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きみは芹沢冬馬から逃げるようにして去った。どこか目的地があったわけてはなく、とにかく芹沢冬馬から距離を取ろうとした。
気づいたとき、きみはどこかの公園にいた。そこは楠姉妹と出会った公園だった。芹沢優愛の眠る霊園はこの辺りにあり、きみは無意識のうちにここを目指していたようだ。
ベンチに座っていると、かつての日々が思い起こされる。きみは弟の記憶を消すかのように、楠姉妹との交流を思い出していた。
「海斗先輩?」
そんなきみに声をかける人物がいた。顔を上げてみると、目の前に楠優花が立っていた。
「優花、どうしてここに?」
「どうしてって、ここはわたしの近所ですし、妹との思い出があるから、よく訪れるんですけど」
楠優花はそう言ってきみの頬にふれた。
「大丈夫ですか?なんだか顔色が悪いし、すごく汗もかいてますけど」
すべてを吐き出したい衝動にかられた。しかし、それを聞いた彼女の反応を想像すると、やはり喉の奥を言葉が通り抜けることはなかった。
「自分も、優希ちゃんのことを思い出していて」
「まだ、犯人は捕まらないんですよね」
楠優花はきみの隣に腰を下ろした。
「わたし、不思議と犯人に対する怒りはないんですよね。どうしても犯人を見つけ出したいという気持ちがなくて、このまま何もわからなくても構わないかなって」
「どうして?」
「たぶん、わたしもあの日死んだんだと思います」
楠優希が殺されたとき、優花はエッジリンクをしている最中だった。
彼女はその恐怖と苦しみを共有していた。楠優花は一時的に気絶していたが、それ以上の深刻な症状は現れなかった。それでも彼女は精神の同化によって死を体験していたのだ。
「わたしと優希は同じ場所にいる。決して離ればなれにはなっていない。だから、憎しみのような感情は生まれてこないんだと思います」
「それなら、一緒にいまも生きていると考えたほうが良いと思うよ」
「そっか、そうですよね。優希がいまもわたしのなかにいる。そう思ったほうがいいに決まっている」
「これから予定はある?どこかに気晴らしに行きたいんだけれど」
「構いませんよ」
きみがいくら一時の平穏を求めても、それは永遠に続くものではない。家に帰って母親の顔でも見れば、嫌でも自分の血筋を意識してしまう。
「もう、終わったんだ」
「え?」
「もう、お前は消えてもいいんだよ!」
なぜ?
事件はまだ解決していない。きみの知りたいことは、弟をさらった犯人が誰かということだけではない。その犯人の目的、動機は何かということだった。
「だからそれは」
芹沢冬馬はきみの弟が息子であることは認めた。だが、彼をさらった理由については明確にはのべてはいなかった。きみがその場を走り去り、会話を打ち切ったからだ。
「もう、いいんだよ。もう、終わったことなんだ」
いいや、きみは知りたがっている。なぜ芹沢冬馬があのようなことをしたのか、その答えを求めている。実際のところ、きみはもう気づいている。気づいたからこそ、あの場にはいられなくなった。
「弟は帰ってこない。もう帰ってはこないんだよ!」
そう、きみの弟はすでに死んでいる。きみが殺したからだ。
あの日、きみは自宅を出た弟を追いかけ、公園までやってきた。
そこで弟を問い詰めようと思ったからだ。
しかし、弟はきみの姿を見ると取り乱し、まともな会話が成立しない状態となった。
きみは弟を落ち着かせようとその体を抑えようとしたが、それがかえって弟の混乱に拍車をかけたようた。揉み合うような形になり、弟がきみの腕を振り払うようにすると、そのまま体勢を崩してしまった。
なにか変な音がしたと思ったときには、きみの弟は地面に倒れていた。
ベンチの角に血液らしいものがうっすらとついているのがわかり、そこにきみの弟は頭をぶつけてしまったらしかった。
弟はピクリとも動かず、きみは恐怖のあまりそこから逃げ出してしまった。一度は自宅へと帰ろうとしたが、やはり放っておくわけにはいかないと途中で引き返した。
弟の姿はそこにはなかった。きみは何が起きたのかわからなかった。救急車のサイレンはまったく聞こえず、人だかりもできてはいなかった。なのに、弟の姿はそこにはない。
弟が消えた。あの状態で自分で歩けるわけがない。ということはつまり、誰かが弟を連れ去ったに違いない。その第一の容疑者は弟がパパと呼んでいた人物ーー。
それにしてもなぜ、ときみは疑問に思った。
子供が倒れているところを発見したなら、普通は救急車へと連絡をするはず。きみと争うところを陰で見ていたとしたなら、警察に連絡してもおかしくはない。
しかし、数日経ってもきみは容疑者として話を聞かれることはなかった。
きみはその真相を探るためにわたしを生み出した。誰がなんのために弟をさらい、殺害現場を目撃していたのなら、なぜきみを告発しようとはしなかったのか、それがきみの知りたいことだった。
「ぼくが殺したわけじゃ」
そう考えるのが妥当ではないだろうか。
確かにきみは弟の生死を確認したわけではない。しかし、もし弟が生きていたのなら、きみの後に来た人物がその状態を放置するはずもない。
きみのように怖くて逃げるのはわかるが、その誰かは弟を連れ去ってしまった。
これはかなりリスクのある行為で、相当な理由がなければ実行することはない。
小学生の子供が誰かから殺意を抱かれている可能性もかなり低いし、もし意識があったのなら抵抗して騒ぎになってもいたはずだ。きみも本当は自分が弟を殺してしまったのだとわかっている。
パパーーあの公園で弟は本物の父親に会っていて、その身体を運んだのもその人物かもしれないときみは考えるようになった。
動機としては本当の息子と一緒にいたかった、という可能性を思い浮かべた。救急車を呼んでしまえば、きみの弟は結局橘家の子供として最後を迎える。
それが犯人は嫌だったのではないかというものだった。もちろん、これは根拠が薄弱な推論に過ぎない。
では、実際はどうだったのか。犯人ーー芹沢冬馬がきみの弟を自宅へと運んだ理由は。
もっとも単純で、明快な動機がある。いまのきみにならわかるはずだ。そう、それはきみを救うためだった。
「ぼくを、救う?」
芹沢冬馬の行為によってきみは罪に問われることはなくなった。もしあのまま公園に弟の遺体が放置されていたら、さすがにきみもとぼけることはできなかったはずだ。殺意はなかったとしても弟の命を奪ったという負のイメージは一生付きまとい、人生は崩壊していたかもしれない。
芹沢冬馬によって、きみは殺人者という烙印を回避することができたのだ。
「どうして、そんなことを」
きみもまた、彼の息子だったからではないだろうか。
「ぼくも?」
きみの父親はかつて大病を患ったことがある。きみの弟が生まれた時と同じくして。
そのときではないだろうか。きみの母親が芹沢冬馬を頼ったのは。
これから生まれる子はあなたの息子だから、お金を貸してほしい、そうお願いしたのではないのか。もちろん、生まれたあとに検査も行っただろう。
しかし、実際にはきみも不倫の結果生まれた子供だったら。
芹沢冬馬がそう疑っていたとしたら。または確信していたとしたら。彼の行動もよく理解できる。
いや、それ以外にはなかなか思い付かない。
自分が犯罪者になる危険を犯してでもきみを助けたのは息子だから、そう考えるのが妥当ではないだろうか。
きみが弟を殺したとき、芹沢冬馬はそこに過去の自分を見たのかもしれない。暴力で問題を起こした自分を重ねたのかもしれない。
すでに亡くなっている子供よりもきみの将来を優先したのは、父親としてある意味当然なのかもしれない。
「でも、それだと」
そう、きみと芹沢優愛は異母兄妹ということになる。にもかかわらず、芹沢冬馬はきみたちとの交際には反対しなかった。結婚すらもすすめていた。それが彼にとってベストな選択だと思ったのかもしれない。きみを合法的に息子にすることができるのだから。
「そんなの、そんなの」
おかしいと言い切れるのだろうか。芹沢冬馬はきみの命の恩人と言っても過言ではない。
彼の愛情があったからこそ、きみはこうして彼女と他愛ない会話を交わして普通に生活することが許されている。その愛を否定する権利が果たして、きみにはあるのだろうか。
「橘先輩、橘先輩!」
「え?」
「どうしたんですか、さっきから独り言をぶつぶつ言って」
きみは楠優花をじっと見つめ、その体を抱き締め、口づけをした。
突然の出来事に戸惑う優花だったが、きみの力に抗うことはできなかった。
その手が彼女の胸辺りをまさぐり、衣服がはだけるほどに優花が激しく動いたとき、きみはひとつの異変に気づいた。
胸元になにかが見えた。きみは一時の衝動から我を取り戻し、そこをじっと見つめた。青黒い痣があった。
優花は悲鳴を上げた。その声は鋭い刃物のようにきみの心に突き刺さり、いつまでも響いた。
気づいたとき、きみはどこかの公園にいた。そこは楠姉妹と出会った公園だった。芹沢優愛の眠る霊園はこの辺りにあり、きみは無意識のうちにここを目指していたようだ。
ベンチに座っていると、かつての日々が思い起こされる。きみは弟の記憶を消すかのように、楠姉妹との交流を思い出していた。
「海斗先輩?」
そんなきみに声をかける人物がいた。顔を上げてみると、目の前に楠優花が立っていた。
「優花、どうしてここに?」
「どうしてって、ここはわたしの近所ですし、妹との思い出があるから、よく訪れるんですけど」
楠優花はそう言ってきみの頬にふれた。
「大丈夫ですか?なんだか顔色が悪いし、すごく汗もかいてますけど」
すべてを吐き出したい衝動にかられた。しかし、それを聞いた彼女の反応を想像すると、やはり喉の奥を言葉が通り抜けることはなかった。
「自分も、優希ちゃんのことを思い出していて」
「まだ、犯人は捕まらないんですよね」
楠優花はきみの隣に腰を下ろした。
「わたし、不思議と犯人に対する怒りはないんですよね。どうしても犯人を見つけ出したいという気持ちがなくて、このまま何もわからなくても構わないかなって」
「どうして?」
「たぶん、わたしもあの日死んだんだと思います」
楠優希が殺されたとき、優花はエッジリンクをしている最中だった。
彼女はその恐怖と苦しみを共有していた。楠優花は一時的に気絶していたが、それ以上の深刻な症状は現れなかった。それでも彼女は精神の同化によって死を体験していたのだ。
「わたしと優希は同じ場所にいる。決して離ればなれにはなっていない。だから、憎しみのような感情は生まれてこないんだと思います」
「それなら、一緒にいまも生きていると考えたほうが良いと思うよ」
「そっか、そうですよね。優希がいまもわたしのなかにいる。そう思ったほうがいいに決まっている」
「これから予定はある?どこかに気晴らしに行きたいんだけれど」
「構いませんよ」
きみがいくら一時の平穏を求めても、それは永遠に続くものではない。家に帰って母親の顔でも見れば、嫌でも自分の血筋を意識してしまう。
「もう、終わったんだ」
「え?」
「もう、お前は消えてもいいんだよ!」
なぜ?
事件はまだ解決していない。きみの知りたいことは、弟をさらった犯人が誰かということだけではない。その犯人の目的、動機は何かということだった。
「だからそれは」
芹沢冬馬はきみの弟が息子であることは認めた。だが、彼をさらった理由については明確にはのべてはいなかった。きみがその場を走り去り、会話を打ち切ったからだ。
「もう、いいんだよ。もう、終わったことなんだ」
いいや、きみは知りたがっている。なぜ芹沢冬馬があのようなことをしたのか、その答えを求めている。実際のところ、きみはもう気づいている。気づいたからこそ、あの場にはいられなくなった。
「弟は帰ってこない。もう帰ってはこないんだよ!」
そう、きみの弟はすでに死んでいる。きみが殺したからだ。
あの日、きみは自宅を出た弟を追いかけ、公園までやってきた。
そこで弟を問い詰めようと思ったからだ。
しかし、弟はきみの姿を見ると取り乱し、まともな会話が成立しない状態となった。
きみは弟を落ち着かせようとその体を抑えようとしたが、それがかえって弟の混乱に拍車をかけたようた。揉み合うような形になり、弟がきみの腕を振り払うようにすると、そのまま体勢を崩してしまった。
なにか変な音がしたと思ったときには、きみの弟は地面に倒れていた。
ベンチの角に血液らしいものがうっすらとついているのがわかり、そこにきみの弟は頭をぶつけてしまったらしかった。
弟はピクリとも動かず、きみは恐怖のあまりそこから逃げ出してしまった。一度は自宅へと帰ろうとしたが、やはり放っておくわけにはいかないと途中で引き返した。
弟の姿はそこにはなかった。きみは何が起きたのかわからなかった。救急車のサイレンはまったく聞こえず、人だかりもできてはいなかった。なのに、弟の姿はそこにはない。
弟が消えた。あの状態で自分で歩けるわけがない。ということはつまり、誰かが弟を連れ去ったに違いない。その第一の容疑者は弟がパパと呼んでいた人物ーー。
それにしてもなぜ、ときみは疑問に思った。
子供が倒れているところを発見したなら、普通は救急車へと連絡をするはず。きみと争うところを陰で見ていたとしたなら、警察に連絡してもおかしくはない。
しかし、数日経ってもきみは容疑者として話を聞かれることはなかった。
きみはその真相を探るためにわたしを生み出した。誰がなんのために弟をさらい、殺害現場を目撃していたのなら、なぜきみを告発しようとはしなかったのか、それがきみの知りたいことだった。
「ぼくが殺したわけじゃ」
そう考えるのが妥当ではないだろうか。
確かにきみは弟の生死を確認したわけではない。しかし、もし弟が生きていたのなら、きみの後に来た人物がその状態を放置するはずもない。
きみのように怖くて逃げるのはわかるが、その誰かは弟を連れ去ってしまった。
これはかなりリスクのある行為で、相当な理由がなければ実行することはない。
小学生の子供が誰かから殺意を抱かれている可能性もかなり低いし、もし意識があったのなら抵抗して騒ぎになってもいたはずだ。きみも本当は自分が弟を殺してしまったのだとわかっている。
パパーーあの公園で弟は本物の父親に会っていて、その身体を運んだのもその人物かもしれないときみは考えるようになった。
動機としては本当の息子と一緒にいたかった、という可能性を思い浮かべた。救急車を呼んでしまえば、きみの弟は結局橘家の子供として最後を迎える。
それが犯人は嫌だったのではないかというものだった。もちろん、これは根拠が薄弱な推論に過ぎない。
では、実際はどうだったのか。犯人ーー芹沢冬馬がきみの弟を自宅へと運んだ理由は。
もっとも単純で、明快な動機がある。いまのきみにならわかるはずだ。そう、それはきみを救うためだった。
「ぼくを、救う?」
芹沢冬馬の行為によってきみは罪に問われることはなくなった。もしあのまま公園に弟の遺体が放置されていたら、さすがにきみもとぼけることはできなかったはずだ。殺意はなかったとしても弟の命を奪ったという負のイメージは一生付きまとい、人生は崩壊していたかもしれない。
芹沢冬馬によって、きみは殺人者という烙印を回避することができたのだ。
「どうして、そんなことを」
きみもまた、彼の息子だったからではないだろうか。
「ぼくも?」
きみの父親はかつて大病を患ったことがある。きみの弟が生まれた時と同じくして。
そのときではないだろうか。きみの母親が芹沢冬馬を頼ったのは。
これから生まれる子はあなたの息子だから、お金を貸してほしい、そうお願いしたのではないのか。もちろん、生まれたあとに検査も行っただろう。
しかし、実際にはきみも不倫の結果生まれた子供だったら。
芹沢冬馬がそう疑っていたとしたら。または確信していたとしたら。彼の行動もよく理解できる。
いや、それ以外にはなかなか思い付かない。
自分が犯罪者になる危険を犯してでもきみを助けたのは息子だから、そう考えるのが妥当ではないだろうか。
きみが弟を殺したとき、芹沢冬馬はそこに過去の自分を見たのかもしれない。暴力で問題を起こした自分を重ねたのかもしれない。
すでに亡くなっている子供よりもきみの将来を優先したのは、父親としてある意味当然なのかもしれない。
「でも、それだと」
そう、きみと芹沢優愛は異母兄妹ということになる。にもかかわらず、芹沢冬馬はきみたちとの交際には反対しなかった。結婚すらもすすめていた。それが彼にとってベストな選択だと思ったのかもしれない。きみを合法的に息子にすることができるのだから。
「そんなの、そんなの」
おかしいと言い切れるのだろうか。芹沢冬馬はきみの命の恩人と言っても過言ではない。
彼の愛情があったからこそ、きみはこうして彼女と他愛ない会話を交わして普通に生活することが許されている。その愛を否定する権利が果たして、きみにはあるのだろうか。
「橘先輩、橘先輩!」
「え?」
「どうしたんですか、さっきから独り言をぶつぶつ言って」
きみは楠優花をじっと見つめ、その体を抱き締め、口づけをした。
突然の出来事に戸惑う優花だったが、きみの力に抗うことはできなかった。
その手が彼女の胸辺りをまさぐり、衣服がはだけるほどに優花が激しく動いたとき、きみはひとつの異変に気づいた。
胸元になにかが見えた。きみは一時の衝動から我を取り戻し、そこをじっと見つめた。青黒い痣があった。
優花は悲鳴を上げた。その声は鋭い刃物のようにきみの心に突き刺さり、いつまでも響いた。
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