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第12話 香り立つ取引
しおりを挟む翌朝。
商会《ロウズ・トレーディング》の使者が再びやってきた。
馬車の扉が開き、光沢ある靴を履いた青年が優雅に一礼する。
「初めまして、クラリッサ様。王都本店より参りました、商会副代表ルーク・ロウズです」
「まぁ、ご丁寧に。……辺境の土の香り、気に入りましたかしら?」
ルークは笑みを浮かべ、懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
「我々は、あなたの“ハーブティー”を正式に買い取りたいのです。
辺境発の香りとして王都で販売すれば、間違いなく人気を博すでしょう」
「ふむ……それは光栄ですわ」
クラリッサは扇子を開き、目を細めた。
だが――男の言葉の“香り”には、どこか不純な混じりけがある。
「ですが……この“買い取り”という言葉。
それは、すなわちわたくしの手を離れるということではなくて?」
ルークの笑顔がわずかに固まった。
「もちろん、製法は保持していただいて結構です。ただ、販売権はすべて当商会に――」
「つまり、“わたくしの名前”だけを利用するわけですのね」
彼女の声が柔らかく、けれど刃のように鋭く響いた。
クラリッサは立ち上がり、窓辺の棚から乾燥ハーブを取り出した。
「香りの世界は、ただの商いではありませんの。
貴族社会において“香り”は“記憶”であり、“支配”の象徴ですわ」
ルークは戸惑いながらも笑みを保つ。
「……なるほど。さすがは元・公爵令嬢。
ですが辺境では“香り”だけで生きていけません」
「それは違いますわ。
この香りは――“わたくしが立ち上がった証”ですの。
金のために売り渡すくらいなら、泥に混ぜてでも畑に返しますわ」
彼女の瞳がまっすぐ青年を射抜く。
その気迫に、商人の顔から余裕が消えた。
ルークは観念したように頭を下げた。
「……交渉とは、これほど香ばしいものなのですね」
「ええ、嗅覚を鍛えておかないと“誠実の香り”と“金の臭い”を嗅ぎ分けられませんもの」
「ですが、わたくしも商いを拒むつもりはありませんの」
クラリッサは扇子を閉じ、穏やかに微笑んだ。
「王都の貴族たちがこの香りを求めるのなら――
彼らが“わたくしの名前”に跪くような契約をいたしましょう」
「跪く、ですか?」
「ええ。“クラリッサ・ヴァレンティーヌ・ブレンド”としてのみ流通を許可します。
ただの茶ではなく、“気品そのもの”を売るのですわ」
その発想に、ルークは息を呑んだ。
「……まるで王都の社交界を再現するようだ」
「ご安心なさい。わたくし、王都で生きるよりも“商戦の舞踏会”の方が得意ですの」
ルークは苦笑し、契約書に新しい条項を書き加える。
「販売権の共有、商会の名義に令嬢の署名を入れる。……これでいかがでしょう」
クラリッサは軽く頷き、ペンを取る。
「“優雅に生きる”とは、“自分の価値を自ら定めること”ですの。
どうぞ、その香りを忘れませんように」
契約が終わると、ルークは丁寧に礼をして帰っていった。
残された小屋には、インクの匂いとハーブの香りが混じり合う。
アデラおばあちゃんがぽつりと呟く。
「嬢ちゃん……商売相手もやりこめるとはのう」
「わたくし、社交界で“断罪の微笑み”と呼ばれておりましたの」
「それ、誉め言葉なんかのぉ?」
「もちろん、わたくし的には最高の勲章ですわ」
笑いながら、クラリッサは窓の外を見つめる。
風が吹き、乾かしたハーブの香りが王都の方向へ流れていく。
その風の先で、かつての婚約者――ユージン・アシュフォードが、
その香りに気づき、立ち止まることなど、まだ誰も知らなかった。
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