
「もしもし、ごましおです。」
ごましおの声は思ったよりも低くて落ち着いていた。
「みさきです、こんばんは! いつもお仕事お疲れ様。」
「みさきさんだって平日はお仕事でしょう?」
「だけど私はデスクワークだもん。身体を動かしている人は偉いなあって思うよ。」
「みさきさん、突然だけど、初恋の人ってどんな人ですか?」
美咲は思い出した。初恋は近所の二つ上のお姉さんだった。その人は特に美人でもスタイルがいいわけでもなかったけれど、美咲には優しくしてくれた。そんな話を美咲がすると、ごましおは言った。
「私は遅くて、高校生のときに古文の先生なんですよ。」
「ハタチのいう、『高校生のとき』ってつい最近じゃないの!」
美咲は笑った。
「四年前ですね。私、その先生と仲良くなって、卒業後もたまに会ってるんです。」
「何それ、進展ないの?」
「ありませんよ、先生、去年結婚したし。」
なぜかそれを聞いてホッとする美咲だった。
「残念だね。それで出会いを求めてアプリに登録したの?」
しばらくごましおは沈黙した。そして三十秒後、こんなことを言い出したのだ。
「いや、素で他の人と話がしたかったんです。私、誰にもカミングアウトしてないし、そもそも私は女の人を好きになったらダメなんです。」
女が女を好きになって何がダメなのか、美咲はさっぱり分からない。
「それ、どういうこと?」
ごましおは、今度は十五秒くらい間をあけて言った。
「宗教上の理由でダメなんですよ。」

 ごましおの説明によると、彼女は父親と母親があるキリスト教系の宗教の信者で、生まれたときに彼女も洗礼を受けたという。その宗教は同性愛はご法度で、もしばれてしまうとその宗教から追放されてしまうとのことだった。美咲は言った。
「うーん、キリスト教でも同性愛者のグループみたいなのがあるから、そういうのに参加してみたらどうかな?」
「参加しないと思います。それに参加するくらいなら、私、宗教やめます。」
ごましおはキッパリ答えた。
「そうだよ、そんな不自由な宗教やめちゃえ!」
「だから今、悩んでるんです。もし宗教を辞めると、宗教の仲間だけじゃなく親兄弟からも絶縁されますし。」
思った以上にごましおの悩みは深かった。
「そっか、難しいね。でも悩みがあったら私で良ければ聞かせて。無宗教だから知識はないけど。」
「ありがとうございます。その時は是非。」
 その後、美咲とごましおは三十分程度雑談をして、通話を終えた。しかし、美咲はやはり、ごましおの宗教のことが気にかかり、スマホでその宗教のことを調べてみた。すると、やたら禁止事項の多い宗教であることが分かった。
 同性愛だけでなく、異性との婚前交渉も禁止、そもそも下ネタ話すら禁止だった。ほどほどのアルコールは認められてはいるが、煙草も禁止。政治活動は投票すら禁止されている。他にも音楽や読書、テレビ番組の内容も色々チェックされるようで、これでは今の日本で普通に生活できないのではないかと思ってしまう。美咲はごましおとの間に越えられない壁があることを感じた。

 それ以降も、ごましおからは前と同じようにLINEのメッセージが届いた。朝の出発報告、お昼ご飯の報告、仕事終わりの報告、夜のやり取り。美咲も、なるべく従前通りに対応した。お互い、宗教のことには一切触れなかった。
「みさきさん、今日は運転していたらすごい美人を発見しました。」
「よそ見して事故起こさないでよ?」
「おじさんばかりの中で働いているので、たまには目の保養をしたいです!」
「私でよければ宮崎まで行ってご飯おごるよ。何か食べたいものある?」
「回らないお寿司が食べたいです!」

 二人はこんな他愛ないやり取りを何週間か続けていたが、美咲はあることに気づいた。それは土曜の日中にはごましおから一切返信がないことである。ごましおの仕事は土日休みだったはずだ。ある日の夜、美咲は思い切ってごましおに尋ねた。
「ねぇ、ごまちゃんって土曜日は寝てるの? 友達と遊んでる??」
ごましおからの返信はこうだった。
「土曜日は仲間と活動しています。」
美咲は悟った。仲間とは宗教の仲間で、活動とは布教活動だ。
「まだ宗教やってるんだ?」
「はい、宗教から抜け出せない以上、活動するしかありません。」
 美咲はもう何も返信できなかった。その夜、よく自分の考えを整理したが、ごましおには、「そんな不自由な宗教やめたら?」としかかける言葉がなかったのだ。

 翌朝、美咲が起きると、ごましおから、「おはようございます! 今日も元気に出発です。配送先の事務のお姉さん、また会えたらいいなあ。」というメッセージが届いていたので、美咲はこう送信した。
「おはよう。そんなんじゃごまちゃんは楽園にいけないね!」
そうしたところ、ごましおからのお昼のLINEはこんな内容だった。
「今お昼ご飯タイムですが、食欲ありません…真面目に凹んでいます。やっぱり女の人を好きになることは止めるべきでしょうか?」
美咲は驚いた。ちょっと冗談で返したつもりなのに悩まれても困る。それに、「宗教をやめる」ではなく、「女の人を好きになることを止める」とはどういうことだ。
「冗談だよ。宗教をやめると言ったあの時の元気はどこへ行った?! 」
すぐに返信があった。
「やっぱり私、やめられそうにないです。生まれたときからそうだから、今やめたら心の支えがなくなってしまう。」
美咲もすぐに返信した。
「せっかく勇気出してあのアプリに登録したのに! 女の人が好きなのもごまちゃんは今更変えられないでしょう? 宗教を取るの、自由を取るの??」
 しかし、これに対するごましおからの返信はしばらくなかった。美咲は後悔していたが、あまり追撃LINEを送信するのも良くないと思い、そのまま様子を見ていた。その週の平日は、ごましおからおはようもおやすみも送られず、美咲は寂しい気持ちだった。

 土曜の夜、やっとごましおから返信があった。
「宗教を取ることになりそうです。今、通話いいですか?」
美咲はこれに返信せず、通話ボタンを自ら押した。
「もしもし、みさきです。どうしたの?」
「やっぱり私には無理です。宗教を捨てることは今までの二十年間を否定することになってしまいます。」
「人生は八十年もあるんだよ? この先の六十年、ずっと不自由なままでいいの??」
美咲は少し大きな声になっていた。
「想像すると辛いですが、多分私はこのまま、同じ宗教の人と結婚して、子どもを作って、布教活動をするのが一番いい人生なんですよ。そうじゃないと、みさきさんが言ったように楽園に行けませんからね。」
美咲は笑った。
「いや、だからあれは冗談だって言ってるじゃない! あの世で楽園に行けなくたってこの世で幸せにはなれるよ。」
しかし、ごましおは真面目に答えた。
「多分、私が女の人を好きになってしまうことは、天から与えられた試練なんです。これを克服することで、私は楽園に行けます。楽園とは私には絶対的なもので、普通の人が天国とか極楽とか言っているのとはノリが違うんですよ。」
美咲は呆れてしまった。
「ああ、もう、二十年かけてガッツリ洗脳された結果がそれなのね。」
「みさきさんが私のことを思って色々言ってくれているのはありがたいんですが、やっぱり今は洗脳された結果ではなく、楽園は実際にあるものだとしか思えません。それで、なんですが……。」
「何?」
「うちの宗教では、あまり無宗教の人や他宗教の人と深く交流することもタブーなんです。だから、もう今日で終わりにしましょう。」
美咲は怒りながら言った。
「終わりしましょう、って、ごまちゃんからトークやLINEに誘っておいて、随分勝手じゃない?」
「本当にごめんなさい。今まで楽しかったです。だけど、やっぱり宗教的に無理なんです。今日はお別れを言おうと思って。」
ごましおの声は沈んでいた。
「分かった。もう連絡しないけど、ブロックしたらいいよ。私もブロックする。」
美咲は本当は泣きたかった。東京と宮崎は遠いが行けないこともない。連休などに一度会えたらいいなと思っていたが、それもかなわないようだ。
「じゃあ、そうしましょう。みさきさん、お元気で。」
ごましおはそう言うと、通話を切った。
美咲は後で念のためアプリを見たが、アプリのほうも既に退会しているようだった。
「人には物理的な距離以外にも、いろんな距離があるものね。」
美咲は一人ため息をついた。
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