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夜更けのオフィスを出て、人気の少ない通りを歩く。
残業で疲れているはずなのに、足取りは落ち着かない。
仕事の資料が頭に残っているのに、それ以上に、奈緒の姿が脳裏から離れなかった。
タクシーを降り、部屋の鍵を回す。
玄関の明かりを点けた瞬間、静けさが全身を包む。
40代になってから、この孤独には慣れていた。
ひとりで暮らす部屋は整っていて、無駄な物は置かない。
それが今夜は、どうしようもなく空虚に感じられた。
ソファに腰を下ろし、ネクタイを緩める。
目を閉じれば、奈緒の泣き声が耳の奥に甦る。
あの夜――痕を見つけた瞬間に、理性よりも先に出てしまった言葉。
「夜の仕事をやめてくれませんか」
言うべきではなかった。まだ関係も曖昧なまま、彼女を縛るようなことを。
だが、言わずにいられなかった。
首筋に浮かんだ赤い影を見たとき、胸の奥が焼けるように痛んだ。
誰かの手が彼女に触れていた――その事実を、どうしても受け入れられなかった。
「……俺は、器の小さい男だな」
自嘲が漏れる。
だが同時に、あの瞬間の奈緒の表情も思い出す。
震えながら、それでも俺を見上げて言った。
「……やめる、かも。誠一さんがいるなら」
熱に浮かされた言葉だと分かっている。
けれど、俺はあの言葉を信じたくてたまらなかった。
無理に読み進めたはずの資料の文字が、今はまったく頭に入ってこない。
目を閉じると、彼女の姿ばかりが浮かぶ。
何度も絶頂に達して、汗に濡れて、声を詰まらせながら俺の名を呼んだ彼女。
腕に縋り、降りてこられないほど震えていたあの体。
本当は、もっと甘やかしたかった。
ぐずぐずになるまで抱きしめ、何度でも可愛いと囁いて、奥の奥で果てたかった。
避妊を守っているのは当然だ。だが――
「……中に、欲しいな」
喉の奥からこぼれた独り言に、息が詰まる。
そんなことを望むのは、身勝手だと分かっている。
それでも、溢れるように欲望が込み上げてくる。
気づけば手が勝手に動いていた。
シャワーすら浴びず、ソファに深く身を沈めたまま、奈緒を思い浮かべる。
「奈緒さん……」
瞼の裏に描くのは、泣き声と汗に濡れた頬。
絶頂の中で必死に呼んでくれた声。
想像の中で、俺は彼女を抱き潰す。
もっと、と言えなくなるまで与え続け、ぐったりと腕に沈めて、中で溶かす。
「……あぁ……」
自分の声に驚きながらも、止められなかった。
彼女の吐息を思い出すたびに、速度は増していく。
「……奈緒……さん……っ」
叫びのように名前を吐き出して、熱を解放する。
息が荒くなり、指先に力が残る。
ソファに崩れ込み、天井を仰いだ。
虚しさが押し寄せるはずなのに、不思議と胸の奥は温かかった。
――こんなにも誰かを求めるのは、初めてだ。
大学以来、恋など縁のない日々を過ごしてきた。
仕事に没頭し、遊びに流れることもなく、ただ時間を積み重ねてきた。
けれど今は、彼女のことで頭がいっぱいだ。
俺は、恋をしている。
荒い呼吸を落ち着かせながら、スマホを手に取る。
メッセージが届いていないか確認する。
画面は暗いまま。
何も変わらない現実が、妙に胸を締めつけた。
「……子供みたいだな」
苦笑しながらも、手はスマホから離せない。
彼女から一言でもあれば、どんなに救われるだろう。
画面に触れる指先が、宙に迷う。送るべきではないと分かっている。
でも、次に会える日を数えてしまう。
ソファに沈み込み、薄暗い天井を見つめる。
「……俺だけの奈緒になってくれ」
誰にも届かない声を呟きながら、まぶたを閉じた。
熱の残り火が、まだ体の奥に燻っていた。
残業で疲れているはずなのに、足取りは落ち着かない。
仕事の資料が頭に残っているのに、それ以上に、奈緒の姿が脳裏から離れなかった。
タクシーを降り、部屋の鍵を回す。
玄関の明かりを点けた瞬間、静けさが全身を包む。
40代になってから、この孤独には慣れていた。
ひとりで暮らす部屋は整っていて、無駄な物は置かない。
それが今夜は、どうしようもなく空虚に感じられた。
ソファに腰を下ろし、ネクタイを緩める。
目を閉じれば、奈緒の泣き声が耳の奥に甦る。
あの夜――痕を見つけた瞬間に、理性よりも先に出てしまった言葉。
「夜の仕事をやめてくれませんか」
言うべきではなかった。まだ関係も曖昧なまま、彼女を縛るようなことを。
だが、言わずにいられなかった。
首筋に浮かんだ赤い影を見たとき、胸の奥が焼けるように痛んだ。
誰かの手が彼女に触れていた――その事実を、どうしても受け入れられなかった。
「……俺は、器の小さい男だな」
自嘲が漏れる。
だが同時に、あの瞬間の奈緒の表情も思い出す。
震えながら、それでも俺を見上げて言った。
「……やめる、かも。誠一さんがいるなら」
熱に浮かされた言葉だと分かっている。
けれど、俺はあの言葉を信じたくてたまらなかった。
無理に読み進めたはずの資料の文字が、今はまったく頭に入ってこない。
目を閉じると、彼女の姿ばかりが浮かぶ。
何度も絶頂に達して、汗に濡れて、声を詰まらせながら俺の名を呼んだ彼女。
腕に縋り、降りてこられないほど震えていたあの体。
本当は、もっと甘やかしたかった。
ぐずぐずになるまで抱きしめ、何度でも可愛いと囁いて、奥の奥で果てたかった。
避妊を守っているのは当然だ。だが――
「……中に、欲しいな」
喉の奥からこぼれた独り言に、息が詰まる。
そんなことを望むのは、身勝手だと分かっている。
それでも、溢れるように欲望が込み上げてくる。
気づけば手が勝手に動いていた。
シャワーすら浴びず、ソファに深く身を沈めたまま、奈緒を思い浮かべる。
「奈緒さん……」
瞼の裏に描くのは、泣き声と汗に濡れた頬。
絶頂の中で必死に呼んでくれた声。
想像の中で、俺は彼女を抱き潰す。
もっと、と言えなくなるまで与え続け、ぐったりと腕に沈めて、中で溶かす。
「……あぁ……」
自分の声に驚きながらも、止められなかった。
彼女の吐息を思い出すたびに、速度は増していく。
「……奈緒……さん……っ」
叫びのように名前を吐き出して、熱を解放する。
息が荒くなり、指先に力が残る。
ソファに崩れ込み、天井を仰いだ。
虚しさが押し寄せるはずなのに、不思議と胸の奥は温かかった。
――こんなにも誰かを求めるのは、初めてだ。
大学以来、恋など縁のない日々を過ごしてきた。
仕事に没頭し、遊びに流れることもなく、ただ時間を積み重ねてきた。
けれど今は、彼女のことで頭がいっぱいだ。
俺は、恋をしている。
荒い呼吸を落ち着かせながら、スマホを手に取る。
メッセージが届いていないか確認する。
画面は暗いまま。
何も変わらない現実が、妙に胸を締めつけた。
「……子供みたいだな」
苦笑しながらも、手はスマホから離せない。
彼女から一言でもあれば、どんなに救われるだろう。
画面に触れる指先が、宙に迷う。送るべきではないと分かっている。
でも、次に会える日を数えてしまう。
ソファに沈み込み、薄暗い天井を見つめる。
「……俺だけの奈緒になってくれ」
誰にも届かない声を呟きながら、まぶたを閉じた。
熱の残り火が、まだ体の奥に燻っていた。
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