雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

39

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 クラブのにぎにぎしい光のダンスフロアに、最近のヒットチャートからリミックスされたダンスチューンが流れる。音楽、人の声、物音。無秩序に音が交じり合う騒々しさを気にすることなく男はグラスを傾けながら鼻歌を歌っていた。その男の隣に座った客がズブロッカのソーダ割りをバーテンに頼んだ。
「久し振りだな、タケシ。良く分かったな」
 曲の最後をハミングしていた男は、隣を見ずに声をかけた。
「耳の調子は相変わらずさ」
 タケシ、と呼ばれた男の答えにグラスを持つ手を止めた男は口の端を持ち上げて笑った。
「お前のその曲、終わりができたのか?」
「ああ。なかなかいいエンディングだろう。ある男の終幕エンドのメロディってやつだ」
「ある男? なんだお前、他人に編曲させたのか」
 バーテンがカウンターに置いたグラスをタケシは口に運んだ。
「お前も知っている銀髪の老人シルバーグレイだよ。俺たちに手を加える時も眺める時も、あの男、気付けば何か口ずさんでいただろう? あいつが最期に俺によこしたのがこの曲のラストさ。悪くなかったんでいただいた」
 あの時。自分が現れる前にそんなやりとりがあったとは。タケシはまた一口酒を飲む。隣の男は同じもの、と言ってタリスカーを注文した。
「……なあ。あの男、殺したよな」
「どうした? 記憶に問題でも出ているのか?」
「いや」
「あいつの頭が粉々に吹き飛ぶのをお前も目の前で見ていただろう?」
「ああ」
 二人の男は、それぞれ正面にぞろりとならぶ酒のボトルやグラスを眺めながら独り言のように話しをつづける。
「……あいつの音。あいつが口ずさんでいた曲を俺は今でもときどき聴くんだ。聴くたびに、殺らなきゃ、あの音を消さなきゃって気になる。あの悪魔の音を」
「おまえ大丈夫か? 幻聴でも現れてるんじゃないか」
「幻聴じゃない。目の前で、ステージや裏手で、ギタリストの男が弾くんだよ。今流れているこの曲もそいつのだ」
 男はダンスフロアに意識を向けた。リミックスされてはいるが、たしかにこの国に来てから街中で何度か聴いたことのある曲だった。繁華街のでかいモニタでこの曲をバックにバンドのプロモーション映像か何かが流れていたのも覚えている。なんというバンドだったか。そうだ。Darkside of the moonダークサイドオブザムーン と言ったか。月の裏側からやってきたという謳い文句のバンド。楽曲も演奏も悪くはないがふざけた連中だと思った。
「……」
「そいつは仕事の客で悪いやつじゃない。普段はなんとも思わん。仕事の付き合いで誘われれば酒を飲みにいったりもする。だけどそいつが時折奏でる音を聴くと、あの頃が蘇る……」
「生きてる人間なら問題ない。わざわざリスクを犯して消す必要もないだろう。それよりタケシ。こんなところにいつまでもいないで、お前も俺たちと来い」
「俺はようやくこの国に帰ってこれたんだ。二度と踏むことはないと思っていた。それに俺は今の生活が気に入っている」
「追われる身でもか? やつらは諦めはしない。捕まれば最期だぞ。この世界のどこにも俺たちの居場所なんてない。だがな。これから俺たちはつくるんだ。俺たちが安らげる場所を。この世界をぶち壊して」
 タケシが空になったグラスをカウンターに置くと氷が音を立てたが、その音はクラブの喧騒に掻き消され、タケシと隣の男の耳にしか届かなかった。
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