帰ってきた猫ちゃん

転生新語

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第一章『吾輩は猫である』

2 猫ちゃん、編集者と遭遇する

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 再び前足からニュッと爪を伸ばして、機械のスイッチを押して電源を切る。吾輩が居る部屋は一階で、そこから出て縁側の方に移動してみる。主人と来客が、そこで話している声が聞こえるので。ちなみに主人が住んでいるのは生意気にも一軒家だ。

 稼ぎが無い主人が、何で住めているのかは知らない。どうせ借家であろう。主人には結婚相手が居たので、あるいは金を出してもらったのかも知れぬ。その結婚相手は何処に消えたのか。

 この家に来る客人というのは限られているので、話し声の内容も大体は見当がつく。吾輩、巻き込まれたくないので話し声からは少し離れたところから連中を観察してみた。

「原稿を書いてください、先生」

 こう言っているのは、人間の女である。やたら胸が大きく、なにかというと良く揺れる。年は二十代なのか三十代前半か。いつも葬式帰りのような黒い服を着ている。この女の職業は、編集者というらしい。いつも作家に、まとわりついては「原稿を出せ」などと言う仕事だ。

 借金取りのようなもので、「お金も原稿もありません」などと答えても簡単には諦めない。「いつになったら出せるんですか。家財を差し押さえますよ」と言うのだろう。ヤクザの親戚しんせきか。

「考えては、いるんだ。アイデアが浮かばないんだよ」

 こう答えているのが、吾輩の飼い主、つまり主人である。四十代で、過去にはあったかもしれない物書きの才能も、今は枯渇こかつしているようだ。畳に寝転がりながら答えている辺り、もう人として末期である。猫じゃないのだから、最低限の礼節は必要であろう。

「考えてるように見えません。パチンコで疲れて寝てるだけでしょう、先生」

 むすっとした無表情で編集者が指摘する。吾輩、この女が笑うところを見た試しがない。

「仕方ないだろう。緊急事態宣言が解除されて、パチンコ屋も営業時間が平常に戻ったんだから。そりゃ打ちに行かないと」

「原稿を書いてからにしてください、先生」

 編集者の女は庭先に立っていたのだが、靴をいたまま、膝立ちで畳の上に上がってきた。その物音で、寝ていた主人も目を開ける。

「いいですか。先生の小説は、大して売れたためしが無いんです。これまで、ずっと」

「た、試しが無いとか言うな! 少しは売れたぞ!」

 編集者は、まるで猫のように膝と手で移動して、主人に詰め寄ってくる。妙な迫力があって、寝ていた主人は下から女を見上げるような形で狼狽ろうばいしている。

「本来は先生の作家人生も終わってるんです。しかし、今はコンテンツ不足の時代。アニメ作品の原作はマンガも出尽くして、新たな小説が求められている。だから私が今日、ここに来たのですよ。これは言わば、最後のチャンスと御理解ください」

 圧が凄い。肉食獣のような雰囲気だと、吾輩は感心して彼女を見ている。

「次の作品で売れなかったら、もう出版社うちからは先生の本は出せないんです。分かってますか」

「わ、分かってる、つもりだ! 私も真剣にアイデアを出そうとしてるんだよ」

 編集者の胸元からは、大きな乳房の谷間が見えて、それが面白いほど揺れている。主人も吾輩も、思わず目が行ってしまう。吾輩、猫なので、動くボールなどには反応してしまうのだ。

「私が会社の、上の方に頼んで、何とか次の作品まで待ってもらってるんです。分かってますか、先生の処遇は、次の作品の売り上げで決まるんですよ」

「分かっている、分かっているよ! にじり寄ってくるのは止めて下がりなさい!」

 編集者の胸が動くたびに、主人の視線が首ごとあとを追うのが何だか滑稽こっけいであった。無表情の女は見られているのに気づいてないのか、意識的に見せつけているのか。女は主人の方に顔を向けたまま、膝と手で後退していった。

仮にUターンしていたらスカートの中が見えていただろう。それは恥ずかしかったらしい。

「いいですね。原稿を書いてください、先生」

 庭に戻って、軽く膝を手で払ってから、女編集者は去っていく。主人が安堵の息をいた。

「そう言えば一つだけ。奥さんは帰ってこないんですか、先生」

 帰ると思っていた編集者は、足を止めて、主人に背中を向けたままで話しかけてくる。その姿は、主人に表情を見せないようにしているのではないか。そう吾輩には感じられた。

「旅行中だよ、旅行中。前から言ってるだろう」

「別居中の間違いではないのですか」

「妻は旅行が好きなんだ。その旅行の期間が長いだけだよ」

 何で、そんな事を聞くんだという表情の主人である。感受性のけた間抜まぬづらであった。

「……失礼します、先生」

 今度こそ編集者は帰っていった。ところで家の中には、主人と編集者のりを、ニヤニヤしながら眺めていた男が居る。とっくに吾輩は気づいていたが、主人は今、気づいたようだ。
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