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『白……』
白と聞いて俺はしろがねの獣を思い出す。そしてその毛色そのままの髪色、金色の眼の男。
『今おっしゃった白い方って、人間の姿をしている時は銀の髪で、金色の眼をした男のことでしょうか。この前俺の 前に現れたときは、大きな狼の姿をしていたんですけど。あの男のことを何かご存知なんですね』
「詳しいことは何も存じません。ですが、まだこのばばが子狐の頃に初めてお見かけしたときも、ようやく尾が二つ、三つ分かれる頃、そう、若様のお世話をさせて頂いていた頃にも、そしてあのときも……貴方様のお隣には白い方がおられました」
おばあさんが、子供の頃? それから尻尾が分かれる頃って。
困惑した俺は声が出ないのを忘れて喉を呻らせた。ひきつった喉から空気がもれ枯れた音が微かに鳴った。
俺は、そんなに長い時間存在しているのか?
そしてなぜ、何も知らないんだ。何も覚えていない?
『・・・・・・あのとき』
老婆の最後の言葉を反芻する。
『いま、あのときと仰いましたね。あのときとは……』
「あの子を」
そう言って狐は子どもが眠る奥に目をやった。
「貴方様からお引き受けしたときでございます」
え。
俺……?
『俺、ですか?』
「さようでございます」
『それはいったいどういうこと』
混乱気味の俺の音にならない声は、ふいに後ろから響いた低い声に遮られた。
「もうその辺にしておいたらどうだ。狐を困らせるものじゃない」
振り向いた俺の目の前には、物音も立てずにどこから現れたのか、話の主、白銀の男が凛然と立っていた。慌てふためく俺とは完璧なまでに対照的な佇まい。
『お前いったい、どこから』
「お久しゅうございます」
驚いて喉から異音を立てた俺をよそに、狐は何一つ動じるそぶりを見せることはなく、ふかぶかと頭を下げた。男は静かにその姿を見つめながら、ふわりとでも浮くかと思えば、一歩、二歩と足を動かし俺の横までやってきた。
「元気そうでなによりだ」
狐は顔を伏せたまま、だが大きな耳で上から落ちてくる男の声をひとつとして溢さないよう細心の注意を払って受け止めているかのようだった。
「この男が世話になったな」
男は俺の肩に手をかけて、その白銀の怜悧な印象からはおよそ想像出来ない柔らかな音を発する。
「滅相もないことで御座います」
「一族の元には帰らないのか? 若君が君をとても恋しがっていたぞ」
「もったいないお言葉で御座います。ですが、あの子を置いていくことは出来ません」
「そうか。しかしこの先の運命はこの男の言っていた通り、苦しみと痛みが伴うぞ。今なら、狐、お前はその流れから抜け出せる」
男の声はどこまでも凪いでいて月の光のように静かで、おおよそ嵐を告げる言葉には聴こえなかった。
「有難う御座います。あの子をお引き受けした時から、覚悟は出来ております」
そう言って狐は男と、そして俺を見た。
「そうか。では、そのときにまた会うことにしよう。覚悟があるなら、この男の出る幕もないだろう」
声が出せない以前に、俺は全く理解出来ないまま二人の、いや、男と狐のやり取りを呆然と見ているしかなかった。そんな俺をよそに、1人と1匹はもうこれで話はついたとばかりに言葉を切った。男は月のような冴え冴えとした瞳で狐を見ており、先程までの声音とは裏腹にそこには、一切の情の類は浮かんでいないように思えた。
このおばあさん……狐さんは、知り合いの狐なんだろ? おまえは、子どものことだって知ってるんだだろ?
俺の心中は、通じなかったのか無視されたのか、男の手はは黙って俺の肩を下りて腕をとった。
「さあ、君はここを離れるんだ」
我に返った俺は、無意識に男の手を振り払っていた。
『ダメだ! 俺は行けない。あの子を助けたい』
「駄々をこねるものじゃない。もうすでに一度、あの人間の流れを君は変えてしまっている。これ以上、この世界に干渉するものじゃない」
『俺には記憶がない。記憶がないどころか、俺は俺がいったいなんなのかすらわからない。それは、おまえも言ってただろ? だけど、危険が迫っているとわかっているのに、何もしなで見過ごすなんて出来ない』
「先が見えれば助け、見えなければ放っておくのか? おまえには何も見えはしないだろう」
『それは……見ることは出来なくても、兎が教えてくれた』
「君の底で呻いているものもの声にいちいち耳を傾けるわけにはいかない。私たちは、この世界にとって存在だけの存在でなければならない」
『存在だけの存在って……全然、意味がわからん』
「わからなければ尚更のこと」
『い、いやだ。絶対に俺は動かないぞ。もう狼になったって無駄だからな。俺は絶対にここを動かん』
「まったく手間をかけさせる」
男は心底呆れた様子で溜息をつき、金色の瞳で俺を見た。
白と聞いて俺はしろがねの獣を思い出す。そしてその毛色そのままの髪色、金色の眼の男。
『今おっしゃった白い方って、人間の姿をしている時は銀の髪で、金色の眼をした男のことでしょうか。この前俺の 前に現れたときは、大きな狼の姿をしていたんですけど。あの男のことを何かご存知なんですね』
「詳しいことは何も存じません。ですが、まだこのばばが子狐の頃に初めてお見かけしたときも、ようやく尾が二つ、三つ分かれる頃、そう、若様のお世話をさせて頂いていた頃にも、そしてあのときも……貴方様のお隣には白い方がおられました」
おばあさんが、子供の頃? それから尻尾が分かれる頃って。
困惑した俺は声が出ないのを忘れて喉を呻らせた。ひきつった喉から空気がもれ枯れた音が微かに鳴った。
俺は、そんなに長い時間存在しているのか?
そしてなぜ、何も知らないんだ。何も覚えていない?
『・・・・・・あのとき』
老婆の最後の言葉を反芻する。
『いま、あのときと仰いましたね。あのときとは……』
「あの子を」
そう言って狐は子どもが眠る奥に目をやった。
「貴方様からお引き受けしたときでございます」
え。
俺……?
『俺、ですか?』
「さようでございます」
『それはいったいどういうこと』
混乱気味の俺の音にならない声は、ふいに後ろから響いた低い声に遮られた。
「もうその辺にしておいたらどうだ。狐を困らせるものじゃない」
振り向いた俺の目の前には、物音も立てずにどこから現れたのか、話の主、白銀の男が凛然と立っていた。慌てふためく俺とは完璧なまでに対照的な佇まい。
『お前いったい、どこから』
「お久しゅうございます」
驚いて喉から異音を立てた俺をよそに、狐は何一つ動じるそぶりを見せることはなく、ふかぶかと頭を下げた。男は静かにその姿を見つめながら、ふわりとでも浮くかと思えば、一歩、二歩と足を動かし俺の横までやってきた。
「元気そうでなによりだ」
狐は顔を伏せたまま、だが大きな耳で上から落ちてくる男の声をひとつとして溢さないよう細心の注意を払って受け止めているかのようだった。
「この男が世話になったな」
男は俺の肩に手をかけて、その白銀の怜悧な印象からはおよそ想像出来ない柔らかな音を発する。
「滅相もないことで御座います」
「一族の元には帰らないのか? 若君が君をとても恋しがっていたぞ」
「もったいないお言葉で御座います。ですが、あの子を置いていくことは出来ません」
「そうか。しかしこの先の運命はこの男の言っていた通り、苦しみと痛みが伴うぞ。今なら、狐、お前はその流れから抜け出せる」
男の声はどこまでも凪いでいて月の光のように静かで、おおよそ嵐を告げる言葉には聴こえなかった。
「有難う御座います。あの子をお引き受けした時から、覚悟は出来ております」
そう言って狐は男と、そして俺を見た。
「そうか。では、そのときにまた会うことにしよう。覚悟があるなら、この男の出る幕もないだろう」
声が出せない以前に、俺は全く理解出来ないまま二人の、いや、男と狐のやり取りを呆然と見ているしかなかった。そんな俺をよそに、1人と1匹はもうこれで話はついたとばかりに言葉を切った。男は月のような冴え冴えとした瞳で狐を見ており、先程までの声音とは裏腹にそこには、一切の情の類は浮かんでいないように思えた。
このおばあさん……狐さんは、知り合いの狐なんだろ? おまえは、子どものことだって知ってるんだだろ?
俺の心中は、通じなかったのか無視されたのか、男の手はは黙って俺の肩を下りて腕をとった。
「さあ、君はここを離れるんだ」
我に返った俺は、無意識に男の手を振り払っていた。
『ダメだ! 俺は行けない。あの子を助けたい』
「駄々をこねるものじゃない。もうすでに一度、あの人間の流れを君は変えてしまっている。これ以上、この世界に干渉するものじゃない」
『俺には記憶がない。記憶がないどころか、俺は俺がいったいなんなのかすらわからない。それは、おまえも言ってただろ? だけど、危険が迫っているとわかっているのに、何もしなで見過ごすなんて出来ない』
「先が見えれば助け、見えなければ放っておくのか? おまえには何も見えはしないだろう」
『それは……見ることは出来なくても、兎が教えてくれた』
「君の底で呻いているものもの声にいちいち耳を傾けるわけにはいかない。私たちは、この世界にとって存在だけの存在でなければならない」
『存在だけの存在って……全然、意味がわからん』
「わからなければ尚更のこと」
『い、いやだ。絶対に俺は動かないぞ。もう狼になったって無駄だからな。俺は絶対にここを動かん』
「まったく手間をかけさせる」
男は心底呆れた様子で溜息をつき、金色の瞳で俺を見た。
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