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3 追い詰められた状況って、時間が長く感じますよね
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ここで唐突に、私の昔話をさせてもらおう。私と水野さんが居る地方は温暖な所で、そして私の家からも学校からも、海が近かった。プールに行くより、海で泳ぐ方が早いくらいの距離である。私も小さい頃から、親に連れられて海で泳いでいたものだ。
まだ小学生に上がる前だったと思うけれど、私は裸で、海の中で遊ぶ事が好きだった。私が勝手に水着を脱いで泳ぐものだから、ずいぶんと両親は苦労したようだ。今でも家では、俗に言う裸族なスタイルで私は通している。
昔話は終了。水野さんの家は敷地が広くて、庭には本宅とは別の小さな建物(つまり現在、わたしと水野さんが居る所)があった。小さいと言っても画室の他に、浴室まで付いている。絵具で体が汚れても、すぐに洗えるという訳だ。後で知る事になるのだが、浴槽は女の子が二人、余裕で入れるほど広かった。
『水野さんの家って、お金持ちだったんだなぁ』と、今さらのように私は感心している。家の土地だけでも、東京よりは安いだろうけど相当な代金のはずだ。水野さんの親戚には画家が居るそうで、その画家さんも利用していたアトリエが此処なのだろう。
そこで私は裸エプロンになっている。何を言っているのか分からないかも知れないが、私も自分が何をやっているのか、ちょっと良く分からなくなってきていた。別に私も、この恰好で電車に乗ってアトリエまで来た訳ではない。エプロンは普段、絵を描く時に使っている物で、これはバッグに入れて持ってきました。絵具で服を汚さないようにするための、絵描きの必需品なのです。体の前面だけを隠すシンプルなデザインだった。
水野さんの家のアトリエに招待されて、そこで私と彼女の二人きりとなって。「じゃあ、絵を描きましょうか」と言う水野さんを制して、私が「ちょっと着替えさせて」と言ったのだ。水野さんは怪訝な顔だった。当然だろう、絵を描くだけならエプロンを付ければ良いのだから。
私は浴室で着替えさせてもらった。着替えたと言うか、全裸になってエプロンを付けたんですけどね。服と下着は折りたたんで浴室に置いておきました。私は画室に戻って、唖然としている水野さんの横を通って、既に置いている描きかけの絵の前に腰かけた。学校で描いている課題の絵で、それを生徒が夏休み中に持ち帰って仕上げるのは良くある事なのだ。
そして今、私達は画室で、学校の美術部と同じように其々の課題を描いている。学校と違うのは、私が裸エプロンだという事くらいだった。もし、この恰好の理由を尋ねられたら、『今日、暑いでしょう? だから脱いじゃった』などと答えるつもりだったのだけど、水野さんは無言だった。その沈黙が、まぁ怖くて怖くて。
実際には、アトリエにはクーラーがあって、冷房も効いていたから服を脱ぐ必要なんか全く無かった。それでも言い訳するとすれば、換気のために窓は開けてあるから、そこから熱風と呼べるレベルの空気が入ってきては居た。油絵の絵具は匂いがきついのだ。だから換気が必要で、私は窓に近い位置に座っている。
何とも気まずくて、私は窓の方に目を向けて、そこから青空を眺めたりしていた。ちなみに窓は高い位置にあって、庭から私の裸エプロン姿を覗かれる心配は無い。
空を見ていても絵は描けないから、私は集中しようとして絵筆を動かす。そう言えば裸エプロンの理由をまだ説明してなかったけど、ええ要するに私は水野さんを誘惑したかったんです。
女子が男子を誘惑したければ、ちょっと胸元でも広げて見せてあげれば済むのだろうけど。何しろ相手は同性の水野さんである。そもそも私に関心が無いのかも知れない人で、そんな人を誘惑するには生半可な露出では無理だと私は思ったのだ。そんな理由の裸エプロン。
そもそも誘惑って、どうやるのか私には知識が無かったし。話しかける事さえ恥ずかしい水野さんを相手に、言葉で誘惑する? 無理! 何か恥ずかしい事を言うくらいなら、もう最初から服を脱ぐしか無いでしょう。追い詰められた私に、裸エプロンが恥ずかしいという感覚は既に無かったのでした。根が裸族の私は、服が好きじゃなかったし。
誘惑の試みが成功するにせよ失敗するにせよ、初めて行った裸エプロン体験は、何とも言えない解放感があった。窮屈な下着に胸を締め付けられる事も無くなって、これが一人の時だったら、私はリラックスして絵を描けていたかもだ。
実際には水野さんが部屋の中に居る。怖くて水野さんの方を向けないけれど、そちらからは「バカじゃないの、バカじゃないの、バカじゃないの……」という低い唸り声が聞こえてくるような気が。いや、気のせいじゃなくて言っている。確実に。
いつも水野さんは真剣で、全力で絵を描いている。そんな所も素敵で、水野さんの低い声も、それはそれで魅力的だなぁと私は思った。そんな水野さんの前で裸エプロンになるという行為は、美術を冒涜するようなものかも知れない。私は私で真剣に考えた結果の行動なんだけどなぁ。どうなるのかなぁ、私。警察を呼ばれたりするのだろうか。猥褻罪とかで。
何とか集中して絵を描こうとして、腕を上げると、エプロンの横から胸が出そうになった。私の胸は裸になると、横に広がってしまうのだ。慌てて、筆を持たない左手の方でエプロンを直そうとしたけれど、上手く行かなくてエプロンは胸の谷間に挟まれるような形になってしまった。事前に裸エプロンで動く練習をしておくべきだったか。
中学の時は陸上部だった私の体には、今は霜降り肉みたいに脂肪が付いてしまって、痩せている水野さんと比べるとムッチリした肉付きである。その私は今、エプロンを胸の谷間に挟んでしまって、結果として真ん中に寄ったエプロンは私の身体をほとんど隠せていなかった。
これじゃ、まるで痴女ではないか。いや、元から? 右手も使ってエプロンを直そうと焦った私は、絵筆を落としてしまった。ああ、絵具が付いてたから床を汚してしまう。
筆を拾おうとして、自分の恰好を思い出した。エプロン一枚しか着けていない私が屈んだら、どうなるか。水野さんの位置からだと、お尻から何から、丸見えになってしまうのでは?
こんな私にも羞恥心というものはあって、お陰で、すっかり動けなくなってしまった。筆を拾わなければ絵も描けないのに。何しに来たんだろう、私。恥ずかしいやら怖いやらで、私は水野さんの方も向けない。何より怖いのは、『もし水野さんが私に無関心だったら?』という事だった。
『迷惑だから消えて』と言われたら、どうしよう。ゴーギャンに拒絶されて、自分の耳を切り落としたゴッホを思い出す。切羽詰まった私は独りで考え込んでいて、いつの間にか水野さんが背後に立っていた事にも気づかなかった。
「……はっ! み、水野さん!?」
首だけ動かして背後の水野さんを確認した私は、慌ててエプロンを直して、体の前側を隠す。全く意味の無い行為だったけれど、そんな事を考える余裕もない。水野さんの視線は私の背中や、お尻へと注がれていた。至近距離で目が合う。その瞳には、これまで私が見た事のない色があった。その色の意味が私には分からなかったけど、水野さんが今、私に向けている感情は『怒り』の色に、最も近いように私には感じられた。
「み、水野さん……?」
恐る恐る、呼びかける。ひょっとしたら私が落とした絵筆を拾いに来てくれたのかとも思ったが、そうでは無さそうだ。水野さんは今、私の事しか見ていなかった。
「知らないわよ?……もう、どうなっても知らないからね……」
低い声が水野さんの喉から漏れる。私は水野さんよりも背が高くて、体も大きいのだけど、椅子に腰かけた状態の私は今、此処で殺されるのだと本気で思った。立っていた水野さんが、電光石火の早業で、私を椅子から床へと引きずり倒す!
「み、水野さん!?」
「うるさい、うるさい! 中途半端に挑発してきて! ちゃんと前も見せなさいよ!」
私はエプロンを剥ぎ取られる。抵抗する気は全く無かったけれど、たぶん、抵抗しようとしても何もできなかっただろう。芸術家の人って激しいんだなぁと、私は内心で感動していた。
まだ小学生に上がる前だったと思うけれど、私は裸で、海の中で遊ぶ事が好きだった。私が勝手に水着を脱いで泳ぐものだから、ずいぶんと両親は苦労したようだ。今でも家では、俗に言う裸族なスタイルで私は通している。
昔話は終了。水野さんの家は敷地が広くて、庭には本宅とは別の小さな建物(つまり現在、わたしと水野さんが居る所)があった。小さいと言っても画室の他に、浴室まで付いている。絵具で体が汚れても、すぐに洗えるという訳だ。後で知る事になるのだが、浴槽は女の子が二人、余裕で入れるほど広かった。
『水野さんの家って、お金持ちだったんだなぁ』と、今さらのように私は感心している。家の土地だけでも、東京よりは安いだろうけど相当な代金のはずだ。水野さんの親戚には画家が居るそうで、その画家さんも利用していたアトリエが此処なのだろう。
そこで私は裸エプロンになっている。何を言っているのか分からないかも知れないが、私も自分が何をやっているのか、ちょっと良く分からなくなってきていた。別に私も、この恰好で電車に乗ってアトリエまで来た訳ではない。エプロンは普段、絵を描く時に使っている物で、これはバッグに入れて持ってきました。絵具で服を汚さないようにするための、絵描きの必需品なのです。体の前面だけを隠すシンプルなデザインだった。
水野さんの家のアトリエに招待されて、そこで私と彼女の二人きりとなって。「じゃあ、絵を描きましょうか」と言う水野さんを制して、私が「ちょっと着替えさせて」と言ったのだ。水野さんは怪訝な顔だった。当然だろう、絵を描くだけならエプロンを付ければ良いのだから。
私は浴室で着替えさせてもらった。着替えたと言うか、全裸になってエプロンを付けたんですけどね。服と下着は折りたたんで浴室に置いておきました。私は画室に戻って、唖然としている水野さんの横を通って、既に置いている描きかけの絵の前に腰かけた。学校で描いている課題の絵で、それを生徒が夏休み中に持ち帰って仕上げるのは良くある事なのだ。
そして今、私達は画室で、学校の美術部と同じように其々の課題を描いている。学校と違うのは、私が裸エプロンだという事くらいだった。もし、この恰好の理由を尋ねられたら、『今日、暑いでしょう? だから脱いじゃった』などと答えるつもりだったのだけど、水野さんは無言だった。その沈黙が、まぁ怖くて怖くて。
実際には、アトリエにはクーラーがあって、冷房も効いていたから服を脱ぐ必要なんか全く無かった。それでも言い訳するとすれば、換気のために窓は開けてあるから、そこから熱風と呼べるレベルの空気が入ってきては居た。油絵の絵具は匂いがきついのだ。だから換気が必要で、私は窓に近い位置に座っている。
何とも気まずくて、私は窓の方に目を向けて、そこから青空を眺めたりしていた。ちなみに窓は高い位置にあって、庭から私の裸エプロン姿を覗かれる心配は無い。
空を見ていても絵は描けないから、私は集中しようとして絵筆を動かす。そう言えば裸エプロンの理由をまだ説明してなかったけど、ええ要するに私は水野さんを誘惑したかったんです。
女子が男子を誘惑したければ、ちょっと胸元でも広げて見せてあげれば済むのだろうけど。何しろ相手は同性の水野さんである。そもそも私に関心が無いのかも知れない人で、そんな人を誘惑するには生半可な露出では無理だと私は思ったのだ。そんな理由の裸エプロン。
そもそも誘惑って、どうやるのか私には知識が無かったし。話しかける事さえ恥ずかしい水野さんを相手に、言葉で誘惑する? 無理! 何か恥ずかしい事を言うくらいなら、もう最初から服を脱ぐしか無いでしょう。追い詰められた私に、裸エプロンが恥ずかしいという感覚は既に無かったのでした。根が裸族の私は、服が好きじゃなかったし。
誘惑の試みが成功するにせよ失敗するにせよ、初めて行った裸エプロン体験は、何とも言えない解放感があった。窮屈な下着に胸を締め付けられる事も無くなって、これが一人の時だったら、私はリラックスして絵を描けていたかもだ。
実際には水野さんが部屋の中に居る。怖くて水野さんの方を向けないけれど、そちらからは「バカじゃないの、バカじゃないの、バカじゃないの……」という低い唸り声が聞こえてくるような気が。いや、気のせいじゃなくて言っている。確実に。
いつも水野さんは真剣で、全力で絵を描いている。そんな所も素敵で、水野さんの低い声も、それはそれで魅力的だなぁと私は思った。そんな水野さんの前で裸エプロンになるという行為は、美術を冒涜するようなものかも知れない。私は私で真剣に考えた結果の行動なんだけどなぁ。どうなるのかなぁ、私。警察を呼ばれたりするのだろうか。猥褻罪とかで。
何とか集中して絵を描こうとして、腕を上げると、エプロンの横から胸が出そうになった。私の胸は裸になると、横に広がってしまうのだ。慌てて、筆を持たない左手の方でエプロンを直そうとしたけれど、上手く行かなくてエプロンは胸の谷間に挟まれるような形になってしまった。事前に裸エプロンで動く練習をしておくべきだったか。
中学の時は陸上部だった私の体には、今は霜降り肉みたいに脂肪が付いてしまって、痩せている水野さんと比べるとムッチリした肉付きである。その私は今、エプロンを胸の谷間に挟んでしまって、結果として真ん中に寄ったエプロンは私の身体をほとんど隠せていなかった。
これじゃ、まるで痴女ではないか。いや、元から? 右手も使ってエプロンを直そうと焦った私は、絵筆を落としてしまった。ああ、絵具が付いてたから床を汚してしまう。
筆を拾おうとして、自分の恰好を思い出した。エプロン一枚しか着けていない私が屈んだら、どうなるか。水野さんの位置からだと、お尻から何から、丸見えになってしまうのでは?
こんな私にも羞恥心というものはあって、お陰で、すっかり動けなくなってしまった。筆を拾わなければ絵も描けないのに。何しに来たんだろう、私。恥ずかしいやら怖いやらで、私は水野さんの方も向けない。何より怖いのは、『もし水野さんが私に無関心だったら?』という事だった。
『迷惑だから消えて』と言われたら、どうしよう。ゴーギャンに拒絶されて、自分の耳を切り落としたゴッホを思い出す。切羽詰まった私は独りで考え込んでいて、いつの間にか水野さんが背後に立っていた事にも気づかなかった。
「……はっ! み、水野さん!?」
首だけ動かして背後の水野さんを確認した私は、慌ててエプロンを直して、体の前側を隠す。全く意味の無い行為だったけれど、そんな事を考える余裕もない。水野さんの視線は私の背中や、お尻へと注がれていた。至近距離で目が合う。その瞳には、これまで私が見た事のない色があった。その色の意味が私には分からなかったけど、水野さんが今、私に向けている感情は『怒り』の色に、最も近いように私には感じられた。
「み、水野さん……?」
恐る恐る、呼びかける。ひょっとしたら私が落とした絵筆を拾いに来てくれたのかとも思ったが、そうでは無さそうだ。水野さんは今、私の事しか見ていなかった。
「知らないわよ?……もう、どうなっても知らないからね……」
低い声が水野さんの喉から漏れる。私は水野さんよりも背が高くて、体も大きいのだけど、椅子に腰かけた状態の私は今、此処で殺されるのだと本気で思った。立っていた水野さんが、電光石火の早業で、私を椅子から床へと引きずり倒す!
「み、水野さん!?」
「うるさい、うるさい! 中途半端に挑発してきて! ちゃんと前も見せなさいよ!」
私はエプロンを剥ぎ取られる。抵抗する気は全く無かったけれど、たぶん、抵抗しようとしても何もできなかっただろう。芸術家の人って激しいんだなぁと、私は内心で感動していた。
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