祓い

佐治尚実

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 浩太は生まれ育った町へ来た。

 年末の休暇であるが平日であったので、今朝は道が混雑していた。都心から車で二時間走らせても、睦美が到着する時間までには間に合わない。彼らを待たせないよう、文仁が気を利かせて新幹線の席を取ってくれた。

『いきなり来るって言うんだもの』

 母は睦美が帰ってくると、今朝まで聞いていなかったようだ。

「僕もだよ」

 浩太は相づちを打つ。

『帰ってくるなんて、あの子、一言も言ってなかったのよ』 

 あー寿命が縮む、そう母は驚いていた。

「睦美兄さんはいつもそうだろ」

 浩太は通話先の母を宥めた。

『もう睦美は着いてるわよ、浩太はどこ?』
「・・・・・・も、もう直ぐだよ」


 新幹線駅を降りてから徒歩で向かおうと、文仁と町を歩いていた。

「あっ」

 実家の周辺は空き地が目立っていた。昨年末、放置されていた空き家が今は取り壊されて更地となっている。雑草で生い茂っていた場所が今や、黒茶の土が敷き詰められている。その空間に吸い寄せられたように、浩太は足を止めた。
 形として存在していたものが消失すると、得体の知れない不気味さに襲われる。山のすそを望む眺めはずっと前からそうであったように、風景の一部と化していた。

「どうしたの」

 空白を記録として遺そうと、浩太は携帯電話を構えていた。背後から文仁が覗いてくる。冬の空は青く、白い陽が視界をぼんやり塞ぐ。

「撮らないの?」

 それもそうだ、純粋な疑問を文仁は投げかけてくる。猫みたいに伸びをする文仁の問いに、浩太はうやむやにしようと首を傾けた。

「ん、いや」

 浩太の思考は故郷の情景を切り取ろうと、腕を動かしていた。それなのに浩太はシャッターを押さないで、携帯電話をコートのポケットに仕舞う。過ぎ去った幻影を形に遺す勇気は無かった。

「何でもない」

 浩太は視線を逸らし躊躇う。

「あー、取り壊されたんだ。この前来たとき、そこに家があったよね」

 木の葉がさわさわと泳ぎ、小鳥が囀る音色を聞きながら二人して立ち止まる。誰が住んでいたかすら知らない木造の二階建てを、文仁は覚えていた。

「よく覚えているな」

 一年に一度しか足を踏み入れないであろう土地を、彼の頭のどこかで生きていた。浩太と同じ記憶を共有していると思うだけで嬉しくて、後ろを振り返る。

「いつもは車なのに」
「ここ好きだよ、のんびり時間が流れてるから、覚えてる」

 言い捨てるように、文仁が呟く。長い前髪を揺らして目を細める彼の横顔を、浩太は盗み見た。一瞬でも見蕩れていた自分が悔しくて、足下の境界線を見下ろす。

「六本木育ちのお前が言うの、妙に納得がいく」

 田舎育ちの浩太は、生粋の都会っ子である文仁に向けて唇をとがらせる。自分でも甘えた態度だと思うが、陰気な空気が流れないよう茶化してみる。

「かわいい顔をしないでよ、キスしたくなるだろう」

 そう言いながらも、文仁は繋いだ手を引き寄せ、浩太の指先に唇を触れさせた。

「キザなやつ」
「はいはい、浩ちゃん限定だからね」

 照れ隠しから手を解こうにも、複雑に絡まった五本の指が浩太の自由を奪う。

「ちょっと手土産を確認したい」

 東京土産の手提げをこれ見よがしに持ち上げ、口実だと言い訳を口に出す。確認するも何も中身は包装紙で梱包されている。

「あっ、手袋をしてないから、浩ちゃんの手、真っ赤っかだよ」
「冬だし、寒いからね」
「ほら貸して」

 文仁は有無を言わず手提げを奪い取る。がさっと紙袋が音を立てて箱が斜めに傾いた。

「そのくらい持てるって。文仁にとって、どんだけひ弱な設定なんだよ僕って」

 本来ならば東京ではなく、福岡が本家だと聞くひよこ達が潰れていないかだけ願う。

「いいから離してくれよ」
「だーめ、浩ちゃんと仲睦まじい姿を嫌でも見せつけるんだからね」

 文仁は人目を憚らずスキンシップをしてくる。未だに浩太は馴れずにいて、今も目をそらしてしまう。

「誰にだよ、兄さんは家にいるってのに」
「んー、全人類にかな」

 ふはっ、と鼻で笑う文仁は肩を寄せてくる。

「誰も歩いてないっての」

 我ながら卑屈で弱気な性格をなんとかしたい。言い過ぎたと直接謝る代わりに、文仁の手を握り返す。

「相変わらず派手な車だね」

 黒塗りのセダンが実家の玄関先に停まっていた。睦美の車だ、文仁の声にぼんやりと頷く。

 家に入ろうとしたが鍵が閉まっていた。文仁との旅行で買ったキーホルダーにまとめてある合い鍵を使い、浩太は解錠した。

「ただいま」

 ゆっくり扉を開くと、玄関口に立つ睦美の姿が目に入る。

「おかえり、浩太・・・・・・。浩太」

 浩太には似ても似つかない兄の整った顔を見れば、彼が兄なのだと思い知る。
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