祝祭

佐治尚実

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2.初日※

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 夕方にアパートの前まで迎えに来てくれた楓の車に乗って、彼の家に移動した。孝正のアパートとは比べ物にならない白い邸宅に招かれて場違いな気がした。

「ここを使ってくれ」

 二階の寝室に通された。隣の部屋は楓の使う主寝室のようだ。

「ありがとうございます」
「そう、かしこまらないで、そうだ孝正に見せたいものがあるんだ」

 床に荷物を置いて、楓と共に一階に戻る。案内された先は十五畳ほどの、小ぶりな書斎だった。とはいえ天井が高いせいか、全体的に広々として見えた。アンティーク調のインテリアに、壁際を埋めるように本棚が置かれている。中央に木製のテーブルと椅子、右手にカウチソファも置かれている。

「すごいです」
「そこの棚に新珠の全集がある」

 ここに座りなさい、と言われるがまま、孝正はカウチソファに腰を下ろす。近くの棚に顔を寄せると、古い本特有の油の匂いがした。

「好きなだけ読んで、これ、孝正が読んでいない短編」

 とある一冊を楓に手渡された。薄い本を、手のひらに載せると、まだ読んでもいないのに話が始まった気がする。孝正が未だに読めていなかった短編の『祝祭』を、楓は覚えていてくれた。『祝祭』を読む喜びよりも、楓の気遣いが嬉しくて胸が躍る。

「うれしい」

 遠慮することなく蔵書を開いた孝正は、食い入るように本の世界に浸った。

「ずっといていいんだよ」

 楓の太い指が、孝正の目にかかった前髪を払う。
 その夜、『祝祭』を読み終えた孝正は、泣き腫らした目を冷やそうと、浴室で冷たいシャワーを浴びた。寝室の棚に木彫りの猫を置いたり、本を詰めたりしていたら、あくびが出た。明日は仕事で早いから、ベッドで横になっていた。

 案の定、楓が欲情した顔をして部屋に入ってきた。

「どうしました」

 孝正はすっとぼけた。

「好きなんだ」

 いつものスマートな態度はどこに行ったのか、楓は扉の前でオロオロしている。

「聞こえません、どうしたんですか?」

 タオルケットから素足を出すと、楓は喉仏を上下させた。

 絶対に手を出してくるだろうと覚悟はしていた。それでも、さすがに初日はないだろう。もっと関係を深めてから、なんて注文をつけるほど自分を高くは見ていない。しかし、新珠六蔵の世界の女性みたいに、わざと架空の自分を演じて見せるのも苦ではない。愛おしい女を抱いても、その実態を掴めないまま溺れていく男の様を、小説の中の彼女達は安心すると共に悲しんだ。手に入らなければ、男の一部にならなければ、ずっと男は追いかけてくる。だから孝正は、彼に体現させてやろうかと思った。楓からの思いが純粋な愛だなんて確証はない。ただはっきりと分かるのは、男の性欲だけだった。

「孝正のことが好きなんだ」

 楓は枕元まで来て、大きな声を出した。

「僕は貴方という人を知りません、僕に優しくしてくれて、素敵なプレゼントもくれて、それでも僕を物扱いしない楓さんに好意を抱いています、それが全部下心だったんですか」
「森の中で俺を探し出してくれた君が好きだ、妖精が現れたのかと驚いた、一目惚れだった」

 楓はどうかしている。こんな地味な男を捕まえて、本当にどうしようもない。

「僕は人を好きになったことがないんです、恋愛を教えてくれるんですか?」

 小首を傾ける。

「それは、俺を受け入れる、ということなのか」

 そうも孝正に対してへりくだる理由が見当たらない。恋という物はもっと綺麗な相手とするものだ。小説の中の女性は皆揃って美しかった。

 孝正は迷いから顎を引いた。それを楓は合意と受け取ったようで、直ぐにベッドに上がってくる。

「はい、楓さんが僕を求めてくれるなら」

 顎を持ち上げられて、孝正は緊張から視線を合わす勇気すらなかった。威勢はどこに行った。

 それでも楓の大きな腕や脚と手が、孝正の身体を拘束すると、つい暴れてしまう。自分の手がベッド横の本棚や家具にぶつかり、孝正が大事に集めた小物とかが落下する。それを楓が申し訳なさそうに拾い上げる。そんな楓の横顔に、孝正はどうやってもかなわないと抵抗を止めた。抱きすくめられると、身体の奥で何かが弾けた。それは始めて覚える恋の痛みだった。

「っうう、ぁ」
「かわいい、我慢できない」

 狭いベッドで、孝正の肉体を愛撫した。

「気持ちいいか」

 と、聞く癖に、楓はわんわんと泣いた。

「好きなんだ、愛してる」

 そう口では上品ぶるけれど、手と舌は大人のいやらしさを隠せなかった。
 初めての感情が怖くて、泣きたいのはこちらだ。それなのに、楓の口づけは優しく、灰色の目が執拗に追いかけてくるから、背中に腕を回すことしか出来なかった。

「ぅうぁっ、ん、っうう」

 楓の指が、唾液で濡れた蕾をこじ開けようとする。

「孝正、かわいい、もっと欲しくなるよ」

 胸をいじられるだけで、性器を扱かれるだけで、簡単に果ててしまう。顔に飛んだ精液を、楓が舐め取る。相変わらず楓の指はしつようだった。

「だ、だめ、もう、っぁああ」

 その夜、自分達は最後までしなかった。乳首を口に含まれて性器を刺激されて、孝正は声を殺して喘いだ。指の異物感で辛かったし、エアコンで冷えた汗が不快だった。重たい肉体にのしかかられ、揺れる尻を揉まれたら、孝正はもう演じることを忘れていた。

「愛してるよ孝正、ずっといるんだよ」
「ずっとは無理、っうぁ、無理っ、あああ」
「いるんだ、ここに、俺と」

 楓の荒い息遣いが長い夜を予感させた。
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