追放された悪役令嬢は貧乏になっても図太く生きますわ!

ワールド

文字の大きさ
52 / 60

エリスの祈り

しおりを挟む
南方教都《セレヴァナ》。
 白大理石の尖塔と金色の鐘楼が並ぶ、祈りの都。
 朝の鐘が鳴るたびに、香の煙が街を包み、人々は胸の前で十字を切る。

 その静謐な空気の中に、ひときわ柔らかな香りが漂っていた。
 それは“聖油”ではなく――“花の香”。
 ミルラと初恋草を調合した、癒しの香り。

 香りの主は、若き修道女エリス・アシュフォード。
 王国香り学院の卒業生であり、かつての貴族ユージンの妹。
 彼女は今、聖堂の片隅で人々の傷を癒やしていた。

 「修道女様、この香り……心が少し軽くなります。」
 「ふふ……それはよかったです。風に感謝を。」

 エリスは微笑み、傷ついた兵士の腕にそっと聖油を塗った。
 彼女が創ったのは、“痛みを忘れさせる香り”ではない。
 痛みを受け入れる勇気を与える香り。

 だが、その評判はやがて教会上層部の耳に届く。
 「聖典にない香油を用いるとは、異端の兆しだ。」
 「“香り”は人心を惑わす。祈りに混ぜるなど、神への侮辱。」

 エリスはその言葉に静かに頭を下げたが、心の奥では震えていた。
 ――兄が恐れていた“秩序の影”が、ここにもある。

 その夜。
 エリスは修道院の小さな礼拝堂に一人で残っていた。
 月光がステンドグラスを照らし、香の煙がゆらゆらと揺れる。

 机の上には、クラリッサから届いた封書があった。
 “王立香り学院”の紋章とともに、懐かしい香りが滲んでいる。

 震える手で封を切る。

 > 「エリス。祈りとは、誰かに許されるためのものではなく、
 >   誰かを想う“香り”のようなものですわ。
 >   もしあなたの祈りが心から生まれるなら、それは必ず届きますの。」

 読み進めるうちに、エリスの頬を一筋の涙が伝った。
 「……クラリッサ様……私、間違っていたのかもしれません。
  祈りは“正しく”あることじゃなくて、“真っ直ぐ”であること――。」

 翌朝。
 教会の前で、多くの人々が列を作っていた。
 病を抱える者、心を失った者、家族を失った者。

 彼女は決意したように香炉を取り出し、手のひらに数滴の香油を落とす。
 「これは聖油ではありません。
  でも、あなたの心が風に触れるよう、祈らせてください。」

 煙が立ち上り、淡い香りが人々を包み込む。
 その中で、泣いていた子どもが笑い、
 老女が「息が楽になった」と呟いた。

 ――それは“奇跡”と呼ぶにはあまりに静かで、
 けれど確かに、魂を震わせる光景だった。

 その晩、枢機卿はエリスを呼び出した。
 「修道女エリス。お前の香りが“祈りに勝った”と民が噂している。どう釈明する?」
 「勝ったのではありませんわ。」
 エリスはまっすぐな瞳で答える。
 「香りは祈りの“かたち”ですの。
  目に見えぬ想いを、誰かに届けるための風。
  それが神の御心に背くというなら――
  わたくしは、その風を信じて罰を受けます。」

 沈黙。
 やがて、老枢機卿はゆっくりと立ち上がり、香炉に手を伸ばした。
 「……この香り、懐かしい。かつて私が若い頃、戦場で嗅いだ香だ。」
 「それは、ヴァレンティーヌ家の初恋草です。」
 「クラリッサの香りか……。あの娘は、神より風を信じた女だった。」

 老枢機卿は微笑んだ。
 「行け、修道女エリス。お前の祈りが正しいかどうか、風が決める。」

 夜の礼拝堂に戻り、エリスは静かに香を焚いた。
 その香りは、もはや恐れの香ではなく――赦しの香りだった。

 「兄様……クラリッサ様……私、ようやく分かりました。
  祈りとは、風に残す想い。
  香りは、それを人の心へ運ぶ翼ですのね。」

 外では、夜風が鐘楼を揺らす。
 鐘の音と共に、花の香が街中へ広がっていく。

 その夜、セレヴァナの人々は初めて“祈りの香り”を感じたという。
 そして翌朝、教会の門に貼られた布告が一枚。

 > 『香りによる祈祷を、正式な儀式として認める』

 ――風が、また一つ、壁を越えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの
恋愛
王国の第一王子クレイスから、衆人環視の中 で婚約破棄を言い渡されたローゼン侯爵令嬢ノエル。

ワンチャンあるかな、って転生先で推しにアタックしてるのがこちらの令嬢です

山口三
恋愛
恋愛ゲームの世界に転生した主人公。中世異世界のアカデミーを中心に繰り広げられるゲームだが、大好きな推しを目の前にして、ついつい欲が出てしまう。「私が転生したキャラは主人公じゃなくて、たたのモブ悪役。どうせ攻略対象の相手にはフラれて婚約破棄されるんだから・・・」 ひょんな事からクラスメイトのアロイスと協力して、主人公は推し様と、アロイスはゲームの主人公である聖女様との相思相愛を目指すが・・・。

『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora
恋愛
『時代遅れの飾り人形』――。 そう罵られ、公衆の面前でエリート婚約者に婚約を破棄された子爵令嬢セラフィナ。家からも見放され、全てを失った彼女には、しかし誰にも知られていない秘密の顔があった。 それは、世界の常識すら書き換える、禁断の魔導技術《エーテル織演算》を操る天才技術者としての顔。 淑女の仮面を捨て、一人の職人として再起を誓った彼女の前に現れたのは、革新派を率いる『冷徹公爵』セバスチャン。彼は、誰もが気づかなかった彼女の才能にいち早く価値を見出し、その最大の理解者となる。 古いしがらみが支配する王都で、二人は小さなアトリエから、やがて王国の流行と常識を覆す壮大な革命を巻き起こしていく。 知性と技術だけを武器に、彼女を奈落に突き落とした者たちへ、最も華麗で痛快な復讐を果たすことはできるのか。 これは、絶望の淵から這い上がった天才令嬢が、運命のパートナーと共に自らの手で輝かしい未来を掴む、愛と革命の物語。

『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」 王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。 しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!? 「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!) 怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。

悪役令嬢、追放先の貧乏診療所をおばあちゃんの知恵で立て直したら大聖女にジョブチェン?! 〜『医者の嫁』ライフ満喫計画がまったく進捗しない件〜

華梨ふらわー
恋愛
第二王子との婚約を破棄されてしまった主人公・グレイス。しかし婚約破棄された瞬間、自分が乙女ゲーム『どきどきプリンセスッ!2』の世界に悪役令嬢として転生したことに気付く。婚約破棄に怒り狂った父親に絶縁され、貧乏診療所の医師との結婚させられることに。 日本では主婦のヒエラルキーにおいて上位に位置する『医者の嫁』。意外に悪くない追放先……と思いきや、貧乏すぎて患者より先に診療所が倒れそう。現代医学の知識でチートするのが王道だが、前世も現世でも医療知識は皆無。仕方ないので前世、大好きだったおばあちゃんが教えてくれた知恵で診療所を立て直す!次第に周囲から尊敬され、悪役令嬢から大聖女として崇められるように。 しかし婚約者の医者はなぜか結婚を頑なに拒む。診療所は立て直せそうですが、『医者の嫁』ハッピーセレブライフ計画は全く進捗しないんですが…。 続編『悪役令嬢、モフモフ温泉をおばあちゃんの知恵で立て直したら王妃にジョブチェン?! 〜やっぱり『医者の嫁』ライフ満喫計画がまったく進捗しない件~』を6月15日から連載スタートしました。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/500576978/161276574 完結しているのですが、【キースのメモ】を追記しております。 おばあちゃんの知恵やレシピをまとめたものになります。 合わせてお楽しみいただければと思います。

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった俺

島風
ファンタジー
ブラック企業で過労死した男がいた。しかし、彼は転生し、ある貴族の侯爵令嬢として再び生を受けた。そして、成長につれて前世の記憶を取り戻した。俺様、クリスティーナ・ケーニスマルク公爵令嬢七歳。あれ? 何かおかしくないか? そう、俺様は性別がおかしかった。そして、王子様の婚約者に決まり、ここが前世ではやっていた乙女ゲームの世界であることがわかった。 自分が悪役令嬢になってしまっている。主人公がハッピーエンドになると死刑になり、バットエンドになるとやっぱり死刑・・・・・・あれ、そもそも俺様、男と結婚するの嫌なんだけど!! 破滅エンド以前に、結婚したくない!!! これは素晴らしい男性と結ばれるの事をひたすら回避しようとして・・・ドツボにハマっていく物語である。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

処理中です...