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スズランから「要塞の摘発完了とヴォルガ一派の拘束」という事務的な報告を受けた後、二人は朝食としてパンとサラダ、そしてスープだけを胃に流し込んだ。それから、手配された馬車へと乗り込む。
常春の楽園であった要塞の喧騒が遠ざかり、極寒の雪山を高速馬車で駆け降りる衝撃は、今のカゲロウの身体には堪えた。
(来る時は何ともなかったのに……。全部この男のせいだ。最悪だ)
走り出して数分、カゲロウは窓の外へ視線を固定していた。隣に座るゼノスから放たれる無言の圧力が、昨夜の記憶を嫌でも呼び起こす。
「……やはり、辛そうですね」
沈黙を破ったのはゼノスだった。彼は当然のようにカゲロウの腰に手を回すと、抗う間もなく己の膝の上へと引き寄せた。
「なっ……! 離せ、狭いだろう!」
「揺れが身体に響くと言ったのは貴女です。ここなら私の身体がクッションになりますよ。……本当は、貴女の方から助けを求めて欲しかったのですけどね」
そう言ってゼノスは、カゲロウの背中を胸に預け、包み込むように抱きしめる。シースルーのドレス越しに伝わる彼の体温。昨夜、幾度も重なり合った熱と同じものが背中に触れ、カゲロウの顔がカッと熱くなった。
「……貴様、本当に懲りないな。城に着けば、私は主の影に戻る。君も帝国の最強騎士に戻るんだ。こんな馬鹿げた遊びを、いつまで続ける気だ」
「『遊び』、ですか」
ゼノスの声の温度が、ふっと下がった。
彼はカゲロウの髪を指先で弄りながら、その耳元に唇を寄せる。
「カゲロウ。昨夜、私が貴女の名前を呼んだことも、貴女がそれに頷いたことも……すべてなかったことにするつもりですか?」
カゲロウの肩が、びくりと跳ねた。
やはり、あれは聞き間違いではなかったのだ。ゼノスは確信を持って、偽りの名ではなく彼女の「本名」を呼び、求めた。
「……あれは、媚薬の香にあてられていただけだろう。君だって、リリアの代わりが必要だっただけだ」
「リリアなんて女は最初からどこにもいませんよ。私が欲したのは、あんな下卑た男に怯え、私に助けを求めた……誇り高くも危うい、カゲロウという一人の女だけだ」
ゼノスの指が、ドレスの襟元に隠された「首輪」の感触をなぞる。
「貴女はまだ、嫌がらせだと思っているのでしょうね。これに、私がどれほどの独占欲を込めているかも知らずに」
カゲロウは、返す言葉が見つからなかった。
彼を見直し、盾として信頼し、その先に芽生えたこの感情をどう呼べばいいのか。隠密として心を殺してきた彼女にとって、ゼノスの直球すぎる情愛は毒よりも質が悪い。
「……勝手なことばかり言うな。私は、君のペットになったつもりはない」
「ええ。ペットならもっと気楽に愛せたでしょうね。……貴女が手強い俺の好敵手だからこそ、こうして肌を重ねても、まだ足りないと感じてしまう」
ゼノスはカゲロウの頬を自分の方へ向けさせ、視線を絡ませる。そこには、騎士団長としての余裕など微塵もない、一人の男の切実な執着が宿っていた。
「城に着くまでの間、もう一度、昨夜の答えを聞かせてもらえませんか?」
迫りくるゼノスの顔。カゲロウは逃げ場のない馬車の座席で、昨夜よりも速く脈打つ鼓動を自覚しながら、そっと目を閉じた。毒づく言葉は、もう唇の裏にも残っていなかった。
チュッと、軽く確かめるように一度、柔らかな接吻が落ちる。
「城に着くまで、まだ時間はあります。……昨夜の続きを、もっとはっきりと刻み込んであげましょうか。媚薬のせいにできないほどに」
そう囁き、カゲロウの耳たぶを甘噛みする。
「……っ、……好きにしろ。どうせ止めても聞かないんだろう、君は」
その消え入りそうな許可を、ゼノスが聞き逃すはずもない。
もう一度重なり合った唇は、昨夜の狂気とはまた違う、甘く、とろけるような熱を孕んでいた。馬車が揺れるたび、二人の身体はさらに密着し、カゲロウの指先は無意識にゼノスの首筋を強く抱きしめていた。
窓の外を流れる景色など、もはや二人には関係のないものだった。
常春の楽園であった要塞の喧騒が遠ざかり、極寒の雪山を高速馬車で駆け降りる衝撃は、今のカゲロウの身体には堪えた。
(来る時は何ともなかったのに……。全部この男のせいだ。最悪だ)
走り出して数分、カゲロウは窓の外へ視線を固定していた。隣に座るゼノスから放たれる無言の圧力が、昨夜の記憶を嫌でも呼び起こす。
「……やはり、辛そうですね」
沈黙を破ったのはゼノスだった。彼は当然のようにカゲロウの腰に手を回すと、抗う間もなく己の膝の上へと引き寄せた。
「なっ……! 離せ、狭いだろう!」
「揺れが身体に響くと言ったのは貴女です。ここなら私の身体がクッションになりますよ。……本当は、貴女の方から助けを求めて欲しかったのですけどね」
そう言ってゼノスは、カゲロウの背中を胸に預け、包み込むように抱きしめる。シースルーのドレス越しに伝わる彼の体温。昨夜、幾度も重なり合った熱と同じものが背中に触れ、カゲロウの顔がカッと熱くなった。
「……貴様、本当に懲りないな。城に着けば、私は主の影に戻る。君も帝国の最強騎士に戻るんだ。こんな馬鹿げた遊びを、いつまで続ける気だ」
「『遊び』、ですか」
ゼノスの声の温度が、ふっと下がった。
彼はカゲロウの髪を指先で弄りながら、その耳元に唇を寄せる。
「カゲロウ。昨夜、私が貴女の名前を呼んだことも、貴女がそれに頷いたことも……すべてなかったことにするつもりですか?」
カゲロウの肩が、びくりと跳ねた。
やはり、あれは聞き間違いではなかったのだ。ゼノスは確信を持って、偽りの名ではなく彼女の「本名」を呼び、求めた。
「……あれは、媚薬の香にあてられていただけだろう。君だって、リリアの代わりが必要だっただけだ」
「リリアなんて女は最初からどこにもいませんよ。私が欲したのは、あんな下卑た男に怯え、私に助けを求めた……誇り高くも危うい、カゲロウという一人の女だけだ」
ゼノスの指が、ドレスの襟元に隠された「首輪」の感触をなぞる。
「貴女はまだ、嫌がらせだと思っているのでしょうね。これに、私がどれほどの独占欲を込めているかも知らずに」
カゲロウは、返す言葉が見つからなかった。
彼を見直し、盾として信頼し、その先に芽生えたこの感情をどう呼べばいいのか。隠密として心を殺してきた彼女にとって、ゼノスの直球すぎる情愛は毒よりも質が悪い。
「……勝手なことばかり言うな。私は、君のペットになったつもりはない」
「ええ。ペットならもっと気楽に愛せたでしょうね。……貴女が手強い俺の好敵手だからこそ、こうして肌を重ねても、まだ足りないと感じてしまう」
ゼノスはカゲロウの頬を自分の方へ向けさせ、視線を絡ませる。そこには、騎士団長としての余裕など微塵もない、一人の男の切実な執着が宿っていた。
「城に着くまでの間、もう一度、昨夜の答えを聞かせてもらえませんか?」
迫りくるゼノスの顔。カゲロウは逃げ場のない馬車の座席で、昨夜よりも速く脈打つ鼓動を自覚しながら、そっと目を閉じた。毒づく言葉は、もう唇の裏にも残っていなかった。
チュッと、軽く確かめるように一度、柔らかな接吻が落ちる。
「城に着くまで、まだ時間はあります。……昨夜の続きを、もっとはっきりと刻み込んであげましょうか。媚薬のせいにできないほどに」
そう囁き、カゲロウの耳たぶを甘噛みする。
「……っ、……好きにしろ。どうせ止めても聞かないんだろう、君は」
その消え入りそうな許可を、ゼノスが聞き逃すはずもない。
もう一度重なり合った唇は、昨夜の狂気とはまた違う、甘く、とろけるような熱を孕んでいた。馬車が揺れるたび、二人の身体はさらに密着し、カゲロウの指先は無意識にゼノスの首筋を強く抱きしめていた。
窓の外を流れる景色など、もはや二人には関係のないものだった。
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