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第一章
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「あいつ、なに、良明になれなれしい」
冷房の効いたカフェテリアに、吉田桂時の尖った声が響いた。気の強そうな美貌と、スリムな長身を誇る桂時は、自分たちのコーヒーを買いに行ったショーレムのことを、平然と「あいつ」と呼ぶ。
カウンターを見ると、ショーレムは女性店員と楽しそうに話し込んでいた。会話を続けながら、視線だけは途切れさせず、こちらを捉えている。
さっきまで、良明のテーブルのどこに座るかで、桂時とショーレムは口喧嘩をしていた。好戦的な桂時に対して、争いを避けるショーレムが折れるのは火を見るよりも明らかだ。困り果てた良明に気づいたショーレムは、今だけ距離を取ることにしたらしい。
コーヒー豆を挽く機械音が片耳に響く。ここは手回し焙煎とネルドリップを売りにした店で、時間の流れがゆるやかに感じられるから好きだ。
「僕の親と知り合いみたい」
「お前の親父さんと、勝手な真似をしやがって」
神経質な声で吐き捨てた桂時は、唇をきつく噛んで、手元のノートを開けたり閉めたりする。機嫌が悪いときの癖だ。
放っておけば勝手に戻る。そう分かっているのに、良明は視界に入るそれを無視できない。長年の習性で、つい聞いてしまう。
「この時間にどうしたの。いつもは彼女さんと一緒なのに」
桂時は先月から同じ学部の先輩と交際していた。今日で交際期間が最高記録を更新したはずだ。それなのに彼は平然と、「童貞はこれだから駄目なんだ」と良明をさげすむ。
「昨日別れた。ブランドのバッグをねだられたからプレゼントしてやったのに、これじゃないって甘えたことを言う。こっちから切ってやった」
桂時なりに相手を思ってした行動を、責める気にはなれない。それでも、
「恋人の好みを把握しないからだ。好きだったんだろう」
相手に興味を持つよう促すと、彼は一笑した。
「好き?」
「そうだよ」
「はっ、馬鹿らしい」
言い捨てた目が鋭すぎて、真冬の空気みたいに、吸い込んだ息まで冷たく感じた。
「どうして」
「分かってるだろう」
桂時は背を丸め、ワックスで整えた頭をかき回す。シャープペンの先でノートを叩き、力尽くで芯を折った。苛立ちを抑えようとするみたいに、良明から視線を逸らす。
白い歯を食いしばり、腕に爪を立てた。次いで、笑い声を上げるショーレムをにらみつける。
「俺に恋愛しろって?」
桂時が発作的に、良明の手を掴んだ。息を飲むほど強い力だった。
「義務じゃなくてさ。付き合うなら、そういう感情がないと不毛だろ。それに相手にも失礼だ」
「はっ、馬鹿らしい」
――それなら、どうして恋人を作るのだ。喉まで出かかった言葉を飲み込む。聞けば墓穴を掘る気がした。
「お前の好みなら全部知ってるぞ。お前の良いところを見習えって、あいつらに説教したのに。どうも上手くいかない」
良明は掴まれた手を払った。途端に桂時が傷ついた顔を見せるから、良明は、もう何度目か分からない後悔を覚える。
「……上手くいくわけないよ。僕の話なんかするから、怒られるんだ」
不器用に答えた。恋の伝道師みたいに聞こえるかもしれないが、実際は違う。良明はまだ初恋すら知らない。
同じ小中高一貫校で、奔放で目立ちたがり屋の桂時の子分として生きてきたからだ。恋人なんて、できるはずがなかった。誰かに告白されていたら状況は変わったかもしれないが――そもそも良明は、あまり人を好きにならない。桂時みたいに受け身の関係になるのが目に見えている。早い段階で捨てられるに決まっていた。
「知るか。俺の好きにさせろ」
「分かった。もう何も言わない」
良明は顔の前で手を振って、勉強に戻った。
息を整えようとして、視線が――ほんのわずかに滑った。それはカウンターのほうで止まる。
ショーレムがこちらを見ていた。良明を捉えたまま、口元だけで笑みを形作っている。
その視線に触れた瞬間、桂時の手が動いた。
一度ほどいた指が握り直される。さっきより深く、骨の位置を確かめるみたいに絡ませた。親指が手首の内側の脈を押さえる。血がそこに詰まって、皮膚がきゅっと苦しくなる。
「っ……」
息が止まる。
皮膚の上に、指の跡だけが新しく刻まれていくのが分かった。痛いほどではない。けれど、熱が逃げない。逃げさせない、という触れ方だ。
ショーレムは呼んでこない。ただ、見ている。
笑みの形は残っているのに、目だけが違う。熱も冷たさもない。ただ、何かを堪えているみたいな薄い膜が張っている。
その膜に触れた途端、良明の皮膚が先に思い出した。
前に触れた、ショーレムの冷たい肌。手のひらに残った温度の差が、遅れて疼くみたいに蘇る。
そのあいだも、桂時の手は離れない。握り直されるたび、指の節がずれて、逃げ道だけが狭くなる。
良明の行き先を、触れ方だけで決めてしまう。
「なんでお前は、俺のもんにならない」
その声は、頭上からくぐもって落ちてきた。
良明は聞こえないふりを続けた。続きを書くふりをして、袖口を引き下ろし、手首の跡を隠すようにノートの端を押さえ直す。
喉の奥で空気が引っかかる。視界の焦点が一瞬だけ揺れて、文字がかすんだ。
それでもショーレムの視線は、横から頬の薄いところを撫でるみたいに残っていた。
冷房の効いたカフェテリアに、吉田桂時の尖った声が響いた。気の強そうな美貌と、スリムな長身を誇る桂時は、自分たちのコーヒーを買いに行ったショーレムのことを、平然と「あいつ」と呼ぶ。
カウンターを見ると、ショーレムは女性店員と楽しそうに話し込んでいた。会話を続けながら、視線だけは途切れさせず、こちらを捉えている。
さっきまで、良明のテーブルのどこに座るかで、桂時とショーレムは口喧嘩をしていた。好戦的な桂時に対して、争いを避けるショーレムが折れるのは火を見るよりも明らかだ。困り果てた良明に気づいたショーレムは、今だけ距離を取ることにしたらしい。
コーヒー豆を挽く機械音が片耳に響く。ここは手回し焙煎とネルドリップを売りにした店で、時間の流れがゆるやかに感じられるから好きだ。
「僕の親と知り合いみたい」
「お前の親父さんと、勝手な真似をしやがって」
神経質な声で吐き捨てた桂時は、唇をきつく噛んで、手元のノートを開けたり閉めたりする。機嫌が悪いときの癖だ。
放っておけば勝手に戻る。そう分かっているのに、良明は視界に入るそれを無視できない。長年の習性で、つい聞いてしまう。
「この時間にどうしたの。いつもは彼女さんと一緒なのに」
桂時は先月から同じ学部の先輩と交際していた。今日で交際期間が最高記録を更新したはずだ。それなのに彼は平然と、「童貞はこれだから駄目なんだ」と良明をさげすむ。
「昨日別れた。ブランドのバッグをねだられたからプレゼントしてやったのに、これじゃないって甘えたことを言う。こっちから切ってやった」
桂時なりに相手を思ってした行動を、責める気にはなれない。それでも、
「恋人の好みを把握しないからだ。好きだったんだろう」
相手に興味を持つよう促すと、彼は一笑した。
「好き?」
「そうだよ」
「はっ、馬鹿らしい」
言い捨てた目が鋭すぎて、真冬の空気みたいに、吸い込んだ息まで冷たく感じた。
「どうして」
「分かってるだろう」
桂時は背を丸め、ワックスで整えた頭をかき回す。シャープペンの先でノートを叩き、力尽くで芯を折った。苛立ちを抑えようとするみたいに、良明から視線を逸らす。
白い歯を食いしばり、腕に爪を立てた。次いで、笑い声を上げるショーレムをにらみつける。
「俺に恋愛しろって?」
桂時が発作的に、良明の手を掴んだ。息を飲むほど強い力だった。
「義務じゃなくてさ。付き合うなら、そういう感情がないと不毛だろ。それに相手にも失礼だ」
「はっ、馬鹿らしい」
――それなら、どうして恋人を作るのだ。喉まで出かかった言葉を飲み込む。聞けば墓穴を掘る気がした。
「お前の好みなら全部知ってるぞ。お前の良いところを見習えって、あいつらに説教したのに。どうも上手くいかない」
良明は掴まれた手を払った。途端に桂時が傷ついた顔を見せるから、良明は、もう何度目か分からない後悔を覚える。
「……上手くいくわけないよ。僕の話なんかするから、怒られるんだ」
不器用に答えた。恋の伝道師みたいに聞こえるかもしれないが、実際は違う。良明はまだ初恋すら知らない。
同じ小中高一貫校で、奔放で目立ちたがり屋の桂時の子分として生きてきたからだ。恋人なんて、できるはずがなかった。誰かに告白されていたら状況は変わったかもしれないが――そもそも良明は、あまり人を好きにならない。桂時みたいに受け身の関係になるのが目に見えている。早い段階で捨てられるに決まっていた。
「知るか。俺の好きにさせろ」
「分かった。もう何も言わない」
良明は顔の前で手を振って、勉強に戻った。
息を整えようとして、視線が――ほんのわずかに滑った。それはカウンターのほうで止まる。
ショーレムがこちらを見ていた。良明を捉えたまま、口元だけで笑みを形作っている。
その視線に触れた瞬間、桂時の手が動いた。
一度ほどいた指が握り直される。さっきより深く、骨の位置を確かめるみたいに絡ませた。親指が手首の内側の脈を押さえる。血がそこに詰まって、皮膚がきゅっと苦しくなる。
「っ……」
息が止まる。
皮膚の上に、指の跡だけが新しく刻まれていくのが分かった。痛いほどではない。けれど、熱が逃げない。逃げさせない、という触れ方だ。
ショーレムは呼んでこない。ただ、見ている。
笑みの形は残っているのに、目だけが違う。熱も冷たさもない。ただ、何かを堪えているみたいな薄い膜が張っている。
その膜に触れた途端、良明の皮膚が先に思い出した。
前に触れた、ショーレムの冷たい肌。手のひらに残った温度の差が、遅れて疼くみたいに蘇る。
そのあいだも、桂時の手は離れない。握り直されるたび、指の節がずれて、逃げ道だけが狭くなる。
良明の行き先を、触れ方だけで決めてしまう。
「なんでお前は、俺のもんにならない」
その声は、頭上からくぐもって落ちてきた。
良明は聞こえないふりを続けた。続きを書くふりをして、袖口を引き下ろし、手首の跡を隠すようにノートの端を押さえ直す。
喉の奥で空気が引っかかる。視界の焦点が一瞬だけ揺れて、文字がかすんだ。
それでもショーレムの視線は、横から頬の薄いところを撫でるみたいに残っていた。
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