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第一章
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「どうして僕なんですか」
これ以上の交渉は断念し、良明は自分の番号を打ち込み、ショーレムの端末に登録させた。
ふと、顎をすくわれる。親指が喉のあたりに触れ、逃げ道を塞いだ。彼の黒い目に自分が映っている。身動きひとつ取れない。
「おいおい。人生なんて短いんだ。そんなに自分を卑下していたら、もったいないよ」
機嫌を取るみたいに、ショーレムは手を引っ込めた。
「こ、答えになっていないです」
「そうやって、人間味があって、怒るところも可愛いな」
満足したみたいに、ショーレムが口笛を吹く。
軽やかで、遠くへ飛んでいきそうな音色に、良明は顔を熱くさせた。――熱い、と他人事みたいに分かるのに、止められない。
きざな男の相手をして疲れた。そのせいで、言いかけたことが何だったのかさえ忘れてしまう。
「はぁ……そうですか。……ありがとうございます」
袖で熱くなる顔を隠した。
「お世辞じゃないからね」
ショーレムが、真剣な顔で迫ってくる。
「わ、分かりました、あの、家で待ちますか」
良明は玄関の鍵を開けた。
「うん……いいの?」
先に家に入った良明は、開け放った扉を支える。
「ええ、まあ。五月になっても夜は寒いですよ」
笑い顔を張り付かせたショーレムが、じっと静かにこちらを見てくる。白い手を胸の前で重ね、小さく頷いた。
「お邪魔します」
良明は一拍だけ迷い、それでも言った。
「……どうぞ」
良明はショーレムを家に招いた。
父が帰宅するまで、彼は良明の部屋で寛いだ。訪問に恐縮する父と幾つか言葉を交わして、彼は帰っていった。
その夜、良明の部屋にさび付いた湿気が立ち込める。土の臭さも混じっていた。隙間だらけの家で、雨音は途切れない。
冷えた身体を毛布で包むと、ざらついた布団カバーが音を立てる。顔の半分を隠して雨音に耳をすました。寝返りを打っても、強くまぶたを閉じても、目がさえて寝付けない。
「眠れない」
どうしても――泣き虫の子供だった自分が、母の死に直面した、あのまばゆい朝がよみがえる。鮮明に、まぶたの裏へ映し出される。夜なのに、まぶたの裏だけが、母と無言の別れをした四月の朝みたいに発光していた。
母が死ななくてはならない理由はなんだったのか。
どうせ答えは出ないと知りながら、思考だけがさまよった。
枕元を月の光が照らしている。滲んだ光にまばたきをして、ベッドで乾いた布の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
考えることに疲れたのか、眠りはすぐにやってきた。
眠りの底で、ショーレムの夢を見た。
夢の中の彼は裸で良明のベッドに忍び込み、迷うことなく体の奥を探ってくる。
神経が逆立つ。凍るように冷たい肌と、舌先の熱に翻弄された。優しさに似た手つきほど、拒む暇もなく、良明は息を奪われた。
目が覚めた。
毛布を剥ぐと、寝間着の下に汗をかいていた。汗で寝間着は重いのに、喉の奥だけが血を抜いたあとみたいに乾いている。
暗い寝室で意識を戻すと、クローゼットが目に入る。服の匂いが詰まったクローゼットが、息苦しく見えた。
夢精をした。
誰にも触れられていないはずなのに、肌の上にだけ、冷たい指の名残が貼り付いていた。
罪悪感を抱きつつ、洗面台で汚れた下着を念入りに洗う。よりにもよって、ショーレムに欲情した自分が恥ずかしかった。
翌日からショーレムの姿を見なくとも、良明には一人の時間はないも同然だった。既読を付けても、返信が少しでも遅れたら、
【どこか体調が良くないのか】
とか、
【講義中だろう、終わったら家まで送るよ】
なんて、ショーレムが何通も送ってくるから、良明は講義中だってうかうかしていられない。彼は言葉のやり取りをかかさない。つくづくまめな男だ。最近親しくなったにしては距離が妙に近いのは気のせいだろうか。
ショーレムは良明が講義以外の時間をカフェテリアで過ごしていると知ったようで、彼と会う頻度が増えた。彼に一度でも捕まれば必然的に季節を問わず、夕日が落ちるまで顔をつきあわせることになる。帰りは彼の運転する外車で家まで送ってくれる。至れり尽くせりだ。
それでも良明は彼の誘いを断る理由を持たなかった。彼の興味が自分にだけ向くことが、どこかくすぐったいとすら感じていたからだ。優越感とは違う。名づけられない儚さが、いつ切れても怖くなかった。
これ以上の交渉は断念し、良明は自分の番号を打ち込み、ショーレムの端末に登録させた。
ふと、顎をすくわれる。親指が喉のあたりに触れ、逃げ道を塞いだ。彼の黒い目に自分が映っている。身動きひとつ取れない。
「おいおい。人生なんて短いんだ。そんなに自分を卑下していたら、もったいないよ」
機嫌を取るみたいに、ショーレムは手を引っ込めた。
「こ、答えになっていないです」
「そうやって、人間味があって、怒るところも可愛いな」
満足したみたいに、ショーレムが口笛を吹く。
軽やかで、遠くへ飛んでいきそうな音色に、良明は顔を熱くさせた。――熱い、と他人事みたいに分かるのに、止められない。
きざな男の相手をして疲れた。そのせいで、言いかけたことが何だったのかさえ忘れてしまう。
「はぁ……そうですか。……ありがとうございます」
袖で熱くなる顔を隠した。
「お世辞じゃないからね」
ショーレムが、真剣な顔で迫ってくる。
「わ、分かりました、あの、家で待ちますか」
良明は玄関の鍵を開けた。
「うん……いいの?」
先に家に入った良明は、開け放った扉を支える。
「ええ、まあ。五月になっても夜は寒いですよ」
笑い顔を張り付かせたショーレムが、じっと静かにこちらを見てくる。白い手を胸の前で重ね、小さく頷いた。
「お邪魔します」
良明は一拍だけ迷い、それでも言った。
「……どうぞ」
良明はショーレムを家に招いた。
父が帰宅するまで、彼は良明の部屋で寛いだ。訪問に恐縮する父と幾つか言葉を交わして、彼は帰っていった。
その夜、良明の部屋にさび付いた湿気が立ち込める。土の臭さも混じっていた。隙間だらけの家で、雨音は途切れない。
冷えた身体を毛布で包むと、ざらついた布団カバーが音を立てる。顔の半分を隠して雨音に耳をすました。寝返りを打っても、強くまぶたを閉じても、目がさえて寝付けない。
「眠れない」
どうしても――泣き虫の子供だった自分が、母の死に直面した、あのまばゆい朝がよみがえる。鮮明に、まぶたの裏へ映し出される。夜なのに、まぶたの裏だけが、母と無言の別れをした四月の朝みたいに発光していた。
母が死ななくてはならない理由はなんだったのか。
どうせ答えは出ないと知りながら、思考だけがさまよった。
枕元を月の光が照らしている。滲んだ光にまばたきをして、ベッドで乾いた布の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
考えることに疲れたのか、眠りはすぐにやってきた。
眠りの底で、ショーレムの夢を見た。
夢の中の彼は裸で良明のベッドに忍び込み、迷うことなく体の奥を探ってくる。
神経が逆立つ。凍るように冷たい肌と、舌先の熱に翻弄された。優しさに似た手つきほど、拒む暇もなく、良明は息を奪われた。
目が覚めた。
毛布を剥ぐと、寝間着の下に汗をかいていた。汗で寝間着は重いのに、喉の奥だけが血を抜いたあとみたいに乾いている。
暗い寝室で意識を戻すと、クローゼットが目に入る。服の匂いが詰まったクローゼットが、息苦しく見えた。
夢精をした。
誰にも触れられていないはずなのに、肌の上にだけ、冷たい指の名残が貼り付いていた。
罪悪感を抱きつつ、洗面台で汚れた下着を念入りに洗う。よりにもよって、ショーレムに欲情した自分が恥ずかしかった。
翌日からショーレムの姿を見なくとも、良明には一人の時間はないも同然だった。既読を付けても、返信が少しでも遅れたら、
【どこか体調が良くないのか】
とか、
【講義中だろう、終わったら家まで送るよ】
なんて、ショーレムが何通も送ってくるから、良明は講義中だってうかうかしていられない。彼は言葉のやり取りをかかさない。つくづくまめな男だ。最近親しくなったにしては距離が妙に近いのは気のせいだろうか。
ショーレムは良明が講義以外の時間をカフェテリアで過ごしていると知ったようで、彼と会う頻度が増えた。彼に一度でも捕まれば必然的に季節を問わず、夕日が落ちるまで顔をつきあわせることになる。帰りは彼の運転する外車で家まで送ってくれる。至れり尽くせりだ。
それでも良明は彼の誘いを断る理由を持たなかった。彼の興味が自分にだけ向くことが、どこかくすぐったいとすら感じていたからだ。優越感とは違う。名づけられない儚さが、いつ切れても怖くなかった。
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