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第10話 畑に立つ、公爵令嬢
しおりを挟むあの嵐の夜から数日。
雨雲が去った空は驚くほど青く、空気には新しい命の香りが漂っていました。
村の畑も泥に沈みきっていたはずなのに――
「まぁ……芽が、出ていますわ」
倒れたはずのハーブの茎が、泥の中から力強く立ち上がっていました。
折れた枝も、しおれた葉も、それぞれが陽に向かって伸びている。
まるで、“負けてなるものか”と主張しているよう。
「……あなたたちも、図太いですわね」
クラリッサ・ヴァレンティーヌ、辺境にて初の収穫日。
かつては王都の社交界でしか掌を動かさなかった手が、
今は泥にまみれ、命をすくい上げる手になっていました。
「嬢ちゃん、こっちも採れたぞ!」
マリオが笑顔で籠を掲げる。
アデラおばあちゃんは腰をさすりながら、にやりと笑った。
「ほんま、奇跡みたいなもんじゃ。嵐のあとに、こんだけ生き残るとは」
「奇跡ではありませんの」
クラリッサは泥をぬぐいながら微笑んだ。
「これは“生きる力”ですわ。
――泣かず、諦めず、根を張った者たちの勝利ですの」
子どもたちが収穫したハーブを抱え、笑いながら駆け回る。
その光景に、村中の人々が笑い出した。
「嬢ちゃんの言う通りじゃ。生きとるだけで勝ちじゃの」
「ははっ、そうだ! 嬢ちゃん、今日くらいは王様の気分だな!」
「おほほ、それは光栄ですわ。
ではこの“初恋草”を王都に負けぬほどの香りにいたしましょう!」
夕方。
収穫したハーブを小屋の前に並べ、クラリッサはひとつひとつ手で乾かしていった。
風が吹くたびに、甘い香りが村じゅうに広がる。
「この香り……村が笑っているようですわね」
指先に泥が残っている。
けれど、それを見ても嫌悪はなかった。
むしろ――誇らしかった。
ふと視界がにじむ。
涙。だが、悲しみのものではない。
「これが……わたくしの“努力の味”ですのね」
笑いながら涙を拭うクラリッサを、アデラが静かに見つめていた。
「嬢ちゃん……あんた、もう立派な村の一員じゃよ」
「まぁ……では、この村の名誉貴族にでもしてくださいます?」
「ふふ、変なこと言うて」
そのやり取りを聞いて、みんなが笑い声を上げた。
それは風よりも軽やかで、どこか懐かしい音だった。
その夜、小屋に戻ると、扉の隙間に一通の封書が差し込まれていた。
見覚えのある、王都の紋章。
クラリッサの心臓が一瞬止まる。
「……まさか」
手紙を開くと、丁寧な筆致でこう書かれていた。
> “公爵令嬢クラリッサ・ヴァレンティーヌ殿。
> 貴女の婚約破棄を撤回し、再び王家の庇護下に戻すことを決定した。
> 王都に戻り、王太子殿下のもとへ参上されたし。”
指先が震える。
かつて憧れ、そして失った世界からの“招待状”。
だが今の彼女は、あの頃の令嬢ではなかった。
「……皮肉なものですわね。
ようやくわたくしが“本当に立った”今になって、王都が呼ぶなんて」
ハーブティーのカップを見つめ、そっと微笑む。
「けれど――逃げるのは、もうやめますの」
その瞳は、夜の灯りに負けないほど強く輝いていた。
“図太く生きる”という誓いが、彼女を次の舞台へと導いていく。
翌朝。
村の空気は穏やかで、クラリッサは畑の真ん中に立っていた。
扇子を開き、泥にまみれた足元を見下ろす。
「ここが、わたくしの“最初の王国”ですの」
初恋草の香りが風に舞い、空へ昇っていく。
彼女は笑い、そして小さく呟いた。
「――次は、王都に香らせて差し上げますわ」
その声は、陽光の中で確かに響いていた。
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