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第14話 仮面の舞踏会
しおりを挟むその封書は、夜明け前に届いた。
王都の紋章が押された深紅の封蝋――そして、見慣れた筆跡。
> “公爵令嬢クラリッサ・ヴァレンティーヌ殿。
> 貴女の創り出した香り『ヴァレンティーヌ・ブレンド』の功績を讃え、
> 王都主催の夜会にて表彰を行う。”
文末に記された名前。
ユージン・アシュフォード。
クラリッサは指先で封をなぞり、ゆっくりと笑った。
「……あら。これは“表彰”ではなく、“誘い”ですわね」
マリオが不安げに眉をひそめる。
「行くのか? 王都に」
「当然ですわ。わたくしを追放した社交界――
その中心で、“気品の香り”を焚きしめて差し上げますの」
アデラおばあちゃんが呆れながらも微笑んだ。
「気をつけるんじゃよ。あんたが本気出すと、貴族どもが鼻を曲げる」
「おほほ、それこそが目的ですわ」
王都の舞踏会――煌びやかな音楽と光が溢れる空間。
ドレスの裾が揺れ、シャンデリアの光が反射して星の海のように輝く。
その中に、ひときわ静かな香りが流れた。
「……この香り、何?」
「“ヴァレンティーヌ・ブレンド”ですって。今日の主賓よ」
人々のざわめきの中、扉が開く。
白と薔薇色のドレスを纏い、扇子を優雅に開いたクラリッサがゆっくりと入場した。
仮面で半分顔を隠しても、その気品は隠せない。
「ごきげんよう、皆さま。
紅茶がなくとも優雅に生きる女――クラリッサ・ヴァレンティーヌですわ」
ざわめき、囁き、そして――拍手。
王都の誰もが、追放された令嬢の凱旋を信じられずにいた。
「クラリッサ……」
背後から聞こえる、懐かしくも苦い声。
振り向けば、そこに立っていたのはユージン。
黒の礼服に身を包み、かつてよりも少し陰を帯びた瞳。
「久しぶりだな。……いや、君に“久しぶり”と言う資格があるのかどうか」
「どうかしら? わたくしに“語りかける資格”は、もうお持ちではなくて?」
言葉の刃が交錯する。
彼の胸元に漂うのは、クラリッサのブレンドの香り。
「この香り……君の作品なんだな」
「ええ。わたくしがこの手で育て、煮出し、世界に広げた香りですの。
あなたの婚約破棄が――原料でしたけれど」
ユージンの表情が一瞬凍る。
「クラリッサ、あの夜のことを――」
「おやめなさいませ。
“後悔の香り”は、わたくしのドレスには似合いませんの」
そのやりとりを、少し離れた場所で見つめる女の瞳があった。
――セシリア・バートラム。
微笑の奥に、燃えるような嫉妬が潜んでいる。
「……ユージン様。やはり、まだあの女を……」
彼女は扇子の中で拳を握りしめた。
舞踏会の終盤、クラリッサは壇上に立った。
ルーク商会の代表が彼女のブレンドを讃え、会場にティーポットが配られる。
香りが満ちる――穏やかで、しかしどこか張り詰めた空気。
「“香り”とは、記憶ですの。
わたくしにとっては、苦しみも裏切りも、すべて香りの源。
皆さまもどうぞ――ご自分の“過去”の香りを味わってみてくださいませ」
その言葉と同時に、場のあちこちで息を呑む音。
ユージンはカップを口に近づけ、目を閉じる。
そこに蘇るのは、かつて庭園で交わした“最後の微笑”。
香りが――記憶を呼び覚ます。
彼の目が見開かれる。
「……この香りは、あのとき……!」
壇上のクラリッサが微笑む。
その瞳は静かに、しかし冷ややかに光っていた。
「ええ、殿下。これは“あなたの罪”の香りでもありますの」
仮面越しに交わる視線。
その瞬間、香りは甘く、そして――危険に変わった。
会場のどこかで、誰かが小声で呟く。
「……始まったな。“ヴァレンティーヌの夜”だ」
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