"marry me"には主語がない

北へ。

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私って誰、あなたって誰

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 珍しく大晦日はは終始やや不機嫌そうだった。新年を迎えてもおざなりのあけましておめでとうの挨拶を交わしただけで、さっさと寝てしまった。
 寝れば機嫌が直ると思った僕が浅はかで、晶は正月は余計思いつめたような表情だった。
「何かあった?」
 女性である以上、晶も日によって色々変化があるだろう。僕は思い切って、けれど極力さりげなく聞いてみた。
「ああ、うん。ごめんね。ちょっと考え事なんだけど…」
 そう言うと彼女は飲んでいた紅茶のマグをなで始めた。
「いつまでも預かっておくわけにもいかないよね。…プロポーズしてくれたこと」
 僕の鼓動がどくんと高鳴った。いつかはくることだったが、新年を迎えた今日がその日だとは思わなかった。
「ずっと考えてはいたのよ。でもさ、勇気が出なくて。あ、ゴメン、勇気が出ないって関係を終わらせようとかそういうことじゃないの。ただ、なんていうか、説明できないことを上手に説明しようとして分かってもらえる気がしなくて勇気がでなかったというのかな…」
 彼女の声がやや詰まり気味になった。僕は何も言わずにとりあえず彼女をじっと見るしかなかった。
「ねえ修也くん、私ってどんな人?」
 この間レストランでぽつりと言った言葉だった。あの時実は聞こえていた僕は答えを用意していた。
「晶は晶だよ。自由なところも、ちょっと変わっているところも、頑固なところも、全部ひっくるめて晶だ」
 僕なりに考えていた答えは、彼女にとっても予測された答えだったらしい。そうね、と一言置いてから晶は言葉を続けた。
「分かるわ。一般化って、時として大事だけれど、人間関係ではあまり重要ではないわよね。男女の関係ならなおさら。でもね、だからこそ私からしたら思うの。一般論でなく具体論として、修也くんが持っている私という像と私自身って本当に合っているのかなって。修也くんの中にいる私って、変に美化されてないかなってちょっと怖いの」
 僕は不意をつかれた。晶のこと、よく知っているつもりでいた。趣味も合うし、会話のリズムも、テンポも、沈黙の取り方さえも合っている。そのことを褒められていたから、僕はもう彼女のことを知った気でいたのだ。そして僕はいつしか自分の中に「晶」という宝石を作って、それを自分の心の中で研磨していった。本当の晶とのすり合わせはしていただろうかと自問してみると、反省しか浮かばなかった。
「ごめんね。責めてるわけじゃないの。私自身を『女性』でもなく『彼女』でもなく、私個人として見てくれていることはよく知っているわ。でも、時々心配になるの。私って本当に修也くんが望んでいる人なのかなって」
 肯定の言葉をチープに発せられるほど僕は馬鹿じゃない。いつの間にか「晶」という宝石を通して晶を見ていた自分に軽々しく発言して良い言葉ではないのだ。
「年末ね、忙しかったから、市村さんと一緒にいる機会が多かったじゃない。以前は肩ぐるしいと思っていた人だけれど、わがままよね、最近一緒にいて楽なの。もちろん線引きができないほど馬鹿じゃないわ。私にはあなたがいるし、市村さんには奥さんがいる。でも、市村さんを喜ばせるのって簡単なの。タバコをやめたり、職場にちょっと植物を飾ってみたり。つまり市村さんは私のことを『女性』として見ているの。だから、『女性』としての行動を取れば、市村さんは喜んでくれる」
 彼女が一口だけ紅茶を飲んだ。普段は聞こえない秒針の音がやけに大きかった。
「ねえ、修也くんは私に何を望んでいるのかな。好き勝手やっているように見えて、いつの間にか修也くんが喜ぶことを探して行動している自分がいるの。もし結婚したとして、それを続けるのってどうなのかな。『晶さまの宝石』は壊れてないのかな?それを修也くんは望むのかな。いつか修也くんの存在が私を変えていたことに気づいたら、修也くんは後悔しちゃわないかな?」
 今までの晶は僕に好かれようとしていた晶で、晶自身ではなかったとしたら、そう考えたら、ぼくは分からなくなった。本当の晶を好きになりたい、そうずっと思ってきた。けれど、自分がどんどん好きになっていたのは本当の晶ではなかったのかもしれない。でも、好きな人に好かれたくて行動するのなんて、当たり前じゃないか。そんなことは僕だってしてきた。晶に好かれるために晶に奨められた本を読んだり映画を見たりしたし、会話だって晶のリズムを大事にしてきた。
 でも、それが本当に一生続くんだろうか。いつかそれが出来なくなった時、僕らはどちらかが、あるいはお互いが失望し、自分が関わったことを、相手を変えてしまったことを悩むんじゃないか。そう言われてみると、晶の言う「まだ早い」はその通りな気がした。
「何度も言うけどごめんなさいね、新年早々こんな話をして。でも、何か区切りが欲しかったの。昨日年内に言おうと思っていたけれど、言えなかった。ごめんね」
 彼女は泣き出しそうなのをぐっとこらえていた。
「いいよ。確かに、プロポーズは僕の勇み足だったかもしれない。もう一度考えてみるよ、僕自身も」
 プロポーズから二か月以上、ぼうっと答えを預けておくには長すぎた時間だったけれど、僕自身ももう一度考え直すことにした。晶のこと、僕のこと、恋愛のこと、結婚のこと。
 聡い晶に比べて、僕は何も考えていなさすぎたのだと痛感した正月だった。
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