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第一章
6(回想)
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良明が幼稚園に入園した初日、父が迎えに来てくれた。
「明日から吉田桂時さんに話しかけなさい」
手を繋ぎながら、父が言ったのを覚えている。
「どうして?」
「父さんと良明のこれからのためになるからだ」
「桂時くんとはもう友達だよ」
父は良明の頭を優しく撫でた。けれど次の瞬間、顔つきが変わる。
「友達なんて恐れ多い。言語道断だ。呼び方は桂時さん。敬語に気を付けなさい」
普段の父とは違う形相に、良明はうろたえた。口を開こうとすると、父が小さく咳をする。それだけで父の焦りが良明にも伝染した。
「いいか。絶対に桂時さんには逆らうな」
「……は、はい」
父にきつく言い渡された。
翌日、幼稚園の砂場で桂時を見掛けた。
「桂時さん、一緒に遊びましょう」
桂時が振り返る。良明とは同い年で、同性とは思えないほど整った顔立ちをしている。
周囲の警護の大人が、冷たいというより“仕事の目”で良明を見てくる。膝から下が震えた。それでも父に愛想良くしろと言い聞かされてきたから、必死に泣くのをこらえて、ひとりぼっちの桂時に笑いかけた。
桂時が砂にスコップを刺した。
「俺を裏切らないか」
真っ直ぐな声でそう聞かれた。裏切るいわれはないから、良明は即座に頷く。
「裏切らない」
「絶対だからな」
「……はい」
随分と用心深いなと思いながら、良明は砂遊びに加わった。
「あとな、敬語はやめろ。さん付けとか、なに」
「でも、父さんが……」
父に叱られてしまう。
「良明は俺の子分だから。俺の命令は絶対だ。分かったか」
嫌だな、随分と気の強い子だな、と思った。けれど父の顔を思い出した良明は、桂時に笑い返した。
それからの良明は、子分として扱われた。
桂時が通学するときには、決まって警護の者が車で送迎する。学校に行くだけなのに、場違いなくらい高そうな車だった。桂時が直接教えてくれたわけではないが、同級生の話によれば祖父は大きなグループの会長らしい。
良明の母が入院していた病院にも、その名がついていた気がする。偶然なことに父も、その関連会社に身を置いていた。どこか出来過ぎだった。
十歳になってしばらく、父は良明の目をまともに見なくなった。
夕方、玄関で靴を揃えていると、父の電話の声が聞こえた。低くて、妙に丁寧で、普段の父じゃない。
「……はい。はい、吉田様。ありがとうございます」
その夜、桂時からメッセージが来た。短い。「明日、来い」だけ。
翌日、桂時の送迎車の中で、桂時は窓の外を見たまま言った。
「お前、泣くなよ」
慰めでも優しさでもなく、規則みたいな言い方だった。
良明が返事をする前に、桂時が良明の手を取った。指先が冷たい。握る力は強くないのに、ほどけない形で絡む。親指が一度だけ、手首の内側を確かめる。
「父親に迷惑かけるな」
その言葉で良明は初めて、泣き方まで監視されていると知った。
――あれ以来、送迎車は「特別」じゃなくなった。
「あっちに行きたい」
良明がよそ見をすると、桂時によって腰に紐を付けられて、四方に連れ回されたこともある。
それからというもの、小中高ともに同じクラスが続き、隣の席が続いた。親分である桂時の彼女とのデートにも同行を求められ、良明は歴代の恋人たちの機嫌を取るのに難儀した。
自分と桂時を比べてみる。成績と能力、外見、どれを取っても圧倒的に劣っている。周囲から自分が「金魚のふん」と呼ばれているのも耳にしていた。そんなの自分が一番分かっているよ、と言い返したい。
しかし、桂時が「気にするな」と慰めてくれるものだから、良明はその甘い言葉に縋ってしまう。縋ったあとで我に返り、どうしようもない不安に陥る。それの繰り返しだった。
――桂時に依存している。
そう自覚するようになってから、良明は彼からの誘いを断り続けた。そろそろ自立しないと、自分は自滅する。これが巣立ちというやつだと。
けれど、断ったはずなのに、廊下で桂時と目が合うだけで胃の奥が縮む。次の瞬間には「ごめん、行く」と返している。引かれた手が、自分のものじゃないみたいだった。
授業中に隣の席の桂時が顔を寄せてきた。
「良明のお父様が嘆いていたそうだ。息子が聞き分けのない子だってね。俺の父さんにまで頭を下げてきたよ」
嘆く口調なのに、どこか苛立っている。桂時の言葉には脅威が含まれていた。
「……そう。気を付ける」
「そうしてくれ」
頬に、耳に、桂時の吐息を感じる。柑橘類の残り香を吸い込む。食われる。逃げたい。
その夜、普段は温厚な父に叱られた。
「誰のお陰で私立に通えていると思っているんだっ。全部、吉田さんのお陰だということを頭に入れておけ」
頼むから桂時さんには逆らうな、と父が良明に頭を下げてきた。
初めて知る事実に、良明は何も言い返せずにいた。清水家は特別裕福ではない。母を早くに亡くし、父は一人で良明を育ててくれた。父は部長職をしている。が、一人息子を小中高一貫の私立に通わせるだけの余裕はないはずだ。
父の言葉で、やはり、と良明は納得した。かつて父から言われた『桂時さんに逆らうな』は、そういう意味だったのだ。お陰で自分は分不相応な環境で、桂時の庇護の下で笑えていた。
翌日、父の言いつけを守り、桂時の送迎車に乗って一日を共に過ごした。
「明日から吉田桂時さんに話しかけなさい」
手を繋ぎながら、父が言ったのを覚えている。
「どうして?」
「父さんと良明のこれからのためになるからだ」
「桂時くんとはもう友達だよ」
父は良明の頭を優しく撫でた。けれど次の瞬間、顔つきが変わる。
「友達なんて恐れ多い。言語道断だ。呼び方は桂時さん。敬語に気を付けなさい」
普段の父とは違う形相に、良明はうろたえた。口を開こうとすると、父が小さく咳をする。それだけで父の焦りが良明にも伝染した。
「いいか。絶対に桂時さんには逆らうな」
「……は、はい」
父にきつく言い渡された。
翌日、幼稚園の砂場で桂時を見掛けた。
「桂時さん、一緒に遊びましょう」
桂時が振り返る。良明とは同い年で、同性とは思えないほど整った顔立ちをしている。
周囲の警護の大人が、冷たいというより“仕事の目”で良明を見てくる。膝から下が震えた。それでも父に愛想良くしろと言い聞かされてきたから、必死に泣くのをこらえて、ひとりぼっちの桂時に笑いかけた。
桂時が砂にスコップを刺した。
「俺を裏切らないか」
真っ直ぐな声でそう聞かれた。裏切るいわれはないから、良明は即座に頷く。
「裏切らない」
「絶対だからな」
「……はい」
随分と用心深いなと思いながら、良明は砂遊びに加わった。
「あとな、敬語はやめろ。さん付けとか、なに」
「でも、父さんが……」
父に叱られてしまう。
「良明は俺の子分だから。俺の命令は絶対だ。分かったか」
嫌だな、随分と気の強い子だな、と思った。けれど父の顔を思い出した良明は、桂時に笑い返した。
それからの良明は、子分として扱われた。
桂時が通学するときには、決まって警護の者が車で送迎する。学校に行くだけなのに、場違いなくらい高そうな車だった。桂時が直接教えてくれたわけではないが、同級生の話によれば祖父は大きなグループの会長らしい。
良明の母が入院していた病院にも、その名がついていた気がする。偶然なことに父も、その関連会社に身を置いていた。どこか出来過ぎだった。
十歳になってしばらく、父は良明の目をまともに見なくなった。
夕方、玄関で靴を揃えていると、父の電話の声が聞こえた。低くて、妙に丁寧で、普段の父じゃない。
「……はい。はい、吉田様。ありがとうございます」
その夜、桂時からメッセージが来た。短い。「明日、来い」だけ。
翌日、桂時の送迎車の中で、桂時は窓の外を見たまま言った。
「お前、泣くなよ」
慰めでも優しさでもなく、規則みたいな言い方だった。
良明が返事をする前に、桂時が良明の手を取った。指先が冷たい。握る力は強くないのに、ほどけない形で絡む。親指が一度だけ、手首の内側を確かめる。
「父親に迷惑かけるな」
その言葉で良明は初めて、泣き方まで監視されていると知った。
――あれ以来、送迎車は「特別」じゃなくなった。
「あっちに行きたい」
良明がよそ見をすると、桂時によって腰に紐を付けられて、四方に連れ回されたこともある。
それからというもの、小中高ともに同じクラスが続き、隣の席が続いた。親分である桂時の彼女とのデートにも同行を求められ、良明は歴代の恋人たちの機嫌を取るのに難儀した。
自分と桂時を比べてみる。成績と能力、外見、どれを取っても圧倒的に劣っている。周囲から自分が「金魚のふん」と呼ばれているのも耳にしていた。そんなの自分が一番分かっているよ、と言い返したい。
しかし、桂時が「気にするな」と慰めてくれるものだから、良明はその甘い言葉に縋ってしまう。縋ったあとで我に返り、どうしようもない不安に陥る。それの繰り返しだった。
――桂時に依存している。
そう自覚するようになってから、良明は彼からの誘いを断り続けた。そろそろ自立しないと、自分は自滅する。これが巣立ちというやつだと。
けれど、断ったはずなのに、廊下で桂時と目が合うだけで胃の奥が縮む。次の瞬間には「ごめん、行く」と返している。引かれた手が、自分のものじゃないみたいだった。
授業中に隣の席の桂時が顔を寄せてきた。
「良明のお父様が嘆いていたそうだ。息子が聞き分けのない子だってね。俺の父さんにまで頭を下げてきたよ」
嘆く口調なのに、どこか苛立っている。桂時の言葉には脅威が含まれていた。
「……そう。気を付ける」
「そうしてくれ」
頬に、耳に、桂時の吐息を感じる。柑橘類の残り香を吸い込む。食われる。逃げたい。
その夜、普段は温厚な父に叱られた。
「誰のお陰で私立に通えていると思っているんだっ。全部、吉田さんのお陰だということを頭に入れておけ」
頼むから桂時さんには逆らうな、と父が良明に頭を下げてきた。
初めて知る事実に、良明は何も言い返せずにいた。清水家は特別裕福ではない。母を早くに亡くし、父は一人で良明を育ててくれた。父は部長職をしている。が、一人息子を小中高一貫の私立に通わせるだけの余裕はないはずだ。
父の言葉で、やはり、と良明は納得した。かつて父から言われた『桂時さんに逆らうな』は、そういう意味だったのだ。お陰で自分は分不相応な環境で、桂時の庇護の下で笑えていた。
翌日、父の言いつけを守り、桂時の送迎車に乗って一日を共に過ごした。
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