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ゆるしいろの喧騒(11)
しおりを挟む以下、回想。
なんて――仰々しく段落を改める必要はないのだけれど。
だって僕達はあれから、何ということもなく、それはそれは恙無く帰路につき、それはそれは拍子抜けするぐらい恙無く自宅の玄関を潜ったのだから。
あの妙ちくりんな一本道の最奥で突き当たったのは、やはり僕達のよく知るおもいいろ――もとい、かよ子さんの自宅で間違い無かったらしく。
あの後、〝下駄を預ける〟という言葉の意味をたるるに説明するには、ほんの少しだけ時間を要した。へえ、そうなんだ、で終わらないのがたるるである。ややあって訝しげながらも「なるほど」と理解を示した彼女に、僕は肩の力を大袈裟に緩めて息をついてみせた。
話にひと区切りが着いて、三人の間に水を打ったような静けさが広がる。気まずい雰囲気を勝手に感じて、目線が泳ぐ。ほんの少しとはいえ、除け者にしてしまった家主をそろりと見やると、そには口添えするでもなくただ見守っていたかよ子さんがにこにこと微笑んでいた。
――良かった、気を悪くしたわけではなさそうだ。
まあ、かよ子さんは常に微笑んでいるので、本当のところでどう思っているのかは読み取れないのだけれど。
僕が顔色を伺っていると、かよ子さんはやっぱりろうたけた微笑みを貼り付けたまま、ぱんっ――とひとつ、手を叩いて、
「リオ君はよく頑張りました。たるちゃんも勉強になったわね。ええ――もういいかしら? 後は麓の喫茶店に行って広辞苑を読みましょうね。私――飽きちゃったわ」
と、茶目っ気たっぷりに宣った。
「さてと、いい頃合だし、最後にもう一服いかがかしら。先日ね、その喫茶店でとっても美味しい緑茶をいただいたの。折角なら美味しさを分かち合いたいわ」
「観世茶屋のですか? そんな高価なもの・・・・・・いいんですか?」
「いいのよ、私一人ではきっと余らせてしまうもの。ね? 次は難しいことも、深刻なことも、心配していることも何も考えず、ゆるりとした気持ちでお話をしましょう――そうやって〝肩の荷を下ろして〟しまっても、誰も責めたりなんかしないわ」
――明日からまた、背負い込むのだから。
かよ子さんの言葉に、そうかも、と思ってたるるの面差しを伺う。たるるも僕を見ていて、小首を傾げていた。お互い顔を見合わせた後、たるるが小さく笑って頷く。どうやらいいお値段のお茶の誘惑に負けたらしい。
て、てへぺろ。
この戯け散らかした態度が、答えである。
じゃあお言葉に甘えて――と、声を揃えて頭を下げた僕達に、かよ子さんは「仰々しくしなくていいわ」と制してから、新しいお茶と用意しに部屋から出ていった。
「アフタヌーンティーの仕切り直しよ!」
「お、おー」
意気揚々と戻ってきたかよ子さんのテンションに気圧されつつ、しばらくは平和にお茶会を嗜んだ。茶会と言うには語弊があるし、〝アフタヌーンティー〟と言うにはいささか陽が暮れすぎていたけれど、そこはご愛嬌である。現代社会に身をやつすならば、そのあたりの語源や使い所との齟齬は目を瞑るべきなのだ。
そうして一時間ほど経った頃だろうか(僕達が何時にここに来たのかが曖昧なので正確には分からないけれど)。またゆくりなく会話が途切れた。いくら人と話すことが好きなたるる、嫌いじゃない僕、話すことも聞くことも得意そうなかよ子さんとて、話し続けられる共通の話題はそう多くないのだ。
僕はふと時計を見やる。
――七時半を過ぎたところか。
「あらあらまあまあ――もうこんな時間ねえ。そろそろ帰らないと、あなたのお父さんにどやされちゃうわ。さて、お開きにしましょうか」と掛け時計に目を向けた僕に気づいたかよ子さんが言う。
いや、あんたどやされたことなんてないですよね、と言いかけて、それを舌の上に留めた。僕の父がかよ子さんに強く出られない――(子供にも感じとれてしまっているとはいえ)大人同士の力関係なんて、わざわざ子供である僕があげつらうことではないだろう。僕はそうですねお暇させていただきます、と二つ返事で頷いて膝を立てた。たるるも「そうしよっか」と僕に倣って立ち上がる。
そうして僕達は歩き慣れたあの通路を通って、暖簾をくぐり、見慣れた店の正面玄関を出て、鄙びた造りの敷居を跨いだ。「それじゃあまた会いましょうね――そうね、明日とか」という、いつもと変わらない、穏やかでろうたけた笑顔のかよ子さんに、僕はぺこりと頭を下げて、たるるは大袈裟に手を振ってから背を向けて歩き出したのだった。
とぼとぼと石畳を歩く僕達の間に会話はない。二人分の足音が暗い山の中に染み込んでいくのを聴きながら、僕はどこかほんやりと惚けていた。
ただ普通の、いつも通りの帰路のはずだったのに。たるるからすれば、いささか足取りが重たかっただろうけれど、それでも、〝僕にとっては〟いつも通りだったのにな――と思う。
記憶を遡って感慨に耽る。理解が追いつかないまま闇雲に歩いて、ようやっと見知った人――かよ子さんに会うまでは、どうにか冷静でいること、取り乱さない事だけを念頭に置いていたので、深く現状を把握する余裕がなかったのだ。
たるるはああ見えて、一度狼狽えると一人ではなかなか戻ってこられない。〝私がなんとかしなきゃ〟、そう勘案すればする程、渦中に流されていくのだ。その責任感の強さは上手く働けば統率力に変わり、現在彼女の肩書きである『生徒会長』――生徒のリーダーとしての頭角を現すことに繋がるのだけれど。
だからあの時、僕達は二人揃って「自分ぐらいは冷静でいていないと現状を打破できない」と軽口を叩きあっていたんじゃないかと思う。そして、二人揃って胸中ではこれ以上ないほど取り乱していたのだろう。
そんな心情の最中、かよ子さんという存在は、本当に、いい意味で肩透かしを食らってしまった。
――ああ、助かった、もう大丈夫だ。
帰ることができた訳では無いのに、そう思った。
それから紆余曲折、なんやかんやあったとはいえ、怪我一つなく――精神的なダメージはあったけれど――見慣れたゆるしいろを背に、こうして群青林をの坂を下っている。
なんだかこう、アドレナリンばっかり出ているような、体は反射で動くのに、その行動に理解が追いついていないような、第三者視点の僕が行動の描写だけを実況しているかのような――うまく言葉にできない気分だ。たるるを見遣ると、僕と同じようにだんまりを決め込んで少し高い虚空を見つめていた――けれど、ふと、ゆくりなく足を止めた。手が何かを追うように、形を作るようにぎこちなく曖昧に揺れている。これはたるるが思い合わせている時の癖だ。棚に並ぶ本を探しているみたいに動く指先を目で追う。黄昏時はとうに過ぎ、とっぷりと夜に沈んだ時間の山道では、どんな表情をしているかは汲みとれないけれど、宛もなく右往左往する手の輪郭は、考え込んでいることを僕に教えてくれていた。
「・・・・・・」
様子を伺う。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
こういう時は、ある程度そっとしておく方が意識の浮上が早いだろうし、もう少しだけ様子を見ようと、ただ暗がりの観察を続けた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
――うーん、たるるが突飛な言動をすることには、惜しむらくも慣れてしまったわけだけれど。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうかしたの?」
待てど暮らせど一向に歩き出さないたるるに痺れを切らして声をかける。歩幅二歩分――一メートル半程後ろで動く兆しのない彼女の顔をスマートフォンのライトで照らしてやると、やはりと言うべきか、目線を下げて考え事をしているらしい面差しが、無防備にライトの光を浴びた。生い茂る木々でいっそう暗くなっていた視界が、打って変わって明るくなったことに驚いたたるるが勢いよく顔を上げる。そのせいでカメラのフラッシュよろしくライトが眼球を貫いた。
「何すんのよ! 眩しいじゃない!」
言うが早いか、たるるは僕から乱暴にスマートフォンをふんだくって声を荒らげた。
僕は正当性を主張するべく口を返す。
「眩しくしたんだから当たり前だろ」
「なおのことタチ悪いじゃん!」
「荒治療だよ。呼びかけても返事をしなかったのはそっちじゃないか。考え事があるのはけっこうなことだけれど、せめて家に着いてからか、歩きながらにしてくれない?」
「考え事は唐突にやってくるのよ。幸せは歩いてこないくせに考え事は横断歩道も規制速度も無視して猛スピードでやってくるものなの。仕方がないじゃない」
「そんな飛び出し事故みたいにやってくる考えの種ってなんだよ・・・・・・」僕はため息混じりにそう尋ねた。けれど「まあ色々よ、なんか色々」と中身のない返しをしてくるだけで、明瞭な答えを寄越す気はないようだ。
答える気がないのか、はたまた答えられないのかは、定かではないけれども。
まったく、自由な奴だと思う。
それから坂道を降りきり、お互いの家(僕の家の二つ隣がたるるの家である)に着くまで――正確には僕がたるるを家に送り届けるまで、僕達の間に再び言葉が飛び交うことはなかった。到着時間が普段より遅かったのは、今日に限ってはせんかたないだろう。
「むり」
自宅の玄関を施錠した途端、どっと疲れが押し寄せてきた。ぽろりとそんなことが口から転げ落ちる。けれどそれ以上は自分から声を発する気力もなく、浴室に直行して黙ってシャワーを浴びた。ため息ならいくらでも垂れ流れていくのに――それが精一杯だった。
晩御飯はどうするんだ、そもそもどうしてこんなに遅くなったのか尋ねてくる母さんに適当な生返事をして、とりあえず晩御飯はいらないことだけを伝える。なおも気にかけてくれる母さんには申し訳ないとは思いつつ、返事もそこそこに僕は布団に倒れ込んだのだった。
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