祓い

佐治尚実

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十五歳の夏ー過去ー※

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 十五の夏、それは記録的な猛暑であった。

 背の低い住宅街を重い足取りで進んでは、どうにか日陰に入ろうと狭い歩道と車道を行き来する。それこそ無駄な労力だろうに、つばの広い帽子を目深く被り一息つく。

 出掛け際に母から手渡された携帯用の小さな扇風機で顔を扇ぐ。己の両腕で日射しを遮ろうと、逃げ場のない光から屋根を作る。それでも薄い生地越しから、ヒリヒリ皮膚が火傷する痛みを覚える。

「コンビニって保冷剤、くれるのかな」

 素足にサンダルを履いてきた自分を恨み、背中から汗が噴き出して尾てい骨沿いに伝い、薄茶色の短パンと下着を濡らしていく。自宅から歩いて八分の距離にあるコンビニまで足を伸ばしていた。
 歩くと歩道に汗がぽつと落ちて、丸い痕跡となる。即座に、太陽が浩太の存在を白く消していく。
 アイスクリームだろうか、乳脂肪が少ないラクトアイスを指しているのか。尋ねるのを忘れていた。今更自宅に戻るより、両方買っていけば正解だ。足を止めずひたすら前方へ進むしか術がない。

「見つけた」

 聞き慣れた声がする。僕に言っているのだろう、背の高い男が近づいてくる。

「お兄ちゃん」

「浩太一人で買い物に行かせるなんて、母さんは酷いな」

 兄の睦美が手を繋いでくる。兄の手は汗で濡れているのに、どうしてだかひんやりとしている。

「アイスなんていらないからさ、浩太・・・・・・ちょっと出かけよう」
「どこに?」
「うん、公園かな」

 あの日、蝉が鳴いている小さな公園は夏休みだというのに、はしゃぐ子供がひとりもいない。木陰のベンチで休憩する老人の姿すら見当たらなかった。鉄板焼きにされるなんて、誰だって御免だろう。当然ながら浩太もその一人だった。

 当時、高校三年生だった睦美は公園に行くと言いながら、浩太の手を引っ張りながら公衆トイレに入っていく。

「臭い」

 気温の高い熱気のせいか、公衆トイレ内の臭気は鼻を摘むほどだ。

「おしっこしていこう」

 薄暗いトイレで小便器だけが妙に存在を誇示していた。睦美に言われたからだろうか、催してくる。

「うん」

 便器の前に立ちズボンのファスナーを下ろすと、睦美が背後から覆い被さってくる。汗で湿った下着から浩太の性器を取り出し、用を足せるように根元から支える。

「出して良いよ」
「うん、出しちゃうね」

 じょろろと黄色い小便を放出する。出し切るまで、睦美の手は離れなかった。

「手を洗って、汚いよ」

 手洗い場で屈む浩太は、軽くズボンで拭くくらいで済ました睦美に注意する。

「汚くないよ、浩太のだしね」
「僕が嫌だ」
「浩太が嫌なのか?」

 言われたまま頷くと、それならと睦美は手を洗い始めた。

「浩太が嫌がることはしたくないからね」

 曇った鏡越しに睦美が、こちらをニコニコと嬉しそうに見てくる。


 その後、コンビニでアイスクリームを買っていき家に着いたら、両親は用事があると出かけていった。

「部屋に行こう」
「・・・・・・いやだ」

 捻り出した拒否ですら、僕に覆い被さる睦美の瞳の前に封じこめられた。

「反抗期かな」
「痛くしないで、痛いのは怖い」
「浩太は可愛いな、本当に可愛い。分かったよ浩太、うんと優しくする」

 軽々と背負われて二階の睦美の部屋にたどりついたとき、気恥ずかしくなり少しだけ暴れた。睦美の背中を叩いて、躰をねじってみせた。
 ベッドの上に寝かされた。荒い息づかいをする睦美が、両膝を割ろうとしてくる。

「ねえ、見せて」
「いやだ」
「お願いだから、お兄ちゃんに見せて欲しい」

 それだけ睦美に懇願されては、いつまでもじらすのも悪いな、と浩太は両足を開きファスナーを下ろして見せた。

「可愛いな、浩太はどこまでも美味しそうだ」

 浩太の身体に、睦美の指紋と汗、唾液が触れてくる。それらは薄い皮膚一枚の上に留まり、決して細胞には染み込んでこない。それなのにどしてだろうか、僕の躰が孵化しようとしている。睦美が腰を振るごとに僕の躰は真っ二つに引き裂かれていく。宣言通り優しくしてくれたが、慣れない快楽に頭が割れる。どうしてだろう心が痛い、苦しい。

「ふふ」

 睦美の雄が胎内で爆ぜた。生暖かい感触に、浩太は擽ったそうに笑う。

「助けて助けて浩太、助けて。許して、俺を許して、お前を愛してるんだ、そんな俺をどうか許してくれ」

 浩太に許しを請う睦美が絶えず、荒い息遣いを上げて、浩太の浅い呼吸と重ねる。

「泣かないで、お兄ちゃん」

 悪い事なんてしていないのに、どうして睦美は泣いているのか。

「お兄ちゃん、大好きだよ」

 幼い躰がボロボロでも、睦美から貰った温かい愛で浩太の心は満たされた。命がけで浩太を求めてくれる睦美の両手は優しいから、いつまでも握っていたい。指の間で交差する睦美の指先は、いつまで経っても震えが治まらなかった。

「夏休み、終わっちゃうね」

 睦美の胸に抱かれながら、浩太はつぶやいた。

「そうだね」

 赤い唇から寂しそうな声を漏らす睦美は、また泣いている。

「ずっと夏休みだったら良いのに」

 低い声で紡ぐ睦美の言葉に、「そうだね」と睦美の声に似せておどけてみせる。

 毎日、走り回って、下手くそな歌を歌いながら、睦美と笑いあえる夏は雨で終わった。
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