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第56章 アパートの鍵差し上げます A【千弦と聡二 交際編】
隣人【聡二】
しおりを挟む千弦さんに内緒で今のアパートに引っ越してから、2週間ほど経った。
「顔が広そうで口が堅い、そしてあれこれ説教してこなそうな友人・知人」を思い浮かべ、中高のテニス部で一緒だった市村清吾の顔が最後に残った。
彼は英明大の文理学部で芸術コースに進んで絵を描いている。
そして「顔が広そう」と漠然と思っていたら、おあつらえ向きというか、不動産業を営む親戚がいるという。
「英明大の近くに、いい物件がないか探している」と相談したら、冗談まじりに「え?受験し直すの?今さら転学ってできるのか?もう4年だろう?」と言われたので、状況を説明した。
頑張って単位を取り、4年次の登校は最小限にできそうなこと、バイトは家庭教師を掛け持ちしているが、今までの生徒は引き続きリモート指導もできるし、この近所の中高生も親や祖父母のつてで紹介してもらえそうなこと、そして何より、少しでも千弦さんのそばにいたいので、実は結構早い段階で考えていた計画であること。
俺は約束を取り付け、英明大まで清吾を訪ねていった。
今は自分の学校ではないが、慣れ親しんだ広大なキャンパス。
その中で清吾は、「打ち捨てられた、誰も使っていない教室」を自分のアトリエのような顔をして使っていた。
「君は本当に千弦さんにほれ込んでいるんだねえ」
「そうだな――お前がなれなれしく下の名前で呼んでいるのにも、内心腹が立つ程度にはな」
「ああ、ごめん。で、物件のことなんだけど、ここなんてどうだろう?」
清吾が傍らにおいたトートバッグの中から、A4サイズのクリアファイルを取り出した。
中に入った書類には、物件の見取り図や住所、最寄り駅、小中学校の学区などが書いてある。
千弦さんの娘・芽久美が英明中高の後輩ということもあり、近所の公立校がどこなのかは初めて知った。
「へえ――間取りといい家賃といい、ほど良い感じだな」
「人気のあるアパートらしいけど、たまたま空きがあってね。すぐ決められるなら押えられるって」
「そうか。引っ越し自体は来月になるが…」
ということで内覧させてもらい、俺はすぐに契約した。
家賃は今住んでいる分と1カ月重複してしまうが、まあ仕方ない。
◇◇◇
そして、千弦さんが何かと忙しいのをいいことに(会う回数が減ってしまったのは寂しかったが)俺は着々と東京からの移動を完了させた。
ここでの生活も少し慣れてきたし、そろそろネタばらしもいいかもしれないと、意識的に彼女がよく利用するスーパーに、行きそうな時間をねらって買い物にいったりしているが、なかなか会えない。
まあ小細工せずに(しかし何も言わずにこの部屋に連れてきて)事情を話すのが順当かな…と思いつつ、部屋の施錠をしていると、「あのお…」と、若い女に声をかけられた。
「お隣さん、ですよね?」
「え…ああ、205号室の方ですか?」
「はい。あの私、英明大なんですけど…あなたもですか?」
「いや、大学は違いますが…」
年は18、9といったところだろうか。「英明大」とは言ったが、これから入学するのかもしれない。
「私、越してきたばかりでこの辺のこと知らなくて…」
「ああ、そうなんですね」
いつだったか千弦さんが、「そうなんですね」という言い方が生理的に好きになれないと言ったことがあった。
ニュアンスというか雰囲気の問題だが、これを多用する人は、何となく他人の話を聞いていないというか、関心を持たずに聞いているように響くのだそうだ。
言語化が難しいが、人にインタビューする機会も多い人の意見だけに、謎の説得力がある。だから俺にとっては今こそ「使い時」だと思って意識的に言った。
「この近くでスーパーとかってありますか?」
「ああ、それなら北に5分ほど行ったところにありますよ」
俺はそう言い残して、その場を立ち去ろうとしたのだが、「あのっ、場所、わかんなくて…」と言いつつ、あろうことか、俺のシャツを引っ張ってきた。
(やめろ、ずうずうしい&うっとうしい!)
手を振り払いたい気持ちになったが、要するに案内すれば気が済むのだろう。
隣室なのは間違いないようなので、今後の付き合いもある。あまり険悪な関係になるのも得策ではない。
「では、俺もこれから行くので、一緒にどうですか?」
不本意ながらそう言った。
「え、いいんですか?」
とはまた白々しい。こう言ってはあれだが、これはいわゆる逆ナン的な何かだろうか。
俺は全く興味の持てない隣人をスーパーまで連れていくと、「ここです。結構品ぞろえいいですよ。では」と、速足で店内に入った。
せっかくだから千弦さんに何かお土産でもと考えて、中くらいの粒の赤が鮮やかなイチゴを1パック買い、ダッシュで向かった。「あの、一緒に…」等の呼びかけが耳に入ったが、何とか撒けた――と思う。
やれやれ、この分だと「口実を作って部屋を来訪する」までありそうだな。
これはさっさと千弦さんにネタばらしした方がよさそうだ。
かわいらしい子なんだろうが、当然全く興味も持てない。
というより、俺が千弦さん以外の女性に「そういう」興味を持つことはない。
あのくらいの子だったら、俺にこだわらずとも大学で幾らでもいい男が見つかるだろうし、これからも愛想ない隣人ポジションを通せばいい。
そのうち千弦さんが出入りしてくれるようになれば、彼女も察するだろう。
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