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プロローグ 久美のこと
しおりを挟む1979年春のこと。久美は小学5年生だった。
夏生まれのため、新学期から誕生日までの3カ月は10歳である。
どちらかというと少数派の姓なので、個人の特定を避けるため、そこは省略したいと思う。
ちなみに面倒くさい子供だと思われるのが嫌で――というわけでもないが、「小学校5年生っていうと、11歳とか12歳だっけ?」みたいに大ざっぱに年齢計算をするオトナを見ると内心イライラするが、口には出さない。
例えば子供がいないとか、いてもすっかり成長してしまい、もう学校に縁がないから疎くなっているだけとか、人それぞれ事情があるのだから、多少の誤差はもちろん、大幅な間違いがあっても大目に見てやってほしいところだが、(自分だって小学生だった時代があったのに、そのとき「何歳」だったか思い出せないのかな?)と、子供特有の視野の狭さや傲慢さをもって軽蔑さえしていた。
なぜなら、久美はその手の大人は他人の話、特に子供の話はまともに聞かない傾向があるということを、何となく感じ取っていたからである。
そういう人はなぜ話を聞かないかも知っている。単純に興味がないからだ。
ポーズだけ興味を持って質問してきても、たった数秒のこちらの回答をまるっきり忘れている様子を平気で見せるし、それを恥ずかしいとも思っていないのが分かる――と、少なくとも久美は考えていた。
かといって、自分のむき出しのわがままを受け入れられないからと、「大人は分かってくれない」なんて利いたふうなことを言う自分以外の子供たちのことも、正直好きではなかった。
つまり大人も子供も嫌いで、大人になることにも、子供時代を楽しむことにも消極的な少女ということになるだろうか。
***
学校では国語と算数が得意で、理科と図工が苦手。
好きな食べ物はラムネ菓子、嫌いな食べ物は肉の脂身である。
かわいいもの、美しいもの、面白いものが好きで、歌と器械体操は割と得意である。
とはいえ、「好きなものを好き」と口にできる思い切りのよさに欠けるところがある。
その一方で、嫌いなものや苦手なものを聞くと割と饒舌になる――ただし、「内心」だけだが。
意地悪で偉そうなお兄ちゃん、お兄ちゃんばかり引き立てるお母さん、早寝早起き、家庭科のH先生(いじわる)、クラスのあのこ(チクリ魔)とあの子(マウント女)、ご飯の時間に見るニュース番組(意味が分からない)、「いい天気ねえ」って話しかけてくる、近所の親切なおばさん(どう返事していいか分からない)etc.
メロディーに乗せて、“My Favorite Things”ならぬ“Things I dislike”など歌っても、元気づけられるどころか落ち込む一方だろう。
ところで、図画工作が苦手な理由は、絵や造形が下手というよりも、「絵の道具を片付けるのがめんどう」という理由が大きかったりする。
自分の不器用さや間の悪さのせいで損したりしているなと感じる一方で、どの年頃にあっても、「あなたは個性がある」「将来はきっと美人になる」と、やたらちやほやする大人が何人かいたせいで、自分をフラットに冷静に判断する機会を逃してきた。
このように他責的なところも含め、傍から見ていると、本当にどこにでもいる子供の1人だ。
自分に自信がないくせに、何者かになれる未来を心のどこかで信じてもいた。
これからお話しするのは、そんな少女・久美の物語である。
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