雪原脳花

帽子屋

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間奏曲

lamentazione(30)

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 僕はまるでその笑顔に引き寄せられるように、ベッドへ横たわった姿のまま宙に浮かび上がる感覚にとらわれた。頭を動かすこともできなかったけど恐れは一切なく、大きな見えない力に掬い上げられるような感覚に、根拠もなく安堵し身体を預けた。ゆっくりと体がベッドを離れ天井一面に輝くキャロルたちへと向かう。
 キャロルの周りの眩い光がきらきらと僕へと降り注ぎはじめ、そしてその光は小さな音をともない身体の中へと染みこんでくる。次第にその音ははっきりと聴こえ温かく僕を包みこんだ。僕は確信した。僕は今、奇跡の音を聴いていると。
 浮かび上がり続けた僕の面前へと迫った無数のキャロルとともに、僕の今までの記憶も僕の中へと押し寄せ、生まれてからこの瞬間までの情報は、今やメロディとなった音にのって流れ込み脳内を大音量で駆け巡った。
 どれくらいの時間が経ったのかはわからないが、脳から全身へと響き渡った情報とは、背中を抜けて最後は脳へと向かい渦が吸い込まれるようにして消えた。
 あたりは静寂につつまれ、薄闇の中の病院の白い天井が見え、そこへ向けて伸ばされていた僕の腕が、まるで糸が切れたようにパタンと身体の脇へと落ちる音が聴こえた。
 僕は生まれて初めて僕を知り、そして、いくつかの後悔を覚えた。ひとつは「奇跡は起きる」「音が聴こえてくる」と言い、自分をあの惨劇から逃してくれた、あの男の名前を聞かなかったこと。もうひとつは、聴こえてきた奇跡の音、あの歌を歌っていたアジア人の、やはり名前を一度も聞かなかったこと。そして二人に伝えられなかったこと。今ならはっきりと思い出せる。彼らを、あの瞳を。光る瞳を持つ二人に、僕は救われ生きていることを。
『あの二人にお礼を伝えないと。それから僕が虫ケラじゃないことも。僕は、人間だ』


「どうしたの? 大丈夫?」
 はっと我に返ったグレンの前では、キャンベルが心配そうに自分の顔をのぞきこんでいた。
「いえ、大丈夫です。もうどこも痛みません」
「こめんなさいね、事故のことなんて思い出させて。怖い思いしたわよね」
「本当に大丈夫なんです」
「それなら良かったけど。気になることもない?」
 キャンベルはどこか心配そうな笑顔を浮かべた。グレンは座りの悪さを感じながらもその笑顔に応えるようにおずおずと口を開いた。
「気になる……僕が普通の人間のように……僕であること……」
 きっとキャンベルは先程の質問を気にしているか、緊張している自分になんてことはない世間話を振っただけだろうと思うのに、初対面の人間に話すべきではないと押し留める自分の声が聴こえてくるのに、グレンは不思議と投げかけられた質問に無意識に口を開き答えていた。笑われるだけならいい。変に勘繰られでもしたらと不安に襲われるグレンの予想に反し、キャンベルの声音は変わらなかった。
「あなたは、あなたよ。いつでもね」
「違うんです。僕は、昔の僕は喋れもしない、そう地べたを這い回る虫ケラみたいな存在で、今の僕とは違うんです」
「違わないわ。この世界に生まれてきたときから、あなたはあなただった。植物が芽を出すために必要な養分が足りなかったのと同じで、あなたにも必要なものが与えられていなかっただけ。養分を得て、奇跡の光を浴びたあなたは、本来の姿に成長し始めているのよ」
「奇跡……」
 グレンはそう呟いた自分に、遠い奥底から以前に聞いた声が囁き返してくる感覚にとらわれ、下を向いた。

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