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大仰な玄関扉を開けると、夏の陽射しを背にした男が立っていた。
「お忙しいところをお呼び立てしてしまい、恐れ入ります」
修一は深く会釈する。
「とんでもないです」
間を置かず、端正な声音が返ってきた。作業着を着た小宮朔太郎も慌てて頭を下げる。修一が先導すると、朔太郎は敷居をまたぐように一歩進む。白いタイルの床に朔太郎の作業靴が触れると、微かな音が響いた。
「こちらです」
振り返った修一が柔らかい笑みを作るも、朔太郎はどこか張り詰めた空気をまとっていた。応接間には絵画が整然と掛けられており、昼下がりの光が静かに差し込んでいる。朔太郎がそこにいるだけで絵になる。
「……あの、蛇澤先生は?」
朔太郎は必死に目を合わせようとしない。
「ああ、先生は上でお休みになっているので、わたしが代わって対応しています」
修一が天上を指差すと、朔太郎の怒り肩が心なしか下がった気がする。熟睡中の清慈に代わり、修一が家主代表として小宮電気から飛んできた朔太郎の対応を任されていた。
朝食のテーブルで、
――小宮電気の親父さんが来るから、落ちないよう見張っておいてね。
と、清慈に念を押されていた。
「あの、お父様がお越しになると伺っていたのですが……」
還暦の父親は作業着が汗だくになっても、文句の一つも言わない寡黙な人だ。昨日、エアコンの取り付けで、息子の朔太郎と連れだって作業をしていた。それも、昨日あたりから、足取りが少し怪しくなっている気がして、清慈と共に心配していた。
「親父は……」
何の間だろう。
「腐った桃を食べて腹を壊してまして、母さんに叱られてます、急ですが、俺が一人で来ました、駄目だったでしょうか」
「いいえ、お父様にはどうぞお大事にとお伝えください」
小宮電気には従業員が三人いて、還暦の父親と二十五歳の息子の二人が現場作業をしている。店番や経営に関しては朔太郎の母親の市子さんが一任している。
作業連絡をする際、市子さんとは軽い世間話もするようになった。
『町の小売店は厳しいんです、ですから駅前の量販店には行かないでくださいね』
と、修一は電話口からよく言い聞かされていた。修一の祖母みたいに鋭い観察力を持つ人だから、いい加減な態度はできなかった。
朔太郎は遠慮がちに野球帽を外し、その脱色した金髪の頭を下げた。
「……はい、それでは、失礼して作業に取りかかります」
「よろしくお願いします」
見慣れた明るい髪よりも、黒い帽子が目に入る。前から聞きたかった。
――その球団を好きなんですか。自分の父親も好きだったんです。
いつも清慈の後ろから作業を見ていたから、直接話す機会はなかった。清慈とは違う繊細な性質の持ち主で、「小宮さんのところの息子は真面目すぎてどうも苦手だ」と清慈に言われていた。
ふいっと朔太郎が天井に視線を這わせた。
修一は質問のきっかけを失い、一緒に照明灯を確認する。あまり電気に興味がなかったので、頭が重たく感じた。顔を下げて朔太郎に向き直る。朔太郎の彫りの深い横顔は大理石の銅像を思わす。そのわし鼻がツンと上を向いていると、つい形の良い口元に目が行く。ひげを剃ったばかりなのか、顎あたりが青い。
不思議とギリシャの哲学者の顔が頭に思い浮かんだ。それと同時に清慈の言葉も。
――星はね、ただ光っているだけではないんだ。昔の哲学者たちは、宇宙は音楽みたいだと言っていた。星は目に見えない音楽のリズムに合わせて、きれいに決まった動きをしてるんだって。それでも見えている夜空なんて、ほんの少ししか映してないんだ……面白いだろう。
そのときの清慈があまりに寂しそうだったから、不覚にも涙ぐんでしまう。
「お忙しいところをお呼び立てしてしまい、恐れ入ります」
修一は深く会釈する。
「とんでもないです」
間を置かず、端正な声音が返ってきた。作業着を着た小宮朔太郎も慌てて頭を下げる。修一が先導すると、朔太郎は敷居をまたぐように一歩進む。白いタイルの床に朔太郎の作業靴が触れると、微かな音が響いた。
「こちらです」
振り返った修一が柔らかい笑みを作るも、朔太郎はどこか張り詰めた空気をまとっていた。応接間には絵画が整然と掛けられており、昼下がりの光が静かに差し込んでいる。朔太郎がそこにいるだけで絵になる。
「……あの、蛇澤先生は?」
朔太郎は必死に目を合わせようとしない。
「ああ、先生は上でお休みになっているので、わたしが代わって対応しています」
修一が天上を指差すと、朔太郎の怒り肩が心なしか下がった気がする。熟睡中の清慈に代わり、修一が家主代表として小宮電気から飛んできた朔太郎の対応を任されていた。
朝食のテーブルで、
――小宮電気の親父さんが来るから、落ちないよう見張っておいてね。
と、清慈に念を押されていた。
「あの、お父様がお越しになると伺っていたのですが……」
還暦の父親は作業着が汗だくになっても、文句の一つも言わない寡黙な人だ。昨日、エアコンの取り付けで、息子の朔太郎と連れだって作業をしていた。それも、昨日あたりから、足取りが少し怪しくなっている気がして、清慈と共に心配していた。
「親父は……」
何の間だろう。
「腐った桃を食べて腹を壊してまして、母さんに叱られてます、急ですが、俺が一人で来ました、駄目だったでしょうか」
「いいえ、お父様にはどうぞお大事にとお伝えください」
小宮電気には従業員が三人いて、還暦の父親と二十五歳の息子の二人が現場作業をしている。店番や経営に関しては朔太郎の母親の市子さんが一任している。
作業連絡をする際、市子さんとは軽い世間話もするようになった。
『町の小売店は厳しいんです、ですから駅前の量販店には行かないでくださいね』
と、修一は電話口からよく言い聞かされていた。修一の祖母みたいに鋭い観察力を持つ人だから、いい加減な態度はできなかった。
朔太郎は遠慮がちに野球帽を外し、その脱色した金髪の頭を下げた。
「……はい、それでは、失礼して作業に取りかかります」
「よろしくお願いします」
見慣れた明るい髪よりも、黒い帽子が目に入る。前から聞きたかった。
――その球団を好きなんですか。自分の父親も好きだったんです。
いつも清慈の後ろから作業を見ていたから、直接話す機会はなかった。清慈とは違う繊細な性質の持ち主で、「小宮さんのところの息子は真面目すぎてどうも苦手だ」と清慈に言われていた。
ふいっと朔太郎が天井に視線を這わせた。
修一は質問のきっかけを失い、一緒に照明灯を確認する。あまり電気に興味がなかったので、頭が重たく感じた。顔を下げて朔太郎に向き直る。朔太郎の彫りの深い横顔は大理石の銅像を思わす。そのわし鼻がツンと上を向いていると、つい形の良い口元に目が行く。ひげを剃ったばかりなのか、顎あたりが青い。
不思議とギリシャの哲学者の顔が頭に思い浮かんだ。それと同時に清慈の言葉も。
――星はね、ただ光っているだけではないんだ。昔の哲学者たちは、宇宙は音楽みたいだと言っていた。星は目に見えない音楽のリズムに合わせて、きれいに決まった動きをしてるんだって。それでも見えている夜空なんて、ほんの少ししか映してないんだ……面白いだろう。
そのときの清慈があまりに寂しそうだったから、不覚にも涙ぐんでしまう。
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