雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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 失敗した。何だってあのタイミングで……落ちるんだ!
 リハーサルでギタリストと確認した立ち居地と本番で火柱が吹き上げるタイミングの時間差を生じさせる計画だった。ステージに興奮したミュージシャンががうっかり指示を間違えて起こるパイロプロテクスの事故は、不幸だが有り得る事故だ。確かに、うっかりだの失念などという原因はあのギタリストには似合わないかもしれないが、上り調子の彼らがハメを外して不幸にも事故にあったと、周囲は簡単に宣伝するだろう。リハーサルの後、フィナーレを仕切る主催者側のスタッフが最終確認でサインをもらいにきたフローでは数秒違わず計画通りだった。最終確認前に計画を仕込むことが出来るのは自分だけで、その後も他人にそれを気付かせる隙は与えていない。それにきなのに。火炎につつまれるはずのギタリストはその瞬間、ステージ上から消えた。
 メイン・ステージから離れた野外スタッフ用のモニタではその様子は引きで遠めにしか映っておらず瞬間的な映像だったが画面の端のその光景を見たタケシは唖然とした。ギタリストが消えたことに気付いたスタッフもいたが、仲間の多くはそれに気付いておらずその疑問に対しても「演出の一環だろ」「そもそもあのバンド、炎やら煙やら宙空投影を多様した派手な演出が売りだしな」「そうそう。現実リアルなのか非現実ヴァーチャルなのか実際わからねえよ。外ですれ違ったって本人てわかんないだろ?」と幸いにしてダークサイドの関係者はいなかったようで騒ぎにもならず、次にステージに登場してきた世界的なメタルバンドへの興奮とともにあっという間に話題は変わり、仕事に追われるスタッフは作業に戻っていった。タケシはそっと誰にも気付かれないようにその場を後にした。
 何故だ。
 落ちるはずがない。演出なんかであるはずがない。
 自分の仕組んだタイミングでギタリストが切穴に落ち難を逃れたと気付いた時、タケシの中で嫌な予感が溢れるばかりの不安となった。追われる感覚。ひたひたと闇から生まれた犬が執念深く自分を追う気配に焦りを感じたタケシは、立ち話をするスタッフ、行き交う荷物と業者、破損や危険箇所と張り出されたメッセージ、外に出れば一般客と言った障害物によって自然と自分が搬入出エリアへ誘導されていることには気付いていなかった。ただ確実に自分を追う犬の足音が近付くのを聴いていた。
 搬入出されるステージ装置、イベント機器、音響や照明、電源、楽器や衣装といった諸々をトランポから降ろし一時留めて置く倉庫にタケシは向かった。この倉庫はトランポや車両の出入り口と直結し、限られた関係者しか入らないエリアだった。数段の階段を飛び越え、身軽に階下へとタケシはひた走った。
「追いかけっこはおしまいだ」
 階段を駆け下りたタケシの目の前に、男が数メートル上から飛び降りてきて立ちはだかった。驚く間も無く伸ばされた腕がタケシの喉を締め上げ、気道を押さえられ苦しみ暴れる小柄なタケシを片手で地面から離し、逃げるための足場を奪うと手に持っていた小さな筒状の注射器の針を大腿部に突き刺した。同時に薬剤が投入され十数秒足らずでタケシが必死にジムの腕から逃れようとする抵抗する力は途絶えた。呼吸が止まる前に首を緩め床に降ろすと、ジムはその辺で拝借してきた超強力万能補修テープで後ろ手に意識を失ったタケシを縛り上げた。薬が切れたとしても可能な限り動きを封じるため、関節に負荷をかけながらテープで巻き上げているところに、吹き返すはずのない息がタケシに戻った。まだ自由のある脚だけでバネのように跳ね上がり、すかさずその体勢からジムの目の前を剃刀のような鋭い蹴りが空を切った。予期しない攻撃をジムはすんでのところでかわした。
 どういう用量計算してる。
 投与した薬剤は本部から届けられたものだった。
 ジムは次の攻撃と獲物の逃亡に構えながら溜息をついた。
 タケシはジムから目を離さずに距離を取り、必死に腕のテープを外そうとしているが無理に力を加えれば靭帯が断裂する巻かれ方に唸り声を挙げる。
「手間をかけさせないでくれ」
 ジムはそう言うと一瞬で相手との距離を詰め、低姿勢からタケシの足を払った。もんどりを打ち、頭と背骨の地面への直撃を襟首を掴んで避け転がすと「すまんな」と呟き、素早く袖の内側に隠し持っていたナイフで相手の両足の筋を迷いなく切り裂いた。激痛の叫びを上げるタケシの口を掌で覆って塞ぐ。床に倒し暴れる獲物の血液が噴出する箇所に転がっていたテープを拾い上げ強く巻いて圧迫し、止血とともに自由を奪うべく膝を折り曲げる。タケシは自分を捕縛し自由を奪おうとするジムをよそに、足音も気配も消して影に潜む相手に向けて声を上げた。
「お前の音聴こえてるぞ! 撃て! 俺の頭を吹き飛ばせ! 俺を人間のまま殺してくれ!」
 タケシが誰に叫けんだのかジムにはわからなかったが、その叫びに応えるようにサプレッサーが装着された銃から弾丸が撃ち込まれた。瞬間的にジムはタケシを抱えて動き、そのまま遮蔽物の陰へ引きずり込んだ。弾丸は頭部ではなくタケシの肩を撃ち抜いていた。
<隊長!>
 ルジェットから支援に駆けつけたロンの声が聞こえる。
「獲物が狙撃された。ロン、見えるか?」
<援護するっす>
<ホリー、来い。箱詰めはもうすぐ完了だ。運び出せ>
<了解>
 捕縛した獲物を搬送するために用意した大型のイベント用機材ケースに放り込もうとするが、流血と痛みで息も絶え絶えのはずのタケシは遮蔽物から自分の頭部をさらけ出そうと、尚ももがき這いずる。
 何故足が動く。動けるんだ。
「聴こえるだろ……俺はここだ。俺は人間だ……」
 ジムは疑問を感じながらも惨めな手負いの獲物を捕らえ押さえこんだ。苦しい息の中、タケシが震えながら首を回してジムを見上げ顔を歪めて笑う。
「お前、ジムって言うのか。そうか。お前がUnwavering Jim揺らがないジムか。お前は、何が聞きたいんだ?」
「誰と話している」
 最後の言葉にほんの一瞬、膝を折っていたジムの動きが止まった。その目の前に黒髪の男が音も立てずに現れ、素早く左右に腕を払うとジャケットの袖口から独特の弧を持つグルカナイフが姿を現し、一糸乱れぬ動きと素早さで的確にジムを切り裂いた。
「俺さ」
 ジムの目の前が赤く染まった。飛びのくようにして後ろに避けたが、空気さえ切断できそうなほどの速度と恐ろしく切れ味の鋭い刃は、ほんの数ミリ避けそこなったジムの瞼を切り裂いていた。
「よく避けたな」
 男はナイフと逆の手に持っている銃でタケシの頭部に狙いを定める。その腕を視界の端で捕らえたジムの足が狙い弾道をそらす。コンクリートの床に弾丸が弾ける音と同時にジムはひと飛びで男との間合いをつめ、赤くタケシの血がついたままのナイフを男の首を狙って振るう。短い風切り音に、互いの肉体に打ち込まれる打撃音と、金属がぶつかり合う独特の音が混じる。目の上から流れ落ちる血液がジムの視界を奪い、そのハンデをを音と経験かんでカバーするが、ジムの身体は容赦なく切り裂かれ、出血の箇所はみるみる増えていった。自分が不用意に避ければ、相手はタケシの頭を吹き飛ばそうとする。ジムは舌打をした。獲物を守りつつ、突如現れたこの敵を殺すには少々分が悪い。
 ジムが首筋に肉薄した刃を回避した隙をついて男がタケシに向けて何発か発砲したが、弾丸はタケシの頭を破壊することなく跳ねた。劣勢にまわりながらも、ジムはタケシを相手の死角に隠して動き続け、裏から近付いたホリーが獲物を回収するのを助けた。
 黒髪の男は憎々しげに顔を歪め、タケシのための銃をジムに向けた。
「終わりだ、ジム」
 引き金を引こうとした男の掌に80ミリほどの釘が数本立て続けに突き刺さり、その動きを止めた。驚いた男の頭部にしたたかにジムは回し蹴りを食らわすと、ふらりと相手の身体は揺れ数歩後ろに下がったが、ジムの狙った脳震盪には至らず相手は耐えた。ジムは男の反撃の前にその場を離れ、ルジェットに舌打でロンに<撤収>を告げるとホリーを追った。男は怒りの形相で、逃げるジムに、そして釘を打ち込んだ相手に立て続けに発砲した。
<了解っす! 畜生! まともな銃さえありゃ負けねえのに! いくら改造したってネイルガンじゃ分が悪すぎっす!>
 ルジェットの向こうで、ロンの悔しがる声が聴こえた。
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