捨てられたので、私はもうあなたたちに用はありません

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灰の行進

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 翌朝、王都の空は群青に澄みきっていた。
 鐘は鳴らない。合図は必要ない。
 それでも人々は、まるで見えない約束を覚えているかのように、静かに通りへ集まっていた。

 男も女も、貴族も平民も、子どもも老人も――
 それぞれの手には、布と水と灰袋。
 誰も命じられてはいない。
 それでも、街全体が“ひとつの呼吸”のように動き出していた。

 セレスティアは再生院の玄関に立ち、手袋をはめた。
 今日、自らの“象徴”を人々とともに片付ける。
 信仰ではなく、清掃として。
 それは女神の行進ではなく、人間の手による労働の行進だった。



 最初に歩き出したのは、子どもたちだった。
 壊れた神殿の破片を拾い集め、布で拭う。
 女神像の頬だった白い破片が、灰色の塵になって指に残る。

 老人がそれを見て、頷いた。
「粉にして土に戻そう」
 子どもたちは頷き、壺の中へとその灰を集める。

 その光景を見て、誰かが言った。
「燃やすのではないのか?」
 セレスティアは微笑み、答えた。
「燃やすと、風に任せてしまう。
 けれど、砕けば――土に還せる」

 沈黙のまま、人々は動く。
 言葉がなくても、伝わる。
 一度、世界が“沈黙の歌”を知ったから。



 午前の光の中、王宮から女王が現れた。
 豪奢なドレスではなく、白い作業衣。
 手には水桶。
 枢機卿がその後ろで布を持ち、商人総代が小さな鏡を抱えている。

 彼らは群衆の列に混ざり、石壁の紋章を洗い落とす。
 金箔の王冠の下に刻まれていた「沈黙の女神」の文字が、
 水と布と灰で、ゆっくりと消えていく。

 女王が息を整えながら問う。
「……これは、罰なのかしら?」
 セレスティアは隣で布を絞り、微笑んだ。
「いいえ、確認です。
 この街が、もう私なしで立てるかどうかの」

 女王は笑った。
「なら、これは“再生の洗礼”ね」



 午後、神殿前広場では、破片を砕く作業が始まっていた。
 手鎚で石を叩く音が、リズムのように街に響く。
 それは怒りではなく、感謝の拍動。

 リオネルが灰を集める壺を運んでくる。
「セラ、灰はどこへ?」
「川へ。
 この灰は“沈黙を語った石”の遺灰。
 水に溶かして、声を運ばせましょう」

 リオネルは少し笑う。
「神殿が沈黙し、街が歌う……
 まるであの日の反転だ」
「そう。
 あの日、神は沈黙した。
 今日、人がそれを選んだ。
 ――だから、違うの」

 彼女は灰壺を抱え、川辺へ向かう。
 群衆が後に続く。
 それは行進ではなく、帰還だった。


 橋の上で、セレスティアは立ち止まる。
 川の水が春の光を反射し、きらめいている。
 彼女は壺の蓋を開け、静かに灰を流した。

 風がそれを運び、灰は水面に白い花のように散る。
 人々も次々と灰を流す。
 街の像、碑、聖画、ラベル、看板――
 すべての断片が、今やただの粉になり、
 一つの流れに還っていく。

 子どもが尋ねた。
「先生、灰はどこへ行くの?」
 セレスティアは膝をついて答えた。
「川は海へ。海は空へ。
 そして雨になって、また土に戻る。
 ――だから、終わりじゃないの」

 子どもが笑い、壺を傾けた。
 川面が光を返す。
 その光は、まるで沈黙の女神の涙のように、柔らかく揺れた。



 夕暮れ。
 灰の作業を終えた人々が広場へ戻る。
 街全体に漂うのは、疲労ではなく、安堵の静けさ。
 セレスティアは中央に立ち、周囲を見渡した。
 神殿の壁は白く、碑は空白。
 そこには何も描かれていない。

「これでいいの?」
 リオネルの問いに、セレスティアは答えた。
「ええ。
 “無”は怖い。けれど、“無”こそが始まりだから。」

 その時、誰かが口笛を吹いた。
 最初は震える音だった。
 だがすぐに、別の音が重なり、また別の音が重なった。
 笛、拍手、足音――
 それは音楽にならない、人間の音の群れ。

 セレスティアは微笑んだ。
「ね、リオネル。
 もう、教会も王も、私も――いらないでしょう?」
 リオネルは笑いながら頷いた。
「あなたがいなくても、街は歌う」

 セレスティアは空を見上げた。
 灰を流した川から立ちのぼる蒸気が、
 夕陽を受けて金に染まる。
 それはまるで、祈りの残光。

 彼女はゆっくりと呟いた。

「これが、私たちの“再生の祈り”――
破壊ではなく、還す祈り。」
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