72 / 74
3日目の世界(10)
しおりを挟む
「電気のスイッチはここね。フロアの奥は、俺たちのシマの近くにあるドアのところ。複合機の壁のところにあるから」
梅先は入口を入ってすぐの壁に手を伸ばし照明をつけた。総務と応接室、社長室といった開発のエリアとは逆側の蛍光灯が光り出す。
ふ、ふつうだ。いたって普通に会社に入れましたよ……。
私的異常事態の発生に、変な緊張感をともなって会社の入口をまたいだが、なんの抵抗も反応もない。
おじゃまします……。
半分疑心暗鬼にとりつかれ、びくびくしながら数歩進むが全くなんの問題もない。なにかを感じるといえばいまは空調がとまっているせいか、多少濁ってよどんだ空気ぐらいなものだった。もちろんちらりと見た時計、ツールにもなにも反応はなく、刻々とアナログな秒針がときを刻んでいく。
梅先を見れば、総務兼受付で手書きで氏名の書かれた紙の勤務カードを取り大きなデジタル時計のついた打刻機に差し込んだ。ヤニで黄ばんだそれは年季が入っている。ガチャンと渋い音を立てて時刻をボール紙に打ち付けた。梅先はそれをもとのカードホルダーに戻す。
ふつう……梅先さん、とってもふつうに出勤してる。
いったいどういうことなんだろう。やっぱり社内内部侵入説?それともどこかの調査員さん?
梅先の通常運転に多少安堵したナルはならって勤務カードに打刻したが、罫線が引かれた欄から印字がはみ出ていた。見れば梅先の打刻も曲がっている。このご時世にしかもシステム会社(一応)でなんともアナログな勤怠管理は、打刻機の経年劣化による印字ズレなどたいした問題ではないらしい。
この中途半端な印字、気になる……直したい……これじゃこの時間が今日なのか昨日なのかわからないじゃないですか。ちょうど日付と日付の間の線の上に時刻がのってます……。
しかし異世界から来た調査員(一応)には大問題だった。
「鳴海さん、こっち側の電気ここだから」
勤怠カードを見つめるナルに、向こうから梅先の声がきこえる。見れば、複合機近くの壁に手を伸ばして照明をつけていた。
き、気にしちゃダメだ。ダメだ。ダメだ。軽くならないといけないんだった!
梅先の呼び声と、週末に科戸に言われたことを思い出しはっと我に返る。慌ててカードを戻して梅先のもとへと向かう。
軽く。軽く…でも、気になる……軽くって難しい。
適度に適当、気軽な対応スキルを身に付けるよう科戸に言われたものの、その気軽さ習得は相当に悩ませるものだった。
「電気、有難うございます」
「場所、大丈夫だよね」
「はい」
梅先は鞄を机の上に置き、上着を脱いでいる。
「よくよく考えたらコーヒーの淹れ方とか教えてもらってないよね?」
「はい」
「じゃ、鬼切さん来る前に俺、一緒にやりながら教えるね」
「お願いします」
「鳴海さんもジャケット脱いだほうがいいかもしれないよ。給湯室の水道、コツがあるから」
暖房の入らないひんやりとしたフロアで梅先が上着を脱いだのは、水道を気にしているらしい。
「?」
よくわからないがとりあえず上着は脱ぎ、しわにならないよう椅子の背にかけた。
「!!!」
あ、危な……また、この世界にない変な音出しちゃうとこでした……。
もう数センチ、そしてコンマ数秒、シンクから体を離すのが遅れていたら……それを考えると恐ろしいほどの水しぶきがシンクから跳ね上がり、周囲には水溜りが出来始めている。
「大丈夫?ぬれなかった?」
慌てて梅先が蛇口を閉める。
「ね、この蛇口、ほんと気をつけてね。最初は全然水が出ないんだけど、ちょっと気を許してあけるととんでもない量が出てくるから」
そう言って梅先はそろりそろりと、まるで爆発物解体の第一歩のような回し方で水を出すと大きなピッチャー、2リットルは入るポリプロピレンの手付き容器に水を溜めていく。
「だ、大丈夫です」
見れば薄っすらとスカートやブラウスに水はねのあとはあるものの、被害は小さい。
良かった……着替え持って来てないですし、僕、乾かせないし。科戸さんだったら瞬間的に乾かせるんだろうけど。お洗濯だってその気になったら脱水も乾燥も出来ちゃうんだから。でも乾燥だったら長官の方がふかふかかなあ……うーん、でも僕、あの一生懸命働いてくれる洗濯乾燥機(ドラム式)さんが大好きですけどね。僕と同じで魔法も使えないのに毎日頑張ってくれてますから。
最上位の能力を有し数多の世界で名のある両名が聞けば、能力を(むしろ自分たちの存在を)なんだと思っていやがると目くじらを立てつつも、洗濯物ふわふわ合戦を開始しかねない。そして迷惑なほどの能力の無駄遣いの挙句、結局軍配はこの世界のドラム式洗濯乾燥機に上げられ両名あえなく玉砕。振り上げたこぶし、巻き起こった烈火、烈風が着地点を見出せないまま世界に大混乱を及ぼしかねない思考、もっとも思考の持ち主はまったくその影響作用を認識せずは、キュっと素早く閉められた蛇口の音で終了した
「水を出すときは、慎重かつゆっくりと水道管を流れる水の勢いを感じながら。そして止めるときは可能な限り素早く、これがコツね」
至極真面目な顔で梅先は説明しナルも肝に銘じたように頷いた。
給湯室を出るときに地の底のほうから水道管を伝ってなにかの笑い声が聞こえたが、梅先には聞こえてないよう、ナルも気付かない振りをした。
ほんと、危なかった。やっぱりここ、暇で退屈、ちょっと人間にいたずらしちゃえ、みたいなかたいらっしゃる……気付かれなかったかな……水にびっくりしてこの世にない音とか出しちゃったらまずいです。トイレも給湯室も気を付けなきゃ。
梅先は入口を入ってすぐの壁に手を伸ばし照明をつけた。総務と応接室、社長室といった開発のエリアとは逆側の蛍光灯が光り出す。
ふ、ふつうだ。いたって普通に会社に入れましたよ……。
私的異常事態の発生に、変な緊張感をともなって会社の入口をまたいだが、なんの抵抗も反応もない。
おじゃまします……。
半分疑心暗鬼にとりつかれ、びくびくしながら数歩進むが全くなんの問題もない。なにかを感じるといえばいまは空調がとまっているせいか、多少濁ってよどんだ空気ぐらいなものだった。もちろんちらりと見た時計、ツールにもなにも反応はなく、刻々とアナログな秒針がときを刻んでいく。
梅先を見れば、総務兼受付で手書きで氏名の書かれた紙の勤務カードを取り大きなデジタル時計のついた打刻機に差し込んだ。ヤニで黄ばんだそれは年季が入っている。ガチャンと渋い音を立てて時刻をボール紙に打ち付けた。梅先はそれをもとのカードホルダーに戻す。
ふつう……梅先さん、とってもふつうに出勤してる。
いったいどういうことなんだろう。やっぱり社内内部侵入説?それともどこかの調査員さん?
梅先の通常運転に多少安堵したナルはならって勤務カードに打刻したが、罫線が引かれた欄から印字がはみ出ていた。見れば梅先の打刻も曲がっている。このご時世にしかもシステム会社(一応)でなんともアナログな勤怠管理は、打刻機の経年劣化による印字ズレなどたいした問題ではないらしい。
この中途半端な印字、気になる……直したい……これじゃこの時間が今日なのか昨日なのかわからないじゃないですか。ちょうど日付と日付の間の線の上に時刻がのってます……。
しかし異世界から来た調査員(一応)には大問題だった。
「鳴海さん、こっち側の電気ここだから」
勤怠カードを見つめるナルに、向こうから梅先の声がきこえる。見れば、複合機近くの壁に手を伸ばして照明をつけていた。
き、気にしちゃダメだ。ダメだ。ダメだ。軽くならないといけないんだった!
梅先の呼び声と、週末に科戸に言われたことを思い出しはっと我に返る。慌ててカードを戻して梅先のもとへと向かう。
軽く。軽く…でも、気になる……軽くって難しい。
適度に適当、気軽な対応スキルを身に付けるよう科戸に言われたものの、その気軽さ習得は相当に悩ませるものだった。
「電気、有難うございます」
「場所、大丈夫だよね」
「はい」
梅先は鞄を机の上に置き、上着を脱いでいる。
「よくよく考えたらコーヒーの淹れ方とか教えてもらってないよね?」
「はい」
「じゃ、鬼切さん来る前に俺、一緒にやりながら教えるね」
「お願いします」
「鳴海さんもジャケット脱いだほうがいいかもしれないよ。給湯室の水道、コツがあるから」
暖房の入らないひんやりとしたフロアで梅先が上着を脱いだのは、水道を気にしているらしい。
「?」
よくわからないがとりあえず上着は脱ぎ、しわにならないよう椅子の背にかけた。
「!!!」
あ、危な……また、この世界にない変な音出しちゃうとこでした……。
もう数センチ、そしてコンマ数秒、シンクから体を離すのが遅れていたら……それを考えると恐ろしいほどの水しぶきがシンクから跳ね上がり、周囲には水溜りが出来始めている。
「大丈夫?ぬれなかった?」
慌てて梅先が蛇口を閉める。
「ね、この蛇口、ほんと気をつけてね。最初は全然水が出ないんだけど、ちょっと気を許してあけるととんでもない量が出てくるから」
そう言って梅先はそろりそろりと、まるで爆発物解体の第一歩のような回し方で水を出すと大きなピッチャー、2リットルは入るポリプロピレンの手付き容器に水を溜めていく。
「だ、大丈夫です」
見れば薄っすらとスカートやブラウスに水はねのあとはあるものの、被害は小さい。
良かった……着替え持って来てないですし、僕、乾かせないし。科戸さんだったら瞬間的に乾かせるんだろうけど。お洗濯だってその気になったら脱水も乾燥も出来ちゃうんだから。でも乾燥だったら長官の方がふかふかかなあ……うーん、でも僕、あの一生懸命働いてくれる洗濯乾燥機(ドラム式)さんが大好きですけどね。僕と同じで魔法も使えないのに毎日頑張ってくれてますから。
最上位の能力を有し数多の世界で名のある両名が聞けば、能力を(むしろ自分たちの存在を)なんだと思っていやがると目くじらを立てつつも、洗濯物ふわふわ合戦を開始しかねない。そして迷惑なほどの能力の無駄遣いの挙句、結局軍配はこの世界のドラム式洗濯乾燥機に上げられ両名あえなく玉砕。振り上げたこぶし、巻き起こった烈火、烈風が着地点を見出せないまま世界に大混乱を及ぼしかねない思考、もっとも思考の持ち主はまったくその影響作用を認識せずは、キュっと素早く閉められた蛇口の音で終了した
「水を出すときは、慎重かつゆっくりと水道管を流れる水の勢いを感じながら。そして止めるときは可能な限り素早く、これがコツね」
至極真面目な顔で梅先は説明しナルも肝に銘じたように頷いた。
給湯室を出るときに地の底のほうから水道管を伝ってなにかの笑い声が聞こえたが、梅先には聞こえてないよう、ナルも気付かない振りをした。
ほんと、危なかった。やっぱりここ、暇で退屈、ちょっと人間にいたずらしちゃえ、みたいなかたいらっしゃる……気付かれなかったかな……水にびっくりしてこの世にない音とか出しちゃったらまずいです。トイレも給湯室も気を付けなきゃ。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
皆に優しい幸崎さんは、今日も「じゃない方」の私に優しい
99
ライト文芸
奥手で引っ込み思案な新入社員 × 教育係のエリート社員
佐倉美和(23)は、新入社員研修時に元読者モデルの同期・橘さくらと比較され、「じゃない方の佐倉」という不名誉なあだ名をつけられてしまい、以来人付き合いが消極的になってしまっている。
そんな彼女の教育係で営業部のエリート・幸崎優吾(28)は「皆に平等に優しい人格者」としてもっぱらな評判。
美和にも当然優しく接してくれているのだが、「それが逆に申し訳なくて辛い」と思ってしまう。
ある日、美和は学生時代からの友人で同期の城山雪の誘いでデパートのコスメ売り場に出かけ、美容部員の手によって別人のように変身する。
少しだけ自分に自信を持てたことで、美和と幸崎との間で、新しい関係が始まろうとしていた・・・
素敵な表紙はミカスケ様のフリーイラストをお借りしています。
http://misoko.net/
他サイト様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる