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3日目の世界(11)
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使い古したコーヒーサーバーを前に、梅先は先程の大型ピッチャーをサーバーが置かれている棚の狭いスペースに辛うじて置き、腰を落として下の扉を開いてごそごそと何かを取り出していた。
「コーヒー豆とコーヒーフィルターはここに入っているから取り出してね」
右手に豆の入った小袋、左手に大型の業務用紙フィルターを持った梅先は立ち上がり、神妙な顔つきのナルに、まずは豆の袋を渡した。白い豆の袋には、オフィスコーヒー会社のロゴと社名が印字され、そしてただ、”ブレンド”とだけ明記されていた。
ブレンド……何がブレンドされているんだろう? そう言えば……技術省に出向くことがあったら、出される飲食物には手を付けるな。特に”ブレンド”と言われたら絶対に断われ。と言う情報省では有名な話があったりしますけど、この世界の巷にあふれているブレンドってすごく受け入れられている名称ですよね。いったい何が、どのような状態で配分されているのか、一切の表示がなくただブレンド、とだけ記載されているのに、誰もそれを疑わないなんて。
辺鄙な世界って言うけど、危険レベルの低い安全な世界でもあるのかも。ブレンド……とても大雑把で手放しな適当さがありながらすごい自信を感じます。
「ブレンド……」僕が疑問と感心を織り交ぜた音で呟いてみたその一言に、梅先さんは「あ、鳴海さん、もしかしてコーヒー好き? 豆にこだわりあったりするのかな」
こだわり、ですか? それは僕の絶対に譲れない信条、絶対領域のことですか? そんなだいそれたこと……ヨリナシの僕にあるわけないです↘↘↘ 僕は世界の全てを受け入れるしかないんです凹凹
「こだわりなんてそんな私のようなヨリ……」
瞬時に凹みかけたナルの心中は当たり前に梅先に伝わるわけもなく、梅先は凹みと同時ににぎられた豆の袋を引っ張った。思わず握ってしまったコーヒー豆の袋が引かれる感触に慌てて我に返る。
「より、より、よりごのみといいますかっ 新人がえり好みなんてとんでもない!」
「新人だからってそんなに恐縮する必要ないよ、ね」
握られた豆の袋の意味など知るよしもない梅先は、さらりとした笑顔とともに入社してからずっと、小動物のようにおどおどしている後輩に声をかけた。
無理もない、初日は会社に誰もいない、遭遇した社員第1号はこともあろうに、八武、そして紫野、彼女にしてみれば先輩の逃亡、そして紫野の逃亡の原因から新人教育はおろか電話が取れるというその1点だけで、出先から電話で教育終了と言い放った鬼切の宣言と、そこからの急転直下プロジェクトへの投入。詐欺紛いな会社紹介、マイリクを見てやってきた新入社員、しかも女子、梅先には部長命令とは言えその詐欺に加担してしまったという悔悟と、それにしても、もう新人をしかも女子(自分でもしつこいとは思いつつ、重要事項である)を逃してはならないという使命感がせめぎあっていた。
ごめんね、鳴海さん。もう2年が経ってしまった……これ以上逃がすことはできないんだ……。
梅先の笑顔の裏を全く気付くわけもなく、ナルは素直に『ああ、梅先さん、なんて優しい人間なんでしょう。僕、頑張りますから』明後日の方向で復活していた。
別世界、別次元の存在が、互いに全く相手の心中を完璧なまでに見誤っていたが、それぞれの任務に対するベクトルはなんとなく同じような方向を向いており、梅先の「ね」に対してナルは「はい」と応え、二人はコーヒーを淹れる作業へと戻った。
梅先は、ナルから豆の袋を受け取り、なんでこんなところにペン立て? とナルがいぶかしむより早く砂糖と粉状のミルクが入ったポッドの横に並んだペン立てから何本かのボールペンやら割り箸やらをさけて鋏を取り、手早く封を切ると、一気にコーヒーフィルターに挽かれた豆を入れサーバーにセットし「電源はこれ」と、スイッチを入れると、サーバー上部の蓋をあけて、ピッチャーの水を注いだ。「ここもはねるから、気を付けてね」と忘れずに一言を水とともに加える。ナルは先程の給湯室での笑い声を思い出し、ここにもどなたか潜んでいるのかと、わずかに身を引いた。そんなナルを見て、ナルの心配とは当たり前に別次元で梅先は苦笑する。
「本当に、そんな恐縮、と言うか恐がらなくて大丈夫だからね」
恐縮です、梅先さん。僕は入社したその日から恐くて縮み上がっています……1日朝の未知との遭遇といい、そして黒い獣。今朝だって、時間の素を持つ方たちの能力の片鱗、予知みたいな既視感にちょっと浮かれてみたものの、その後、梅先さんがおっしゃられる階下の物置、あの倉庫にいらっしゃった蘇葉さんから頂いた鍵は使う間も無くドアは僕の顔面にめりこんで、更にこの地の底に潜んでいるらしいどなたかの笑い声……恐いです。色々と。でも、僕、頑張ります! 長官、陛下、見ていて下さいね!
「はい! お気遣い有難うございます! 頑張ります」
「うん、一緒に頑張ろう」
「はい!」
世界と次元を超えて、小さな協定が生まれた瞬間だった。
「コーヒー豆とコーヒーフィルターはここに入っているから取り出してね」
右手に豆の入った小袋、左手に大型の業務用紙フィルターを持った梅先は立ち上がり、神妙な顔つきのナルに、まずは豆の袋を渡した。白い豆の袋には、オフィスコーヒー会社のロゴと社名が印字され、そしてただ、”ブレンド”とだけ明記されていた。
ブレンド……何がブレンドされているんだろう? そう言えば……技術省に出向くことがあったら、出される飲食物には手を付けるな。特に”ブレンド”と言われたら絶対に断われ。と言う情報省では有名な話があったりしますけど、この世界の巷にあふれているブレンドってすごく受け入れられている名称ですよね。いったい何が、どのような状態で配分されているのか、一切の表示がなくただブレンド、とだけ記載されているのに、誰もそれを疑わないなんて。
辺鄙な世界って言うけど、危険レベルの低い安全な世界でもあるのかも。ブレンド……とても大雑把で手放しな適当さがありながらすごい自信を感じます。
「ブレンド……」僕が疑問と感心を織り交ぜた音で呟いてみたその一言に、梅先さんは「あ、鳴海さん、もしかしてコーヒー好き? 豆にこだわりあったりするのかな」
こだわり、ですか? それは僕の絶対に譲れない信条、絶対領域のことですか? そんなだいそれたこと……ヨリナシの僕にあるわけないです↘↘↘ 僕は世界の全てを受け入れるしかないんです凹凹
「こだわりなんてそんな私のようなヨリ……」
瞬時に凹みかけたナルの心中は当たり前に梅先に伝わるわけもなく、梅先は凹みと同時ににぎられた豆の袋を引っ張った。思わず握ってしまったコーヒー豆の袋が引かれる感触に慌てて我に返る。
「より、より、よりごのみといいますかっ 新人がえり好みなんてとんでもない!」
「新人だからってそんなに恐縮する必要ないよ、ね」
握られた豆の袋の意味など知るよしもない梅先は、さらりとした笑顔とともに入社してからずっと、小動物のようにおどおどしている後輩に声をかけた。
無理もない、初日は会社に誰もいない、遭遇した社員第1号はこともあろうに、八武、そして紫野、彼女にしてみれば先輩の逃亡、そして紫野の逃亡の原因から新人教育はおろか電話が取れるというその1点だけで、出先から電話で教育終了と言い放った鬼切の宣言と、そこからの急転直下プロジェクトへの投入。詐欺紛いな会社紹介、マイリクを見てやってきた新入社員、しかも女子、梅先には部長命令とは言えその詐欺に加担してしまったという悔悟と、それにしても、もう新人をしかも女子(自分でもしつこいとは思いつつ、重要事項である)を逃してはならないという使命感がせめぎあっていた。
ごめんね、鳴海さん。もう2年が経ってしまった……これ以上逃がすことはできないんだ……。
梅先の笑顔の裏を全く気付くわけもなく、ナルは素直に『ああ、梅先さん、なんて優しい人間なんでしょう。僕、頑張りますから』明後日の方向で復活していた。
別世界、別次元の存在が、互いに全く相手の心中を完璧なまでに見誤っていたが、それぞれの任務に対するベクトルはなんとなく同じような方向を向いており、梅先の「ね」に対してナルは「はい」と応え、二人はコーヒーを淹れる作業へと戻った。
梅先は、ナルから豆の袋を受け取り、なんでこんなところにペン立て? とナルがいぶかしむより早く砂糖と粉状のミルクが入ったポッドの横に並んだペン立てから何本かのボールペンやら割り箸やらをさけて鋏を取り、手早く封を切ると、一気にコーヒーフィルターに挽かれた豆を入れサーバーにセットし「電源はこれ」と、スイッチを入れると、サーバー上部の蓋をあけて、ピッチャーの水を注いだ。「ここもはねるから、気を付けてね」と忘れずに一言を水とともに加える。ナルは先程の給湯室での笑い声を思い出し、ここにもどなたか潜んでいるのかと、わずかに身を引いた。そんなナルを見て、ナルの心配とは当たり前に別次元で梅先は苦笑する。
「本当に、そんな恐縮、と言うか恐がらなくて大丈夫だからね」
恐縮です、梅先さん。僕は入社したその日から恐くて縮み上がっています……1日朝の未知との遭遇といい、そして黒い獣。今朝だって、時間の素を持つ方たちの能力の片鱗、予知みたいな既視感にちょっと浮かれてみたものの、その後、梅先さんがおっしゃられる階下の物置、あの倉庫にいらっしゃった蘇葉さんから頂いた鍵は使う間も無くドアは僕の顔面にめりこんで、更にこの地の底に潜んでいるらしいどなたかの笑い声……恐いです。色々と。でも、僕、頑張ります! 長官、陛下、見ていて下さいね!
「はい! お気遣い有難うございます! 頑張ります」
「うん、一緒に頑張ろう」
「はい!」
世界と次元を超えて、小さな協定が生まれた瞬間だった。
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