帰ってきた猫ちゃん

転生新語

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第九章『明暗』

3 猫ちゃん、再び寝ぼけて『明暗』を語る

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 眠っている龍之介くんに語り終えて。吾輩、『明暗』に付いて、あれやこれやを考える。

 最後に津田が出会う清子は、いかにも大人の女性であった。津田の妻である延子が、子供っぽい所があるので対照的である。漱石先生は大人の女性が好みであったかも知れない。

 漱石先生は末っ子であった。吾輩も末っ子の猫であった。だからという訳では無いが、分かる事がある。漱石先生は、早くにくした母親を生涯、求め続けていたのではなかろうか。

 猫は大人になっても、飼い主に母性を求める生物であるらしい。もちろん吾輩、主人に母性を求めるつもりは無いが。漱石先生は、犬よりは猫に近い人だったと吾輩は思っている。

『明暗』では、それまでの漱石作品と違って、女性キャラがじつはげしく自己主張する。これまで漱石作品の中で、どことなくかろんじられてきた、女性キャラ達の復讐ふくしゅうであるかのようだ。

『吾輩は猫である』の頃から、漱石作品には女性蔑視べっしあらわれているという指摘してきもある。吾輩も女性の事を、「女」などと表現してきたような気がする。吾輩の物語がかりに書籍化されたら、その辺りは修正すべきであろうか。何の話だ。漱石先生の文体を真似まねるフォロワーの方々には、その辺りに気を付けるよう言っておきたい。

 とにかく女性キャラの話だ。吉川夫人は終盤、津田に向かって「貴方は学校へ行ったり学問をしたりした方の癖に、まるで自分が見えないんだからお気の毒よ」と言いはなつ。だから清子に逃げられたんだ、とまで続けられる。

 これは漱石先生が、自身の事を批判しているかのようである。『お前は学問をしているようだが女を馬鹿にしてきたじゃないか。本当に馬鹿なのは、お前自身だよ』とでも言うように。

 吉川夫人は津田を子供のようにあつかっている。漱石先生も、こんなふうに母親からしかられてみたかったのではないだろうか。その願いはかなえられず、漱石先生はあんに自身を批判する。

 ところで『明暗』というタイトルだが、これには複数の意味が込められているのだろう。

 表と裏というように、ある時はあきらかに分かりやすく表現し、ある時にはあんにさりげなく示される。それが『明暗』における、漱石先生の執筆スタイルである。

 そして、「今が明暗の分かれる時だ」という、漱石先生の切迫感せっぱくかんをも表している。早く何とかしないと皆で地獄じごく行きだ。先生は、そう言いたかったのだと吾輩思う。

 考えてみてほしい。何で漱石先生はドストエフスキー好きの小林というキャラクターを出してきたのか。彼は社会主義者を気取きどっている。そして明治四十四年には大逆たいぎゃく事件の犯人として社会主義者が十二名、死刑執行されていた。『明暗』が連載される六年前の事で、これは実質、言論弾圧による処刑である。

 漱石先生が自身の安全を考えるなら、こんな社会主義者のキャラクターなど、小説に出すべきではないのだ。もう先生は充分じゅうぶんすぎる程の名声をていた。原稿を書く腕はリューマチで痛む。大逆事件が起きた明治四十三年には、漱石先生は血をいて意識不明の重体であった。

『行人』を連載していた時には、胃潰瘍いかいようで五か月の中断があった。自分の命が長くないという事は薄々うすうす、分かっていたはずなのだ。何故、危険をおかしてまで、いつ終わるかも分からない大長編にいどんだのか。もう休めば良いではないか。簡単なエッセイだけを書いて、家族と安らかに過ごす事だって可能だったはずである。

 ……もう吾輩は、理由が分かっている。漱石先生は、自身の安全や利益だけを考える人では無かったからだ。漱石先生は軍国主義の日本をあやぶんでいた。大正三年におこなった講演『私の個人主義』では、学生達に「国家主義者にはなるな、それよりも個人主義であれ」と伝えている。それも相当に遠回とおまわしな言い方であり、言論弾圧を警戒したのだろう。

『明暗』も同様である。遠回しに遠回しを重ねて、ついに未完で終わった作品だ。読者は漱石先生が何をあんに示したかったか、考える必要がある。「結婚半年の主人公夫婦が離婚するかどうか」という話は表側の分かりやすい部分でしか無い。

 吾輩、ちょっと熱くなってしまったかも知れない。ここは一つ、また寝ぼけてみるべきであろう。吾輩は眠っている龍之介くんの隣で、体を丸くして横になる。

 猫が寝ぼけなければならないような話題というのは、あるのである。何処かの国の独裁者を批判する時は寝言ねごとに限る。まだ、そういうタイミングでは無いが、事前じぜんに練習として寝ぼけておくのも悪くはない。龍之介くんの寝息を聴いていると、すぐに眠気ねむけが訪れた。



 さて吾輩、再び寝ぼけてみた。ここでは吾輩、『明暗』で暗に示されている部分を語ろうと思う。漱石先生が構想していたであろうという展開に付いて取り上げてみる。

 まず岡本家である。津田の妻である延子の親戚で、お金持ちだ。この家の岡本と、吉川という男同士は兄弟のように仲が良い。この二人が岡本の家で、戦争に付いて懐かしそうに話す場面が出てくる。二人は軍国主義に、何の疑問もいだかない。

 これは漱石先生から見て、けしからん事である。なので岡本家には罰を与える展開となる。具体的に言うと連載六十六回で語られる、岡本家にある庭の土を高くげた部分が使われるだろう。つちの部分は孟宗もうそうやぶ、つまり孟宗もうそうちくが植えられた藪になっているのだが、このままだと土砂どしゃくずれに弱いのである。

「あすこだけ穴がいてるようでおかしい」と岡本が言うスペースに来年、かえでを植える予定だそうだ。そうすれば根が張って盛り土も強くなるのだが、その前に土砂崩れが起きる展開だと吾輩は思う。大雨でも降るのかも知れない。どの程度の被害かは分からない。

『明暗』で「穴」は、不吉な単語として使われている。連載十七回で、津田は病院で薬をもらおうとする。中の様子は「穴蔵あなぐらのような感じ」と書かれる。当時は肛門科と尿にょう生殖器科せいしょくきかねた病院があったらしい。ソースは十川とがわ信介しんすけ先生の『夏目漱石』である。

 ここでは性病にかかった患者が、座って順番を待っている。その光景を見て、津田は昨年、妹の結婚相手である堀がここに居た事を思い出す。堀と一緒に居たのは、ここで名前は書かれていないが関という男で、つまり清子の夫である。

 津田の妹である秀子も、津田が最後に会いに行く清子も、夫から裏切られていた訳だ。おそらく、また裏切られるだろう。その事が、どうストーリーに繋がるかは知らない。

 穴と言えば、最も不吉な場面が書かれるのが連載七十四回である。これは日本の未来を暗示していると思われる。
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