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父【記憶】
生い立ちなど
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1931(昭和6)年、九州某地生まれ。
当時両親ともに25歳で、五人兄弟の第二子で長男だった。
父親は運送店を営んでいたとのこと。
50歳だった母方の祖母と同居で、近所には父方の祖母(60歳)と曾祖母(83歳)も住んでいたらしい。
おっとりして上品な姉は、若いうちに神戸に嫁いだ。
自分と一番似ていたので反発し合うことも多かった、すぐ下の弟とは、晩年と意外と付き合いがあり、私や弟もかわいがってもらった記憶がある。
若いうちに亡くなったその下の弟は、有名な映画会社勤務の自慢の弟だったらしい。
しかし就職した次の年には若くして病死した。
一番かわいがっていたのは、末子だった妹。私から見ると「M叔母さん」である>
(“エムおばさん”って、何だか『オズの魔法使い』みたいですね)
若いうちに亡くした、大好きだった母親に最も似ていたという。
M叔母さんは結婚して女の子を産んだ後離婚し、実家に戻って父親、つまり私の祖父に当たる人と暮らしていた。そしてその最期を看取った。
以下紛らわしくなるので、基本的に「私」との関係性をベースにして話を進めたい。
◇◇◇
若いうちの姿しか記憶にないというのも大きいだろうが、美人で頭のいい祖母を父は自慢に思っていた。
幕末、「人が刀で切られるところをリアルに見た記憶がうっすらある」ような時代に生まれた人だったというが、モダンなものが好きで、仏壇に置かれた遺影では、当時「縞馬」と呼ばれて大流行した水着を着ている。
と、ここまで書いて「あれ?」と思ったのだが、1931年生まれの人の母親(冷静に計算すると1905もしくは6年生まれ)が幕末の記憶があるのは計算が合わない。
だから「祖母の親」の世代の話を、父が祖母のエピソードとしてごっちゃにして語ったか、私の方が混乱していたかのどちらかなのだろう。
もう一つの可能性として、話を少し面白くしようと、父なりに盛り気味に脚色していたのかもしれないが、今となっては確かめようともない。
私が知っている限りの父の人となりを考えると、“盛った”説に1票である。
◇◇◇
閑話休題。
父はそんな祖母の影響か、「女の子も教養をつけるべきだ」とよく言っていた。
父は結婚後、母の実家に養子縁組せずに同居し、しかし母の姓を名乗るという、よく分からないことをしていたし、「婿」「養子」というワードに対しては、「角野卓三じゃねーよ」と返すときのハリセンボン近藤春菜さん並みにテンポよく反応していた。
そういうスタンスが関係があったかどうかは分からないが、旧態依然とした考え方の母方の祖母とはうまが合わず、しかしぶつかり合うでもなく、お互いにさまざまな思いをためて込んでいただろうと思う。
自慢の母親への思いと、どうしても相いれない姑への反発が、「女の子も教養をつけるべきだ」のワンフレーズに込められている気がする。
ハハ祖母(略称)も、別に私に対して「女に学問は必要ない」と言ったわけではないのだが、少なくとも自分の娘(1940(昭和15)年生まれ)の大学進学には待ったをかけていた。
これは金銭的な問題の方が大きかったとは思うけれど、このときは「女が大学まで行く必要はない」という言葉を使って反対したらしい。
年齢的に中卒も珍しくない時代だったので、高校に行かせてもらっただけでもありがたい――と母は考えようとしたが、親友が大学まで進んでなりたい職に就き、結婚後は別荘を持つほどの生活をしているという様子を見るのは、少し堪えるものはあったのかもしれない。
父はハハ祖母の目を盗むように(とまで意識したかはともかく)、よく自分の母親の思い出話をしてくれた。
私はきょうだいの中で最も父に似ていると言われていたせいか、「隔世遺伝なのかなあ。お前はふとした表情が母さんそっくりなんだ」とよく言われた。
勉強ができて毒舌(というより性悪)の兄にたたかれ、気ままでちょっとおバカの弟に突き上げられ…という、中間管理職ならぬ“報われない中間子”の私は、父にそんなふうに言われるのはうれしかった。
何しろ「美人で頭がよくて」と父自身が評価している祖母に似ていると言われるのだから、悪い気はしない。
私が本を読んだり、勉強を率先してやっているのを見ると、「いいぞ。“目指せ東大”だな」などといって、からかい気味に応援してくれた。
気難しい性格で社交性も乏しく、幼い頃からコミュ障ぎみだったせいか、私の幼少期は、それなりに面倒で辛いこともあったはずなのだが、幼い頃を思い出すと、何とも幸せな気持ちになるのは、父のこういう接し方のおかげかもしれない。
当時両親ともに25歳で、五人兄弟の第二子で長男だった。
父親は運送店を営んでいたとのこと。
50歳だった母方の祖母と同居で、近所には父方の祖母(60歳)と曾祖母(83歳)も住んでいたらしい。
おっとりして上品な姉は、若いうちに神戸に嫁いだ。
自分と一番似ていたので反発し合うことも多かった、すぐ下の弟とは、晩年と意外と付き合いがあり、私や弟もかわいがってもらった記憶がある。
若いうちに亡くなったその下の弟は、有名な映画会社勤務の自慢の弟だったらしい。
しかし就職した次の年には若くして病死した。
一番かわいがっていたのは、末子だった妹。私から見ると「M叔母さん」である>
(“エムおばさん”って、何だか『オズの魔法使い』みたいですね)
若いうちに亡くした、大好きだった母親に最も似ていたという。
M叔母さんは結婚して女の子を産んだ後離婚し、実家に戻って父親、つまり私の祖父に当たる人と暮らしていた。そしてその最期を看取った。
以下紛らわしくなるので、基本的に「私」との関係性をベースにして話を進めたい。
◇◇◇
若いうちの姿しか記憶にないというのも大きいだろうが、美人で頭のいい祖母を父は自慢に思っていた。
幕末、「人が刀で切られるところをリアルに見た記憶がうっすらある」ような時代に生まれた人だったというが、モダンなものが好きで、仏壇に置かれた遺影では、当時「縞馬」と呼ばれて大流行した水着を着ている。
と、ここまで書いて「あれ?」と思ったのだが、1931年生まれの人の母親(冷静に計算すると1905もしくは6年生まれ)が幕末の記憶があるのは計算が合わない。
だから「祖母の親」の世代の話を、父が祖母のエピソードとしてごっちゃにして語ったか、私の方が混乱していたかのどちらかなのだろう。
もう一つの可能性として、話を少し面白くしようと、父なりに盛り気味に脚色していたのかもしれないが、今となっては確かめようともない。
私が知っている限りの父の人となりを考えると、“盛った”説に1票である。
◇◇◇
閑話休題。
父はそんな祖母の影響か、「女の子も教養をつけるべきだ」とよく言っていた。
父は結婚後、母の実家に養子縁組せずに同居し、しかし母の姓を名乗るという、よく分からないことをしていたし、「婿」「養子」というワードに対しては、「角野卓三じゃねーよ」と返すときのハリセンボン近藤春菜さん並みにテンポよく反応していた。
そういうスタンスが関係があったかどうかは分からないが、旧態依然とした考え方の母方の祖母とはうまが合わず、しかしぶつかり合うでもなく、お互いにさまざまな思いをためて込んでいただろうと思う。
自慢の母親への思いと、どうしても相いれない姑への反発が、「女の子も教養をつけるべきだ」のワンフレーズに込められている気がする。
ハハ祖母(略称)も、別に私に対して「女に学問は必要ない」と言ったわけではないのだが、少なくとも自分の娘(1940(昭和15)年生まれ)の大学進学には待ったをかけていた。
これは金銭的な問題の方が大きかったとは思うけれど、このときは「女が大学まで行く必要はない」という言葉を使って反対したらしい。
年齢的に中卒も珍しくない時代だったので、高校に行かせてもらっただけでもありがたい――と母は考えようとしたが、親友が大学まで進んでなりたい職に就き、結婚後は別荘を持つほどの生活をしているという様子を見るのは、少し堪えるものはあったのかもしれない。
父はハハ祖母の目を盗むように(とまで意識したかはともかく)、よく自分の母親の思い出話をしてくれた。
私はきょうだいの中で最も父に似ていると言われていたせいか、「隔世遺伝なのかなあ。お前はふとした表情が母さんそっくりなんだ」とよく言われた。
勉強ができて毒舌(というより性悪)の兄にたたかれ、気ままでちょっとおバカの弟に突き上げられ…という、中間管理職ならぬ“報われない中間子”の私は、父にそんなふうに言われるのはうれしかった。
何しろ「美人で頭がよくて」と父自身が評価している祖母に似ていると言われるのだから、悪い気はしない。
私が本を読んだり、勉強を率先してやっているのを見ると、「いいぞ。“目指せ東大”だな」などといって、からかい気味に応援してくれた。
気難しい性格で社交性も乏しく、幼い頃からコミュ障ぎみだったせいか、私の幼少期は、それなりに面倒で辛いこともあったはずなのだが、幼い頃を思い出すと、何とも幸せな気持ちになるのは、父のこういう接し方のおかげかもしれない。
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