未完成な僕たちの鼓動の色

水飴さらさ

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第一章

優しいクラスメイト

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 3の5は由人のクラスだ。教室前方の入り口ドアのそばが、背の低い由人の固定席なっている。
 クラスで一番に教室に入る由人は、まずカーテンと窓を開けてまわり、五月の爽やかな風を教室に入れる。
 それから箒とちりとりを出して少しだけ掃除をする。掃除が終わると、席につきみんなが来るまで静かに予習をする。
 気が弱く運動神経も良くないけれど、勉強は努力すれば身につく。
 成績が上がれば、家族も喜んでくれるので好きだった。
 そして自分の様に極度のあがり症は、社会で上手く生き抜くのは難しと悟っている。
 取り柄のない自分を可愛がってくれる家族に報いるためにも、出来るだけ勉強をして選択肢を広げる必要があると由人は考えていた。
 予習をしていると次々にクラスメイト達が教室に入って来る。
 由人と仲の良い、内川早恵子(うちかわさえこ)も席に鞄を置いてこちらへ寄って来る。
 座っている椅子の半分をあけると、早恵子も静かにその椅子に座る。
「おはよう」
 肩まで伸びている髪を一つに結んだ眼鏡女子の早恵子は、のんびりとした声で由人に声をかけた。
 早恵子は漫画とアニメが好きで、他にも幅広い知識があるマルチな眼鏡女子だ。チェック柄が好きで文房具や小物は多種多様なチェック柄でまとめている。成績も良い優等生で、二年生で同じクラスになった時に早恵子から声をかけ、あがり症の由人が落ち着くのを黙って待ってくれた。おっとりしていて思慮深く、心強い友達の一人だ。
 早恵子の次は、八田雛子(はったひなこ)と笹原誉(ささはらほまれ)が自分の机に鞄を置き、由人と早恵子のところに集まって来る。
 雛子と誉も漫画とアニメが好きで他のことにはあまり興味がない。
 雛子はこの四人の中で一番背が高く痩せ型で猫背、切れ長の目でショートボブ、長い前髪を耳にかけている。由人と早恵子と誉には心を開いているが、他のクラスメイトとはあまり口をきこうとしない。
 誉は少しくせ毛の髪をおさげで結び、気が効いてころころとよく笑う可愛らしい子だが、由人のように自己主張のない性格で一年、二年と友達はいたが、いつのまにか自らパシリになってしまう、そんな子だった。
 誉は一年生の時、由人と同じクラスで、まだ中学生気分が抜けない男子が、教室の端で目立たない様にじっとしいる由人を揶揄った時、そばにいた。
 真っ赤になって黙って耐えている由人をどうにか助けたかった。でも自分も揶揄われるのでは、女子に構われても迷惑かもしれない、など色々考えているうちに担任が間に入り、結局何も話せないまま二年生になり、クラスも違ってしまった。
 その後廊下などで、仲良くなった由人と早恵子を見るたびにホッとしながらどこか羨ましかった。
 三年生になって同じクラスになった時、誉は勇気を出して二人に声をかけた。
 雛子と早恵子は幼馴染で、誉は目つきの悪い雛子が、始め苦手だったが話をしてみると好きな漫画と好きなキャラクターがかぶっていて、壁が厚い雛子は、仲良くなるとお節介なくらい優しかった。
 八時二十分にもなれば、もう殆どのクラスメイトが登校して、それぞれ居心地のいい場所で賑やかに話している。
 3の5は、はっきりとグループが分かれてはいるが、上下関係などのないクラスだった。
 由人は仲良しの三人の会話を聞きながら、廊下へと耳をすます。
 このクラスの雰囲気がいいことには、大きな要因が存在していた。
 始業のベルが鳴る十分ほど前になると、廊下の離れた方から明るいよく通る声が徐々に近づいてくる。
「おはよう! おはよう、おはようー!」
 声の主は三人で、大久保克文(おおくぼかつふみ)、丸太朋和(まるたともかず)、そして一番声の通る久場大也(くばひろや)
 朝の部活動は禁止されているが、サッカー部の三人は自主練と称してドリブル練習をしてから教室にやってくる。
 首にタオルを引っかけ、スクールジャージのまま少し早歩きで、すれ違う人に挨拶をされれば笑顔を向け応える。
 太陽の様に晴れやかで爽やなこの三人は、学校内ですこぶる人気者だ。
 クラスは違うのでそれぞれの教室に分かれていく。
 久場大也は、由人と同じ3の5で、席は後方なのだがいつもわざわざ前方のドアから入ってくる。
 由人の席の目の前のドアだ。久場はドア枠の上に左手を引っかける。
「おはよー、みんなー」まず、よく通る大きな声でクラス中に挨拶をする。
 その長身に見合った、スポーツで鍛えてられた男らしい体躯の久場は、日に焼けた褐色の肌をしている。
 しっかりとした首筋に、面長で端正な輪郭。髪は黒く少し長めのツーブロック。
 通った鼻筋に、優しい目が印象的で、口角の上がった唇は大きくてふっくらとしている。
 久場はドア枠から左手を離す流れのまま、由人の髪をクシャクシャと撫でる。
「伊勢川くんもおはよう」と言いながら前を過ぎて行く。
 同じクラスになってから毎日だ。
 三年生になって久場に初めて頭を撫でられた日は、変な声が出てしまい近くにいたクラスメイトに笑われた。
 久場は由人を揶揄っているのかと雛子が憤慨して警戒したが、毎日するその仕草も由人にかける声も邪心は感じられない。
 早恵子の考察ではどうやら久場のルーティンの一つに入ってしまったのではないかということになった。
「おはよう……」 
 毎日の事なので過剰に驚く事はもうなくなったけれど、由人はいまだに体が固まってしまい久場に聞こえない小さな声で返事をするのが精一杯だった。
 席に着いた久場は、通学鞄から筆記用具などを取り出しながら周りのクラスメイトとにこやかに話をしている。
 誰にでも分け隔てない態度で明るく堂々として活発な久場は、教師達の信頼も厚く、クラスの揺るぎない支柱になっていた。
 始業のベルが鳴り、みんなが席に戻っていき、由人も前を向いて椅子に座り直す。
 そしてこっそりと久場に撫でられた髪を触って頬を赤らめる。
 この高校を選んでよかった。三年生の最後に久場くんと同じクラスになれてよかった。
 今日も挨拶してくれてありがとう。久場くん……今日もかっこいいなぁ。
 コンプレックスの多い由人にとって、欠点のない久場は、眩しい憧れの存在だった。
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