ぼくの中の探偵

パプリカ

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きみは休み時間、よく本を読んでいる。
早めに昼食を終えたクラスメイトがグラウンドで遊んでいるときも教室や図書室の机に座り、黙々とページをめくっている。

だからといって、きみが教室で浮くようなことはなかった。暗いとかぼっちなどと言われてバカにされることはなく、どの生徒ともそれなりの関係を築いていた。

きみは優秀だった。テストでは常に学年でもトップクラスで、クラスメイトからも頼りにさせることが多かった。
誰かから難問について質問されれば、なるべくわかりやすく答えるように努力をしていた。その辺りがいじめの対象にはならなかった要因なのかもしれない。

もつひとつの要素を上げるとすれば、恋人の存在が大きかったのかもしれない。
芹沢優愛。それがきみの彼女の名前だ。きみと同い年の中学二年生で、同じ文芸部に所属している。

芹沢優愛はこの辺りでは有名な実業家の娘だった。海外留学で培ったパイプを生かして輸入サプリメントの会社を立ち上げ、ネット通販の隆盛に合わせた戦略で一代で大企業と呼ばれる規模にまで拡大させた。
いまでは自社開発の化粧品や育毛剤などにまて事業を広げている大企業のトップ。

地元で相当な雇用と税収を生み出している芹沢家には誰しもが一目を置き、そこのひとり娘にも同様だった。
校内でも一、二を争う美女とささやかれていた彼女には多くの男子が興味を持っていたが、近づきがたい存在であるのも事実だった。

芹沢優愛は男嫌いで誰とも付き合う気はないらしい、そんな噂も流れていたので、男子のみなが一定の距離を保っていた。きみーー橘海斗という男子を除いては。

きみは芹沢優愛との交際を自慢気にクラスメイトなどに言いふらしたりはしなかったが、ことさら隠す気持ちもなかった。

仲のいい男子から「まさか海斗、おまえ芹沢優愛と付き合ってなんかいないよな」と軽い調子で聞かれたとき、きみは平然と「付き合ってるよ」と答えた。
きみが芹沢優愛と交際を始めたのは一年生の夏休みのことだった。
文芸部の活動のひとつにはリレー小説があり、夏休みの間にみなで長編小説を完成させることになっていた。

テーマはずばり夏休みで、ジャンルはミステリー。出だしはじゃんけんで決められたが、そのあとは書き終えた人が指名することになっていた。

きみは三番手に選ばれ、得意のミステリーだったのでさっさと書き終えると、次に芹沢優愛を指名した。

しかし、彼女はミステリーはむしろ苦手な方で、できれば手伝ってほしいとお願いされた。
本来であればリレー小説では相談は禁止されているが、部活の一活動にそこまで厳密さを求める必要も感じなかった。そこからはトントン拍子に関係が進展し、どちらが告白することもなく付き合うこととなった。

それからおよそ一年が経ち、いまでも二人は恋人のままだった。
それぞれがおすすめの本を紹介するだけのような関係だったが、他の男子からは羨望の眼差しを受けていた。
あれこれと良からぬ質問も受けたが、きみはそのようなことはまだないと答えていた。

今日のこの日、きみは芹沢優愛とともに図書館に寄っていた。放課後のことだった。

このような公共施設なら寄道しても問題はない。図書館は学校の図書室よりも本の揃えがよく、二人でたびたび訪れることがあった。

きみは図書館ではあえてミステリーは借りなかった。芹沢優愛のおすすめするものだけを借りた。
図書館の本は期限がある、汚してはいけないという制約があるので、じっくりと謎の世界に浸りたいきみにとってはそのプレッシャーが邪魔だった。

「芹沢さん、これって短編集だよね。作家の名前は聞いたことないけど、どういう内容なの?」

二人で図書館を出ると、きみはさっそくおすすめの理由を芹沢優愛に聞いた。事前にはなんの説明もされていなかったし、図書館内ではもちろん、自由気ままに会話をすることもできない。

「ジャンル分けは難しいかな。不思議系の話なの。強いて言えばファンタジーだけど、結末が予想できないから、ミステリー好きな橘くんにはちょうどいいかなって思ったんだけど」

きみたちはまだ名字で呼び合う仲だった。一年近く交際をしているとはいっても、まだまだ初々しい関係だった。

「橘くんのこれはやっぱりミステリーなの?」
「うん。ヤングアダルト向けだから、芹沢さんでも読みやすいかなと思って」

図書館では五冊まで借りられるが、きみたちは常に一冊のみだった。ふたりで感想を語り合う時間も余分に取ってあるからだ。

「橘くんのおすすめが難しすぎるんだよ。事件が立て続けに起こるし、怪しい人もたくさん出てくるし。途中でなにがなんたかわからなくなるの」
「それを推理するのが楽しいんだよ。作者との競争みたいなものだから」
「いろいろ読んではみたけど、わたしにはミステリー、やっぱりまだ無理みたい。こういうので慣れてからのほうがいいのかも」
「親子でも趣味が違うんだね」

きみがおじいさんから影響を受けたように、芹沢優愛もまた父親の趣味を引き継いでいた。
芹沢家には本だけを収用するだけの書斎が設けられていて、芹沢優愛は様々なジャンルの本にいつでも接することができたという。そのなかでも充実していたのがミステリー。

芹沢優愛はかつて父親からミステリー作家を目指してしていた時期があると聞いたことがある。

「それはそうだよ。親子で趣味が違うなんてよくあることだし、男親と娘ならなおさらだよ。橘くんだって本が好きになったのはおじいさんの影響なんでしょ」
「まあね」

きみの父親は読書はまったくしないタイプだった。父親の趣味は映画と音楽で、とくに音楽のほうはレコードなどの機器にもこだわりを持っていた。
きみが本を好きになったのはそんな息子に失望した祖父の執念が実ったからかもしれない。

「でも、同性の親がいるのはやっぱり羨ましい。お手伝いさんなんかも話し相手にはなってくれるけど、どこかよそよそしさがあるから、会話も全然楽しくないし」

芹沢優愛には母親はいない。だいぶ前に離婚しているという。まだ彼女が幼い頃だったので離婚の理由を知らないらしいが、いまも彼女の父親は独身で、恋人らしき存在も匂わせることはないと言う。

「新しいお母さん、欲しいと思ってるの?」
「別に再婚には反対してないけど、お父さんはたぶん、しばらくは結婚しないかなと思ってるの」
「どうして?こんな言い方あれだけれど、芹沢さんのお父さんくらいお金持ちなら、相手には困らないと思うけど」
「なんとなく、そう思うの」
「芹沢さんが義務教育を終えるのを待っているのかもね。それまでそういう雰囲気を出さないようにしているのかも」

そう言いながらも、きみは別の可能性を頭に思い浮かべていた。
芹沢優愛の父親が再婚をなぜ躊躇うのか、その気持ちがわかるような気がした。あくまでも想像ではあるし、仮に事実だとしてもここで口にするわけにはいかなかったが。

「本音を言うとね、わたし、むしろお父さんには早く再婚してほしいと思ってるの。そのほうが将来、独り暮らしをしやすいから」
「家を出たいの?」
「うん。高校卒業後にでもこの街から出たいと思ってるの。家にはお手伝いさんがいるから、お父さんひとりでも家事のほうは平気だとは思うんだけれど、寂しさはきっと隠せないだろうから」
「芹沢さんの家は広いよね。ひとりで住むのは怖いくらいかもしれない」

きみはいまだに芹沢家を訪れたことはなかったし、遠くから眺めたこともなかったが、彼女の話を聞いただけでもその広さは想像ができる。使っていない部屋が何室もあり、庭で飼い犬とかけっこができるという。

「でも、そこまでして家を出たいのはどうして?なにかやりたいことでもあるの?」
「とくに夢があるわけじゃなくて、この街をとにかく出たいと思ってるの。地元が嫌いなわけじゃないんだけど、あの家は窮屈な感じがするから」
「窮屈?」
「精神的に、ね。なんだか突然、息苦しさを感じることがあって、家から飛び出したくなることがあるの」
「お母さんがいないからか、不安なんじゃない?」
「そういうのとは違う気がする。もしお母さんのことを求めているなら、あの家を出たいとは思わないはずだし」
「お母さんには会いたくないの?」

きみには以前からひとつの疑問があった。まだ学生であるにもかかわらず、芹沢優愛に母親を恋しく思うような気持ちがないことをだ。
もし母親が彼女を捨てて家を出たというのならまだわかるが、芹沢優愛は離婚の理由そのものを知らない。

「お母さんの記憶って全然ないの。前にも言ったけど離婚はわたしが物心つく前だったし、お父さんや当時から働いているお手伝いさんもあまり話したがらないから」
「なにか嫌なことがあったのかな」
「一度だけお手伝いさんに聞いたことがあるのは、お母さん、わたしを産んだあとに様子がおかしくなったみたいで、それが離婚の原因かもしれない」
「マタニティーブルーとか?」
「かもしれないけど、それだけで離婚というのもおかしい気はする」
「もしかしたら、結婚自体してないのかもね。お父さんが新しい女性を連れてこないのは、ひとりが気楽だからかもしれないよ」

伴侶を作らず、子供だけいればいい、という大人がいるのも確かだ。それは比較的女性に多い発想だが、芹沢家のような裕福な家庭なら、お手伝いさんにすべてを任せることもできる。

「確かにそういう部分はあるかもしれない。お父さんはわたしが誰かと付き合うことにも抵抗がないみたいだし」
「珍しいね、それは」
「今度、彼氏を家に連れてきたらどうだって言われてるくらいなの」
「え?」

芹沢優愛はきみとの交際を父親には明らかにはしていないはずだった。きみがそう頼んでいたからだ。しばらくは二人の関係は黙っていてほしい、そうお願いした。芹沢優愛のほうもそれを了解していたはずだが。

「ごめんなさい。親同士の会話のなかで、わたしたちのことが話題に出たらしいの」

社長で忙しいとはいえ、片親なら他の保護者と接することも比較的多いのかもしれない。

「そっか。別に謝ることはないよ。いつかはそうなるとは思ってたし」

そう言いながらも、きみは緊張を隠せないでいる。借りたばかりの本を落としてしまい、慌てて拾い上げる。

「どうする?今度の休みにでも来てほしいと言ってるんだけど」
「行かないとダメなの?」
「いや?」

きみはいずれは橘家を訪問するつもりではいた。
それはもっと先のことだと思っていたため、気持ちの整理はついていないところがあったが、だからといってかたくなに拒否をするのも不自然が過ぎる。

「芹沢さんが来てほしいなら、うん、別にいいよ」
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